第38話 素直な言葉
俺は、泣きじゃくる結衣の手をコートのポケットの中で固く握りしめたまま、近くの公園へとゆっくりと歩き出した。しんしんと降り続く雪は街の音をすべて吸い込み、世界には俺たちの雪を踏みしめる、きゅ、きゅ、という音だけが響いていた。
公園の一番奥まった場所にあるベンチ。そこにはまだ誰の足跡もついていない真っ白な新雪が、うっすらと積もっていた。俺は手でその雪を丁寧に払い、結衣をそこにそっと座らせる。そして自分も少しだけ距離を置いてその隣に腰を下ろした。俺たちの手はポケットの中でまだ固く繋がれたままだった。
結衣の涙はまだ止まっていなかった。俺は何も言うでもなく、ただ黙って彼女が落ち着くのを待った。白い息が俺たちの口から交互に吐き出されては、冷たい空気の中に淡く溶けていく。それは俺たちが久しぶりに交わす、言葉にならない会話のようだった。
やがて結衣の嗚咽が少しずつ小さくなっていった。俺は今がその時だと思った。俺が本当に伝えなければならない言葉を。
「……手紙、読んだんだな」
俺がそう切り出すと、結衣はこくりと小さく頷いた。その反応に俺の胸は罪悪感でぎしりと軋んだ。
「あの手紙に書いたこと……半分は本当で、半分は嘘だ」
俺は彼女の顔を見ることができず、ただ正面の雪が積もり始めた木々を見つめながら言葉を続けた。
「お前に酷いことをしたって、傷つけたって、そう思ってるのは本当だ。俺がお前の前からいなくなるべきだって、本気でそう思ってた。でもな……」
俺はそこで一度言葉を切った。ポケットの中で彼女の手をさらに強く握りしめる。
「『俺のことは忘れて、幸せになれ』って書いた。あれは真っ赤な嘘だ。本当は忘れてほしくなんかなかった。他の誰かのものになんて、なってほしくなかった。お前がいなくなって、俺は自分がどれだけお前のことばかり考えて生きてきたのか、思い知らされたんだ。勉強してても飯食ってても、何をしてても頭に浮かぶのはお前のことばっかりで……。俺は……」
俺は震える息をゆっくりと吐き出した。そして腹の底から絞り出すように、そのあまりにも情けない、しかし紛れもない本心を告白した。
「俺は、お前がいないと、ダメだった」
その言葉を聞いた瞬間、結衣の肩がびくりと大きく震えた。そして止まりかけていた涙が再びその瞳からとめどなく溢れ出したのだ。
しかしそれは先ほどまでの悲しみの涙ではなかった。彼女は泣きながら俺の手を強く強く握り返してきた。
「……私も、だよ」
嗚咽に途切れ途切れになりながら、彼女は言った。
「私も……拓磨がいないと、ダメだった……っ!拓磨のいない部屋は寒くて静かで……。何を食べても味がしなくて……。私の方こそ、もう、ダメだって、思ってた……っ!」
彼女の魂からの叫び。それは俺がずっと聞きたかった言葉。そして俺にはもう聞く資格などないと思っていた言葉だった。
ようやく俺たちは、互いの気持ちを何の嘘も偽りもなく伝え合うことができたのだ。
俺はポケットからそっと手を引き抜くと、その手で涙に濡れた彼女の頬を優しく包み込んだ。そして親指でその涙を拭ってやる。
俺たちはもうただの幼馴染には戻れない。俺が犯した罪は決して消えることはないのだから。
しかし、これは終わりではない。
今この瞬間が、俺たちが過去のすべてを、その傷も罪もすべてを背負った上で、全く新しい関係をゼロから築いていくための、本当の第一歩なのだ。
俺は雪が静かに降り続く公園で、ようやく見つけることのできた、そのか細く、しかし確かな希望の光を、ただ呆然と、そして心の底からの愛おしさを持って見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます