第44話

 王城の回廊の向こうには、ある日突然姿を消したアメリアがいた。

 修道院に入ったのだとか、遠くの国の何番目かの妃にされたとか、罰則みたいに言われて遠くの国の妃が立腹しそうな噂まで出ていた。


 そのアメリアが王城にいる。

 しかも、騎士服に身を包んでいる。


「ビアトリス!」


 ハロルドの制止の声は聞こえていた。だが、その時にはビアトリスはもう駆け出していた。


「アメリア様!」


 ビアトリスの声にアメリアがこちらを見た。


 大きな瞳をまん丸にして見開いている。


「ビアトリス様!?」


 アメリアは、ビアトリスに気がついた途端、こちらに駆け寄ってきた。

 ビアトリスとアメリアは互いに駆け出して、回廊の真ん中でドシンと衝突した。


「あたたた」

「大丈夫?ビアトリス様」


 細身に見えているのに、アメリアの体幹は思いのほか優れていて、ひっくり返りそうになったのは脆弱な腹筋しかないビアトリスのほうだった。


 アメリアの手がビアトリスの腕を掴んで、お陰で転倒しないで済んだ。


 まるで悲劇の恋人たちのように、左右から駆け寄り抱きしめあう直前で衝突したことになる。


「ビアトリス、大丈夫か!」


 ハロルドが駆け寄って、あろうことかアメリアの手をパシンとはたき落とした。


「なにをなさるの?ハロルド様っ」


 ビアトリスは慌てて抗議したが、ハロルドはアメリアを見つめてビアトリスには返事をしなかった。


「アメリア様、大丈夫?」


 アメリアは白い手袋を嵌めており、叩かれた手がどうなっているかは見えなかった。きっと赤くなっているだろう。


 深窓の令嬢アメリアは、あの可憐な顔をハロルドに向けて、にこりともしなかった。


 アメリア=甘い笑顔


 ビアトリスの常識が崩れていく。


「勤務中なんだろう?見習い騎士」

「え?」


 ハロルドの言葉に、ビアトリスは改めてアメリアの衣服を見た。近衛騎士なら直ぐにわかる。だが、アメリアが着ているの服は隊服に間違いないのだろうが、あまりに簡素だ。艶髪は背中でまとめて結っている。


「アメリア様⋯⋯、修道院には⋯⋯」

「行ってないわ、ビアトリス様」

「と、遠くの国のお妃さまに⋯⋯」

「ああ」


 アメリアはそこで、思い当たるような顔をした。


「随分前に輿入れのお話があったけれど、お断りしているの」


 そう言って、アメリアはコテンと首を傾げた。


 衣服と仕草と口調が噛み合わず、ビアトリスの脆弱な脳は混乱した。


 そうだ、こんな時には順番立てるのがよい。

 ビアトリスは、思考の整理を試みた。


 えーと、アメリアは修道院にも遠くの国にも行っていない。

 頬がほっそりして見えるが顔色は良い。

 ぶつかりあってもビアトリスを跳ね返すだけの体力もある。


 なにも問題ない。問題はなんだ。


「アメリア様!どうして騎士に?」


 ビアトリスは、無事、問題に辿り着いた。

 アメリアは、王城の新兵なのではなかろうか。

 舞踏会のある今宵、城の警備に立っていたのではなかろうか。


「んーと」


 アメリアは騎士服のまま、小首を傾げて考える素振りをした。


「私、男の子なの」

「は?」


 行き成りの本題に、混乱するあまりビアトリスの脳が揺れた。


「えーと、なんていうのかしら。身体は女の子なのだけれど、心がそうじゃないのよ」

「それは、一体⋯⋯」


 婚約クラッシャーのアメリア。

 可憐な見目で男子生徒を虜にしてきた侯爵令嬢。

 ティムズもウォレスも彼女にメロメロになっちゃって、大切なものを捨ててまで彼女に愛を傾けた。


「ビアトリス、場所を変えたほうがいいよ」


 ハロルドは、周囲に視線を巡らせビアトリスに言った。そうだこんなお話をこんな王城の廊下でなんて話せない。


「持ち場を離れたら怒られちゃうわ」

「それはそうですよね」

「でも、バレなきゃ大丈夫」

「ええ?」


 そう言ってアメリアは、ビアトリスの手を掴んだ。それからビアトリスをくいっと引き寄せると縦抱きにして、回廊の脇にある階段を駆け下りた。ここは外回廊で庭園に面しており、アメリアは数十センチの高さをぴょーんと降りた。


「ビアトリス!」


 アメリアの早業にハロルドが伸ばした手は届かなかった。


「ほら、ここなら大丈夫でしょう?」


 庭園に降りる直ぐにベンチがあった。成る程、回廊の目と鼻の先であるから、不審者は直ぐにわかるだろう。多分、ビアトリスたちのほうが不審者だ。


 ハロルドも直ぐに降りて、三人はベンチに横並びになった。真ん中はビアトリスで、左にハロルド、右がアメリアである。


「手早く言うなら、令嬢を辞めたの」

「手早すぎてわからない⋯⋯」


 ビアトリスは、アメリアの嘗ての姿を思い出し、一番不思議に思っていたことを確かめた。


「エリック殿下にお心を寄せていたのでは?」

「あり得ないわ、そんなこと」

「じゃあ、ロゼリア様?」

「親友との恋愛は成就しないのが世の常よ」


 アメリアの言っていることは、ちんぷんかんぷんだ。


「どうしてあんな集団に」


 若干エリックに失礼な発言であるが、ビアトリスはエリック集団を避けているので仕方がない。


「エリック殿下のお側にいたら噂になるでしょう?」

「婚約クラッシャー⋯⋯」

「まあ。そんなふうに言われていたの?」


 素敵!とアメリアは素っ頓狂なことを言った。


「そんなことをしたなら、アメリア様の瑕疵に⋯⋯」


 そこまで言って、ビアトリスは気がついた。

 アメリアは自ら自身の評判を落とそうとしていたのではないだろうか。

 侯爵令嬢が王太子にひっ付いて、醜聞めいた噂にまみれる。

 アメリアは魅力的であるから、ティムズやウォレスが傾倒したのは企てたことではないだろう。


「もしかして、大公様の?」


 ビアトリスは、以前、聞いた噂を思い出した。

 アメリアには、公国の大公との縁談があった。妃を亡くした大公の後妻であるが、彼はまだ三十手前の麗しい人物と評判であった。


「男の人を愛せないのに妃になれる?後継を産める?そんな偽りを犯したら諍い事になるわ。国益を損なってしまうでしょう?」


 アメリアはそこで、初めて真顔になった。


「で、ですが、お父様は、侯爵様はご存知なのですか?」


 これ以上聞いてはいけない。聞いてしまったら、秘密に巻き込まれてしまう。


 だがビアトリスは気がついてしまった。

 もう既に巻き込まれちゃってる。






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