第23話 陸中大野①
『rising sign』の本拠地に設置されている転送装置へと続くプラットフォームに、水川連たちを乗せたバスが滑り込んでから――体感時間にして、3分ほどが経過した頃だろうか。
エンジン音が低く、一定のリズムで唸り続ける車内には、まるで鉛を溶かして流し込んだかのような、重苦しい空気が滞留していた。
誰もが口を閉ざし、視線を足元や窓の外へと落とし、それぞれが敗北の余韻を噛み締めている……はずだった。
――その中で、ひとりだけ。
どうにも空気の流れが別次元である存在がいた。
弍估は、いつも通りだった。
試合に勝とうが負けようが、感情の起伏という概念そのものが彼女には存在しないのか。バスの座席に深々と身体を預け、首をわずかに傾けたまま、今日も今日とて安定の平常運転。
すぅ……すぅ……と、規則正しい寝息を立てながら、文字通りの爆睡状態である。
次元回廊の継ぎ目を越えるたびに、ゴトン、ゴトンと床下から伝わってくる鈍い振動。
それが彼女にとっては、どうやら子守歌代わりになっているらしい。頬に伝わる微細な揺れにも眉ひとつ動かさず、完全に意識を手放している様子だった。
『small iron of gold』は『80-60』。
数字だけを見れば、一目で理解できるほどの完敗である。言い逃れのしようもなく、誤魔化しも効かない差だった。
敗因のひとつとして、真っ先に挙げられるのは――間違いなく、チームの心臓部である弍估が、最終の第4Qで明確に失速したことだろう。
体力的な限界が近づいていたのは、誰の目にもあきらかだった。人数をかけた徹底マーク。戦術的な圧迫。逃げ場を与えない連続的なプレッシャー。それらが一気に、容赦なく襲いかかっていた。
とはいうものの――。
彼女は、最後まで“機能していた”。
問題は、そこではない。
実際のところ、弍估以外の選手たちが、ほとんど通用していなかったのだ。
分かっていたことではある。
事前に、頭では何度も理解していた現実だった。
だが、実戦という名の舞台で、ここまで露骨に“差”を突きつけられると、さすがに堪える。理解していたはずの現実が、重たい拳となって胸の奥を殴りつけてくる。
チーム力。
個の力。
その両面において、隔たりはあまりにも大きすぎたのだ。
水川連は、バスのシートに身を沈めたまま、ぼんやりと天井を見つめていた。
考えまいとすればするほど、思考は勝手に敗北の理由へと引き戻されていく。ぐるぐると、同じ地点を何度も周回するように。
敵が幾重にも弍估へと群がり、進路を物理的に塞ぎ、視界そのものを塗り潰すように圧をかけてくる。その包囲網の只中で、彼女は最後の最後まで――戦術的に見れば、どう考えても最適解だろうと思われるパスを、寸分の迷いもなく供給し続けていた。
敵ヘッドコーチ――
彼から次々と繰り出される戦術は、実に多彩で、かつ狡猾だった。フォーメーションの微細なズレ、守備の切り替えのタイミング、パス誘導を含んだ罠の張り方。その一手一手には必ず意図があり、さらにその裏に、もう一段深い狙いが隠されていた。
弍估は、それらを――読み、理解し、噛み砕き、即座に対応していく。
まるでコート全体を、頭上から俯瞰しているかのような判断速度。盤面の端から端までを、同時に視界へ収めているかのような精度であった。
にもかかわらず、だ。
チームは、決定的に噛み合わなかった。
彼女から供給される戦術的にハイレベルなパスが、チームメイトに繋がることはなかった。
水川連を含む全英霊たちが、それを、もっと確実に沈め切れていれば。ほんの1本でも、流れを途切れさせず、次へと繋げていれば。
思考は、何度でもそこへ引き戻されていた。
結局のところ、突きつけられる答えは、あまりにも単純だ。
個の力。
そして、チームとしての完成度。
全員が、弍估のプレイと戦術レベルについていけていなかった、それだけのことであった。
水川連は、その思考の渦に、ずぶずぶと沈み込んでいた。抜け出そうとすればするほど、足を取られ、深みに嵌まっていく。
彼自身、念願だった個人評価は『C+』へと上昇している。数字だけを見れば、紛れもない前進だった。
だったはずなのに。
胸の奥から、喜びは一切湧き上がってこなかった。
代わりに残っているのは、心臓の内側に重たい鉛を括りつけられたような、ずしりとした沈下感だけ。
特に――あの場面。
どうしても、頭から離れない。
第3Q。
弍估から放たれた、あのパス。
確かに、自分は受け取った。
両手に伝わる、ずしりとしたボールの重量。
指先に吸い付くような、革のざらついた感触。
その瞬間までは、間違いなく、自分の支配下にあったのだ。
――次の瞬間。
視界の端を、影が滑る。
御子柴大輔の腕が、音もなく伸びてくる。
ガシッ、と空気を裂くように。
そのまま両手が、こちらのボールを押し潰すように叩き込んできた。
ザラリ。
皮革同士が擦れ合う、生々しい感触。
バンッ、と鈍く弾ける音が、耳の奥で膨張する。
直接、すべてを見ていたわけではない。
それでも、その一連の動きは、想像によって容易に補完され、何度も、何度も脳裏で再生される。
時間が、引き延ばされる。
世界が、遅くなる。
スローモーションで、執拗に。逃がしてくれない。
思い出したくなくても、勝手に再生されてしまうのだ。
もし、あのとき。
自分が、確実にボールをキープできていたとしたら。
ほんの一瞬でも、流れを変えられていたのではないか。
敵チームの勢いを、あの場面で断ち切れたのではないか。
頭では分かっている。
≪――意味のない仮定だ≫
とはいうものの、あそこが試合の分岐点だったことだけは、どうしても否定できなかった。
バスケットにおいて、精神力はスキルや体力と同じくらい重要だとされている。
その現実を、水川連は、痛いほど思い知らされていた。
ショックを引きずったまま。
眠れもしないのに、ただ目を閉じていると――。
ドスン。
鈍い衝撃が、背中から全身へと走ってきた。
空いていたはずの隣の座席に、突然、誰かが腰を下ろしてきたのだ。
反射的に目を開けると、視界に飛び込んできたのは、前触れもなく現れた“でっぷり親父”の姿だった。
我儘の代名詞とも言えるアイドル女子・弍估に罵倒されたいという、歪みに歪んだ野望を抱く交渉人。
18歳の現役バスケット選手は、隠すこともなく、露骨な嫌悪感を顔に浮かべていた。
――また、訳の分からないことを言い出す。
そう思った瞬間、その予感はあっさり的中してしまう。
嫌な予感ほど、なぜかよく当たるものだ。
踏まれる快感のことでも思い浮かべているのか。
親父はふんぞり返り、独り言のような口調で言葉を放ってきた。
「このチームに足りないもん、一体なんやと思う?」
「……」
「小僧。なんで無視するんや!」
「俺に質問してたんですか。独り言かと思ってました。というか、すいません。質問の意味が分かりません」
「なんで分からへんのや。普通分かるやろ。次に召喚する英霊についての話や!」
運営は、新人戦で好成績を収めた『small iron of gold』のオーナー・小鉄に対し、評価『B+』以上が確定する召喚券を配布していた。
試合登録可能な選手数は10名。
にもかかわらず、現状のチームは9名しか揃っていない。
どう考えても、戦力は不足している。
練習試合で相対した『rising sign』の英霊たちと比べても、個の力で劣っている現実を、否応なく突きつけられた今、高能力の英霊となるバスケット選手を迎える必要性は明白だった。
――だが。
新たな英霊が召喚されるたび、自分の立場が揺らぐ。
その恐怖を、水川連は、常に胸の奥に抱えていたのだろう。
だからこそ。
交渉人の親父に、素直な答えを返す気にはなれなかった。
逃げ道を探すように言葉を選び、慎重に、口を開いてく。
「うちに必要な者、ですか。普通に考えれば……優秀なヘッドコーチじゃないですか」
チーム戦術が、もっと洗練されていたなら。
実際、そう思わずにはいられなかった。
親父は試合後、イケオジこと
――『small iron of gold』に一番足りないもの。
それは、“弍估を活かすためのチーム力”。
さらに、彼はこう付け加えていた。
新人戦を戦い抜くために必要なのは、新戦力の乱用ではない。現有戦力を中心に据えることだ、と。
水川連の言葉を聞いたでっぷり腹の交渉人は、腕を組み、低く唸り…
しん、と空気が張り詰めていく。
不気味で、不愉快な沈黙。
5秒ほどが過ぎただろうか。
ギラリ、と無意味に目を見開き、意外にも水川連の意見に同調する言葉を吐いてきた。
「小僧。お前も、そう思っとったんか……」
頷きながらも、その表情は複雑そうであった。
交渉人は、ヘッドコーチを召喚するという選択肢に、強い警戒心を抱いていたからだ。
もし、
もし、自分と同じ野望を抱く者だったとしたら。
弍估からご褒美をもらえる順位が、下がるのではないか。
――どうしようもなく、私欲にまみれた不安である。
とはいうものの。
新人戦で敗北することは、即ち、チーム解散の危機を意味していた。
葛藤の末。
交渉人は、オーナーへと進言することとなる。
――そして、後日。
評価A-のヘッドコーチが召喚されてきた。
その名は、“陸中大野”。
彼こそが。
新人戦を勝ち抜くための、最後のピースとなる存在だった。
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