第13話

「は?父上、本気で仰っておられるのですか」


 珍しくルーファスが父に冷めた声音で問いただした。だが、ビアトリスはそんなことを気にしてはいられなかった。


「お、お父様?破棄か解消かの二択でしたわよね?三択なんて聞いておりませんでした。保留ってどういう意味?」


「真摯、且つ誠実な謝罪を受けた」

「どなたから?」


 ビアトリスの質問に、父は僅かに瞳を揺らした。


「ブラウン伯爵夫妻からだ」


「そこにウォレス様は含まれますの?そんなわけありませんよね、だって彼はついさっきまで学園にいて、お話し合いの場にはおりませんでしたもの」


 ブラウン伯爵夫妻に謝罪してほしいわけではない。確かに三年間も息子の行為に目が行き届かずにいたのは謝罪に値するだろう。

 だが、もうそんなことはどうでも良かった。謝罪でどうにかなる段階は、ビアトリスの中では地平線の彼方に遠退いていた。


 ウォレスにしても望まぬ関係なのだから、今こそすっぱり手を切ろうではないか。人生は長いようで短い。お互い時間は有限なのだ。

 珍しくビアトリスは、父に詰め寄った。



「ビアトリス」


 後ろから名前を呼ばれたのは聞こえていたが、ビアトリスは聞こえないフリをした。


「ビアトリス」


 再び背後で呼ばれて振り向かないわけにはいかず、仕方なく「はい」と返事をして振り返れば、ウォレスは思いのほか近くにいた。


「話がある」


 こちらにはない。そう言いたい気持ちをぐっと堪えた。


「どうぞ」


 このままここでと促せば、ウォレスは辺りをちらりと見た。

 学園の昼時、廊下には多くの生徒が行き来している。みんな誰が誰と会話をしていようが気にしないだろう。一応、ウォレスとビアトリスは婚約者同士であるし。


「別の場所に移ろう」

「それはどこへ?人目につかない場所は避けたいのです」


 これからのことを考えるなら、ビアトリスにとって彼との間に予防線を張っておきたい。


「それより、ウォレス様。お仲間と離れて良かったの?」


 ビアトリスはそこで、敢えてエリック集団を「仲間」と呼んだ。婚約者との会合も蔑ろにして侍る集団である。ほんの少しくらい皮肉を言ってもよいだろう。


 そう思ったのだが、ウォレスはそうとは受け取らなかった。彼は真顔のままで、本心からビアトリスの言葉通りに「仲間」と思っているようだった。折角言った嫌みを返してほしい。


「殿下には断りを入れている」

「⋯⋯」

「テラスならいいだろう」


 学園には食堂とは別にカフェテラスがある。今の時間帯ならそれほど混んではいないだろう。

 仕方ないという気持ちが顔に出たのか、ウォレスはそんなビアトリスに眉をひそめた。


 ビアトリスとの婚約者としての関係を放棄していたウォレスに対して、彼との関係の再構築を放棄したビアトリスの態度はさっぱりとしたものだった。


 このどうしょうもない人物との話など、さっさと聞いて教室に戻ろう。ビアトリスにはもう、ウォレスに一滴の好感情も湧かなかった。


「何か飲む?」

「いいえ、お気遣いなく」


 この場に及んで、ウォレスはビアトリスに初めて婚約者らしい気遣いを見せた。だが、付け焼き刃な気遣いもそこまでだった。


「君、なんで母にまでふみを?母に文を送る必要などなかっただろう」

「当たり前のことをしたまでです。事前に決まっていた会合を、当日の朝になって急にお断りするのです。夫人にお詫びをするのは私の中では常識ですわ」


 そんな常識があるのか知らないが、ビアトリスにとって夫人とは礼を欠いてはならない間柄である。毎回礼を欠いて欠片しか残っていないウォレスの認識のほうが可怪しいのだと、暗に言ってみた。


 ウォレスは非常識と常識が同居する複雑な思考をしている。アメリアにのめり込まずにいたなら、真っ当な常識人になったのだろうか。


 榛色の瞳を見つめて、ビアトリスはウォレスの言葉を待った。


「それより、その、」

「婚約破棄のこと?」


 ビアトリスがそう言うと、ウォレスは慌てて周囲を見渡した。ビアトリスはここにメガホンがあったなら、声を張って言いたいくらいだ。「私は貴方と婚約破棄を望みます!」と。


「君、本当にそんなことを」

「ええ。本心からそう希望しております」

「は?今までひと言もそんなことは言わなかったじゃないか」

「ひと言を言えるほど親しい時間を得られずにいただけですわ」

「そんな、今になって言われても困るんだ」


 ビアトリスは、ウォレスもまた二人の婚約の破談を願っているのだと思っていた。ブラウン伯爵夫妻が謝罪したのは理解できても、ウォレスがゴネる理由が思い当たらなかった。


「君との関係を改善できなければ、私の立場は見直されることになる」


 そういうことか、とビアトリスはようやく納得がいった。ウォレスは次男のローレルに後継を差し替えられる瀬戸際にあるのだろう。

 ビアトリス側からの破談の申し出に、父の言葉通りブラウン伯爵家は誠意を示していた。


「ティムズのことが、だな」


 成る程。ティムズの婚約破棄がアメリア絡みであることに、ウォレスの両親も事を大きく見たらしい。続けてウォレスが破談となっては、彼がエリックの側近候補という立場からして、アメリアとの関係を社交界に晒すこととなる。


 もう遅いのではないかとビアトリスは思った。

 ウォレスがアメリアに心酔しているのは、学園では知られている。同じくらい、婚約者のビアトリスとは疎遠であるのも知られている。


 エレンはきっと、こんな場面でビアトリスの受けてきた不遇について証明できるという意味で、手助けできると申し出てくれたのだろう。

 傷の癒え切らない彼女からの友情に、ビアトリスの胸は熱くなった。


 だが、ビアトリスにはエレンを引っ張り出すまでもなく証拠がある。

 マチルダが作ってくれた、ウォレスがこの三年間にビアトリスへ送り続けた、急用で行けませんお断り文集「ウォレスの不義理文集」がある。


 多くの貴族家がそうであるように、ビアトリスの家でも受領した書簡は授受簿に記録され、同時に封書にも受領日付が記される。

 マチルダはそれを元に、ウォレスからの三年分の文を丁寧に日付順にスクラップしてくれた。


 それは二人が婚約を結んでからつい数日前のすっぽかしまで、初めから最後までウォレスが不実を通した揺るがない証しとなる。

 文の数と会合の予定回数から、不義理割合を算出するのも容易いことだろう。


 婚約者との約束とは家同士の約束であるのを、両家が友好な関係であることに甘えて、ウォレスはあまりに軽んじていた。


 今頃になって、ビアトリスから破談を申し込まれるなんてことは青天の霹靂へきれき、プライドの高いウォレスには許しがたいことだろう。







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