後編

「君たちは謎だらけだ。不思議な生活をしてるんだね」

「そう? 普通だと思うけど」


 彼女が部屋の灯りをともすと、僕はあっと声を出してしまった。大量の鳥籠。四角いのやドーム型の、大きいの小さいの、白いのや黄色いの。異常な数の鳥籠が、狭い居室に置いてあった。


「驚いた? 夫妻と食事をするときはこの子を籠に入れておかなきゃいけなくて、行くたびに持って帰るから増えてしまうんだよね。そろそろいくつか戻さないと、あっちのストックがなくなるな」


 ダナエは平気な顔で言う。僕はどうにか微笑み、空いた腰かけに座った。彼女は机の椅子に座っている。


「話っていうのはさ、君と僕でここを出てみないかっていうこと」


 彼女は呆然とした。思いもよらなかったらしい。


「君のチェロの腕を世界中に広めたい。それに協力したい。そう思ったんだ。やましい気持ちはないよ。君はすごく……魅力的だけどね」


 彼女はぱっと顔を赤くした。しかし、答えは決まっているようだった。


「私はこの庭にいなければいけないんだ。それは仕方のないこと。世界に自分を広めることにも興味がない」


 申し訳なさそうな顔だったが、はっきりと、そう言われてしまった。僕は一瞬落ち込み、それでも希望を持って彼女を見つめた。


「明日帰るよ。その時に返事を聞かせて。君と夫妻の関係はよくわからないけれど、囚われてるんだったら逃げ出させてあげたいからさ」

「そんなことない。囚われてなんて」

「じゃあ何?」


 ダナエは顔を上げて僕を見た。


「助けてもらったんだ」


 どういう意味だろう。僕は続きを聞きたかったが、彼女はそのまま黙っていて、何も言わなかった。


「じゃあ、明日には返事を聞かせて」


 僕は彼女のコテージを辞するときに笑って言った。ダナエは微笑み、何も答えなかった。ドアを閉じ、彼女のコテージから離れるが、僕の考えはこびりついたように取れなかった。それは、彼女を恋人にしたいという欲望。自分のコテージに入り、簡単に掃除されただけのそこにあるベッドに寝転がる。何だか自分がとり憑かれているような気になっていた。どうしてこんなにも会ったばかりの女性に夢中になるのだろう? 不思議でならなかった。僕はそんなに情熱的なたちではないのだが。


 うとうとし始めた。もうろうとしながらどうにか灯りを消す。暗闇の中で僕は、すっかり眠ってしまいそうになっていた。風が鳴っていた。木々を揺らし、葉を擦らせる少し強い風が。


 誰かがいた。


 女が僕のベッドの横に現れ、布団に潜り込んできた。キスをされた。肌はつやつやとして柔らかい。


「ダナエ……?」

「私、あなたの体に用があるんだ」


 彼女は僕の体をまさぐった。そして魔法でもかけられたかのように彼女に夢中になった僕は、彼女を抱き締め、キスを返し、服を脱ぎ、あとは……。



 ねえ。チャールズ、入り口のブナの木が何と言ったと思う?

 何?

 ブナの木はこう言ったんだ。彼は私たちにとって最高の遺伝子を持っているって!

 遺伝子……。

 そしたらこの子が、ハクセキレイが、僕が見てくるってあなたを見に行ったんだ。すごく愛想よくしてたでしょ?

 僕が君のことをこんなにも好きで、こんなにも夢中なのは、もしかして……。

 ……闇の中で彼女はくすくすと笑った。昼間のコンラッドの言葉が繰り返し響く。アレロパシーの強化? 僕とダナエの相性は極限にまで高められている? ……

 ねえ、私たちのために、大切なものを、ちょうだい……。


 気づけば朝になっていた。まるで夢だったかのように、全ては静まり返っていた。小鳥たちが過剰なまでに鳴いていた。何か、祝福しているように思えた。


 僕はアンに会いに行くことにした。




「おはよう」


 アンは笑って僕を迎えてくれた。コンラッドはまだ休んでいるらしい。僕はアンと共に研究室に入った。今日もこぶだらけの植物が、僕をじっと見つめて鳴き交わす小鳥たちや、リスたちと共にある。アンは振り返って僕を見る。


「ここの研究は、研究室だけでのことではないですよね」


 僕は、ゆっくりと聞いた。アンは、微笑んだ。


「そうよ」

「庭園全体が、コネクタイトで満ちている。庭の植物はほとんどがコネクタイトの一部として存在している」

「その通り」

「あなたは人間にもコネクタイトを使っている。例えば、ダナエ。彼女は異様に音楽的感性が強いように思う。それって、多くの人間以外の動物や植物と繋がっていて、そこからの多様な情報を常に受け取っているからですよね。普通の人間には受け取れない量の情報を受け取っている。彼女は人間コンピュータそのものだ」

「そして、もう一人いるでしょう?」

「コンラッド。彼はコネクタイトによって庭園と繋がっている。彼が言っていたことは願望なんかじゃなくて、あなたが行っていることそのもの」

「そう、そうなのよ」


 アンは笑った。


「そうしてこんなことを? 誰かに見つかったら逮捕されますよ」


 アンは、黙ったままランのこぶを撫でた。


「コンラッドはもう死んでいるの」


 無表情にそういった。


「いわゆる、脳死に至らない死の寸前の状態。心筋梗塞で倒れて、彼が死んでしまうなんて信じられなくて、思わず研究中のコネクタイトを使ってしまった。ストックしてある動物用のコネクタイトを注射器で注入するだけなんだもの。簡単よね。彼は元気になったわ。心臓の問題も、コネクタイトの副作用かうまく治ったみたい。ただ、彼はコネクタイトによってようやく生きている状態なの。彼はコンピュータであることによって生きているのよ。木々の声が聞こえる、鳥の言葉がわかる、って彼は言うわ。それはコネクタイトの効果なの。彼は庭の木々や動物たちから、人間だったときとは比べ物にならないくらいの多様な情報を受け取っているの」


「ダナエは? 彼女も死んでいるんですか?」


「彼女は、自動車事故で植物状態だったの。似たようなものね。でも、コネクタイトでどうにか自分を作っている。事故前の十二歳の少女として生きていられるの。彼女の極端に胸を打つ演奏は、コネクタイトによって増幅された感性によるものでしょうね。彼女はここにいることにより、天才でいられる。彼女は、倒れる前のコンラッドが連れてきた彼の親族よ。彼は私より先にマッドサイエンティストになっていたわけね」


 マッドサイエンティスト……。彼女の言葉は妙に生々しく響く。彼らはすでに倫理観を失ってしまっている。


「彼女はもうここでしか生きていけないんですか?」


 アンは少し考えたような顔をした。


「体の問題はコネクタイトによって修復されていると思うわ。ただ、彼女は人間というよりは、半分コンピュータだものね。わからないわ」


 でも、と言い募ると、アンは困ったようにため息をついた。


「やけに執着するのね。こんな人は珍しい」

「何だか小鳥が鳴きすぎると思いませんか?」


 僕は彼女に、コネクタイトをしていないがために気づかない彼女に教えてあげた。僕自身コネクタイトをしていないけれど、昨夜ダナエが教えてくれた。


「昨日ダナエは僕の寝床に潜り込んできました。僕は何かに操られるかのように、彼女と関係を持ちました。彼女はそれを祝福されているんです。小鳥たちは知っているんです。彼女が妊娠したということを」


 アンは目を見開いた。


「彼女はコネクタイトされた人間として、次の世代を作ろうとしているんです」


 アンがよろよろと歩き出した。窓の向こうを眺め、おびただしい数の小鳥を前にチェロを演奏するダナエの姿があった。


「僕は彼女を連れて出て行きます。きっと彼女の体は耐えられるでしょう。コネクタイトされた世界から離れても……。そしてあなたを告発します。こんな危険な研究は中止すべきだった」


 アンが振り返った。悲しそうな目をしていた。


 僕はダナエの元に向かった。彼女は無垢なまでにつやつやした目を僕に向けた。そして幸せそうに微笑んだ。僕は彼女の手を掴んだ。そしてずんずんと歩き始めた。


 きっとうまく行く。彼女は僕のものになり、子供のことは諦め、外の世界で僕と暮らす。彼女は平凡なチェロを弾く。それでも僕は満足するだろう。彼女は僕を頼りに、生きていく……。


 庭園を離れるとき、ダナエは無表情にそれを振り返った。



          *



 やがて女はことりと座席に体を預けた。失神したのだ。白目をかすかに見せ、愛しさを少しも感じさせないその姿に、僕は言葉を失っていた。


 やがて女は目を開いた。その目つきはいつもの愛しい女と同じに見えたが、僕を見て混乱した顔をしていた。


 ここはどこ? あなたは何をしているの?


 僕のことは忘れ去られていた。窓の外では小鳥が羽ばたいていた。小鳥が――スペアの生体コンピュータが――いるだけではだめなのか。僕は車をバックさせ、ついでに窓を開いた。小鳥が中に入ってきた。女はホッとした様子になった。


 元来た道を戻る。女は悲しげな、申し訳なさそうな顔で助手席に座っている。


 私を連れ出そうとしたのでしょう?


 女は僕のことを全く思い出しもせずに問う。


 でも、それは不可能なんです。私と庭園には、境目などないのだから。


 僕らはあの庭園へと、だらだら坂を上っていく。






                                     了

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庭園の恋人 酒田青 @camel826

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