第16話 五百旗頭①

新人戦の3回戦が終わった、その翌日のこと。


舞台は、チーム『small iron of gold』の本拠地から北へおよそ500km。地面に雪は積もっていないものの、街全体が「冬の入口」に呑み込まれかけているような、中核都市。人口は約50万人。決して小さな街ではないはずなのに、どこか空が低く、重い。


一歩、足を踏み入れた瞬間だった。


ぐっ――と、空気が押し返してくる。


ひゅう、とどこからともなく吹き抜ける冷気が、頬を撫でる。いや、撫でるというより、薄い刃物でなぞられたような鋭さだった。指先がじん、と痺れ、耳の奥が冷たくなる。体感温度が一気に5℃ほど落ちたのではないか……そんな錯覚を覚えるほどだった。


吐く息は、ほう、とわずかに白み、肺の奥にまで冷気が染み込んでくる。


その街に、水川連たち9人の英霊は来ていた。


あの、デップリとした体躯の親父――交渉人に引率されて、である。


転移してきた先は、この都市が誇る巨大スタジアム。


初期配布の簡素な施設から、何度も何度も増設を重ねてきたのだろう。外観はすでに中規模スタジアムとしての風格を備え、近づくだけで圧を感じさせる。ごう、と低く唸るような存在感すらあった。


内部に足を踏み入れると、空気が変わる。


広々としたアリーナ席が、バスケットコートをぐるりと取り囲み、視界が一気に開けた。ざっと見渡しただけでも約4000席。その一つ一つが、これまでの勝利と歓声を蓄えてきたかのようである。


天井は壮大なドーム構造で、その全面が硝子張りになっている。透き通る天井越しに、冬特有の淡く冷たい自然光が、ゆっくりと、しかし確かに差し込んでいた。光は静かに落ち、コートの床をなぞるように照らしていく。


ぎし……。


微かに響く建材の軋み音すら、この空間では妙に重みを持つ。まるで、スタジアムそのものが呼吸をしているかのようであった。


光そのものが、これから生まれる戦いの気配を、静かに、しかし確実に受け止めようとしている――そんな錯覚すら覚える。


スタジアムだけではない。


街そのものが、どこか浮き足立っていた。


通り沿いには巨大な広告ディスプレイが無数に設置され、この街を本拠地とするチームのロゴ、選手たちのプレイ映像、勝利の瞬間が途切れることなく映し出されている。ぱっ、と光が切り替わり、次の映像へ。歩くたび、視界の端で光が踊り、音のない歓声が渦を巻く。


街の空気そのものが、チームの熱気に揺さぶられている――そう感じずにはいられなかった。


その名は、『rising sign』。


西暦XXXXX年現在、日本の『セカンドリーグ』で首位を独走する強豪チームである。来季には、日本最高峰リーグ『トップ12』への昇格が確実視されており、その勢いは日を追うごとに増している……というより、止まる気配がない。


さらに追い風は続く。


Basketball World Championshipに、日本から2チームが出場することが決定。予選が始まった今、『rising sign』は“台風の目”として、国内外から強烈な注目を浴びていたのだった。


今回の訪問は、その『rising sign』が練習試合を受けてくれたからである。


というものの、これは単なる幸運ではない。デップリ交渉人が、水川連たちの新人戦決勝で戦うであろう大本命――『Our battle cry』を想定し、「より格上の相手」として練習試合を打診していた、その中の1つのチームであった。


『Our battle cry』。

15話で登場した、勘解由小路かでのこうじが所属する、設立して間もない新チームである。潤沢な資金力を背景に、多数の召喚を敢行。弍估のような、神話級に迫る絶対的エースこそ不在ではあるものの、チームとしての総合戦力は、水川連たちを明確に上回っている。


新人戦で、弍估たちが優勝候補の一角として扱われ始めたことも、影響していたのだろうか。


はるか格上である『rising sign』から、まさかの練習試合受諾――その返答が、現実のものとして届いたのである。たとえ相手が2軍であったとしても、戦力差が途轍もないことに変わりはない。


2軍の役割は、あくまで1軍のバックアップと育成が中心。通常であれば、新設チームとの練習など「時間の無駄」と一蹴されてもおかしくない話だった。


だが――。


そこには、弍估がいた。


スーパーエースである彼女のプレイは、ある男の視線を、強く、そして静かに惹きつけていたのである。


その男こそ、『rising sign』のヘッドコーチ。


――――――五百旗頭いおきべ


年齢は50代。身長は190cm。元バスケット選手らしい、無駄のないしなやかな体躯を持ち、余計な脂肪は一切感じさせない。背筋は自然に伸び、その立ち姿だけで、周囲の空気がぴん、と張り詰める。


清潔感のある佇まいは、水川連達のヘッドコーチと兼任しているあの親父と、同じ「親父」枠に分類していいのか、思わず首を傾げたくなるほどだった。例のデップリ交渉人とは、まるで別種の生き物――いや、別次元の存在と言っていいのかもしれない。


“イケオジ”という言葉は、きっとこういう男のためにあるのだろうか。


ヘッドコーチの役割は、実に幅広い。戦略・戦術の立案、試合中の采配、選手育成、メンタルケア、さらにはチーム運営全般まで担う。いわば、チームの頭脳であり、象徴であり、要である存在だ。


そして――。


ヘッドコーチとしての五百旗頭の評価は、『S-』。


『rising sign』が、ここ最近になって目に見えて勢いを増している理由。

その一端は、疑いようもなく、彼――五百旗頭の指揮の鋭さにあった。


もっとも、本人がそれを誇示することは一切ない。

ベンチで声を張り上げることもなければ、腕を大きく振り回すような派手なジェスチャーを見せることもない。

ただ静かに、コート全体を俯瞰し、英霊達の配置や呼吸、わずかな間のズレにまで目を配る。

研ぎ澄まされた観察眼が、淡く、しかし確かに光っていた。


その沈黙の奥に潜むものが、どれほど危険なのか。

――それを正確に理解している者は、まだ多くはなかったのかもしれない。

静かであるがゆえに、気づいた時にはすでに手遅れ。

五百旗頭という男は、そういうタイプの指揮官であった。


新人戦の優勝候補として、じわじわと名が挙がり始めているチーム。

『small iron of gold』。


小柄な名前とは裏腹に、その中身は実に骨太で、実戦的だ。

そして、その中心に立つ存在――

①番(PG)ポイントガード弍估。


世間一般での評価は『A-』。

数字だけを見れば、確かに優秀。

だが、突出しているかと問われれば、首を傾げる者も少なくない。

「将来性はある」「安定感は高い」

そんな言葉が添えられる、いわば“優等生”のランクである。


――だが。

五百旗頭の見立ては、まったく別の次元にあった。


通常のスカウティング基準では測れない、“別次元”の視座。

そこから選手を見抜くこのイケオジは、弍估を『S-』、いや、それ以上の存在と踏んでいたのである。

一瞬の判断力、視野の広さ、流れを読む嗅覚。

どれを取っても、同世代どころか、上のカテゴリと比べても遜色がない。


下手をすれば、日本屈指――

いや、世界最強クラスにすら触れている英霊なのではないか。

そんな疑念が、ふと脳裏をよぎるほど。

彼女のパフォーマンスは、鮮烈で、圧倒的で、そして何より――

異様なほどに抜きん出ているように見えていたのであった。


弍估という存在は、この練習試合を通して『rising sign』2軍の英霊達に、否応なく強烈な刺激を与えるだろう。

肌で感じるレベルの差、思考速度の違い。

それは確実に、彼らの血を騒がせる。


というものの、五百旗頭の本当の目的は、そこではない。


狙いは、ただひとつ。

弍估の力を――“正確に測ること”。


将来、彼女が所属チームとの契約を解消し、自由契約となった、その瞬間。

その時、迷いなく獲得に動く価値があるのか。

戦力としてだけではない。

チームの歯車を変える存在になり得るのかどうか。

その判断材料を、この練習試合の中で、冷静かつ徹底的に集めようとしていたのである。


一方で、デップリとした体格の交渉人もまた、敵ヘッドコーチの意図にはすでに気づいていた。

視線の動き、コートへの入り方、無駄のない立ち位置。

――ああ、測りに来ているな。

そう察したのである。


というものの、それを差し引いても、この練習試合がチームにもたらす価値は計り知れない。

強者の視点で晒されること。

それ自体が、何よりの経験になる。

だからこそ、彼はこの場を受け入れていたのであった。


本来であれば、チーム最高責任者である1軍ヘッドコーチが、2軍の練習試合に顔を出すなど、まずありえない。

形式上も、常識的にも、越える必要のない一線だ。


――だが『評価S-』の五百旗頭は、その常識をあえて踏み越えた。


2軍の練習試合でありながら、自ら指揮を執る。

その選択ひとつが、すでに“本気”の証明であった。

コツ……コツ……。

床を鳴らす足音は小さい。

というものの、その一歩一歩が、空気を確実に変えていく。

彼は無言のまま、静かにコートへと足を踏み入れていたのである。


ウォーミングアップを終えた両チームの英霊達が、整然とラインに並び、コートへ歩み出す。

シューズが床を擦る――キュッ、キュッ……。

体育館の空気が、じわり……じわり……と張りつめていくのが、誰の目にも分かった。


わずかな足音さえ、妙に大きく、重く響く。

これから始まるのは、ただの調整試合ではない。

“本気のテスト”。

その気配を、誰もが無言のまま察し、自然と息をのんでいたのであった。


チーム『small iron of gold』のスターティングメンバーは、以下の通り。


① 弍估 PG/S+ 186|速9 持7 強10 技9 射9 心9|SK: 1o1/QS

② 水川連 SG/C+ 191|速7 持8 強7 技7 射7 心9|SK: GS/RS

③ k-two SF/C+ 194|速7 持9 強7 技7 射6 心7|SK: END/SCR

④ 24 PF/B- 206|速7 持7 強9 技7 射6 心7|SK: SCR

⑤ JJ C/B- 212|速7 持7 強7 技7 射7 心7|SK: EQ/RIM


現在9人いるメンバーの中で、もっとも評価が低いのは水川連である。

能力値だけを見れば、確かに物足りない。

当たり負けしやすく、シュート力も平凡以下。

というものの、彼には明確な強みがあった。


『オフザボール』の動き。

スクリーンの入り方、カットインへの一歩目、空いたスペースへの滑り込み。

そして何より、弍估との相性が抜群だった。

彼女の視線が向いた瞬間、そこに“いる”。

その感覚が、自然と噛み合っていたのである。

結果として、彼はスターティングメンバーに名を連ねることになっていた。


一方、ラフプレイを得意とする3人――

鬼頭御影181cm(評価B+)、丹埜十字179cm(評価C+)、篠山口188cm(評価B-)。

長い時間を共にプレイしてきたことで連携は良好で、弍估との相性も決して悪くない。

身体をぶつけ、流れを断ち切る役目。

というものの、チーム戦術上、彼女を休ませる第2Qを任される布陣となっていた。


そして、黒井烏198cm(評価B-)。

ロングシュートを武器とする、強力なポイントゲッター。

――だが①番の女からすれば、彼のオフザボールの動きには、どこか物足りなさを感じていたのだろう。

止まる時間が長い。

判断が半拍遅れる。

結果として、“相性”という理由で、スターティングメンバーからは外されていたのであった。


対する『rising sign』2軍のメンバーは、以下の通り。


⑪ | PG | 評 : 伏せ | 184cm

⑫ | SG | 評 : 伏せ | 199cm

⑬ | SF | 評 : 伏せ | 201cm

⑭ | PF | 評 : 伏せ | 203cm

⑮ | C | 評 : 伏せ | 208cm


平均身長は『small iron of gold』と、ほぼ同等。

身長差によるミスマッチはごくわずか。

――いや、ほとんど存在しないと言っていい。


この練習試合を通じて、水川連達は、嫌というほど思い知ることになる。


『rising sign』ヘッドコーチ、五百旗頭という男が持つ、

その“恐ろしさ”を。

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