case 2 正常な、安定した生活空間
「なあ神様よぅ……もしいるんなら、もう一本だけ酒をくれねぇかい?」
硬いコンクリート製の床に寝そべり、空っぽの酒瓶をふりふり、と揺らす。
世に問題はただ一つ。
空っぽの酒瓶。
そうだ……きっとそうなのだ。
そう思っていなければ、切り詰めに切り詰める為に三日に一回の缶詰ひと缶と体力の消耗を避ける為の行動制限などやってはいけない。
幸い、ここは廃棄予定のダム施設を再利用した要塞、水には事欠かない。
人間水のみでも数日なんとかなるものだ。
……その水質を考慮しないのであれば。
「ちっ、なにをブツブツ言ってるんだ、このアル中のクズが」
そうした状況だからか、隣に座っている男はいつもイライラして、外回りの時に使う消化斧から手を離そうとしない。
そんな男が隣にいるもんだから、俺が気分良く酔っていて口から出た神様への酒の無心を、俺は慌てて弁明する他無かった。
「し、仕方ないだろ?それに、この酒は俺がここに逃げてきた時に必死に持ってきたもんだ」
「はっ、その酒がどこのかなんて知るかよ。倉庫の缶詰の数さえあってりゃそれでいい。アンタが死のうが、知るもんか」
じゃあ俺の独り言も無視してくれよ、とは流石に言えなかった。
気分良く酒に沈んでいたのに急に現実に戻された俺は、今日までちびちびと有難く、貧乏人臭く飲んでいた酒を一気に呷って無理矢理にまた微睡もうとした。
「なんだってこんなアル中が俺の相棒なんだ……」
「一人でゾンビどもの彷徨く外を巡回したいならどうぞ?俺は止めねぇぞー……」
「くそっ、もし奴らに囲まれでもしたら真っ先にアンタを差し出してやる」
イラついている男、俺よりも一周りも二周りも若い青年がこちらを睨む。
初めましての時はこんなんじゃなかったはずなんだが……どうしてこうなったのか。
そもそもとしてだ、青年の方からこちらと組んで外回りをして欲しいと言ってきたと記憶しているのだが。
いや、これもひょっとしたら酒が産んだ都合の良い記憶か?
俺は完全に酒で判断能力を失っている自分が可笑しくって上機嫌な笑いが閉じた口から漏れる。
「そうなったら俺が全部殺してやるさあ、歩くだけの奴らにどうしてやられるんだよお……」
本当に分からない。
知性もなく、歩くしか出来ない。
肉体の耐久度も腐りかけという事もあって柔らかく倒しやすい。
アレらがどうして脅威になっているのか、不思議でならない。
「……人殺し」
「んぅ?それってどういう意味だあ……」
酒気がようやく脳みそを浸し始めたありがたい感覚にまた身を任せて微睡み始める。
隣に座って何故か酷くやつれ、疲れきった顔した青年も、俺の脳みそが酒でひたひたなのを察してかそれ以上何も言わなかった。
次に俺が微睡みから叩き起こされたのは、外回りの時間になった時だった。
外回り、そう俺達が呼ぶソレは未来の暗い現状を少しでも、例えそれが足元だけしか照らさない光だとしても照らす為に俺達が行う外出の事だ。
「狩猟用の罠の数はー……五だっけか」
「違う、七だ。マジでしっかりしてくれ、アンタが頼りなんだ」
隣に立つ青年には適当な返事で返しながら、酒瓶を呷る。
残念ながらちょっと前に一気飲みしたばかりだから中身は水だが、それでも酒を飲んでいる気分には浸れる。
ついでに水の不味さで現実に引き戻されるんだから、一石二鳥だ。
「いつも通り、俺が先頭を歩く。今日は罠に獲物が掛かっているといいな」
外に繋がる唯一の重い鉄扉を開ける。
少しだけ寒くなり始めた季節を乗せた空気が肺によく染み込んで、思わず着ているコートをきつく閉めた。
外回りの意味は大きく二つ……だと俺は思っている。
一つは歩く腐った死体ども……ゾンビの警戒と可能なら対処。
奴らは動きは遅いが数は多い、人間の数が元々多いからそれらの大半が歩く死体になった以上当然だが、どこにいっても大抵奴らがいる。
油断してたり処分を怠るとすぐに俺達の拠点近くをうろつく。
そうなると当然、狩りが上手く行かない。
そう、狩りだ。
二つ目の理由は少なくなる食糧への対策としてダム周辺の山に設置した狩猟用の罠の設置と確認だ。
ダムという施設の設置場所からして当然といえばそうだが、川や山、そうした場所とほど近い。
「一つ目の周辺だ。確認は僕がするから、アンタは警戒しててくれ」
金属製の粗雑なケージが見え始め、青年が先に行く。
「あいあい。好きにしてくれ」
先端が割れた鉄パイプを地面に突き立て、ゆるく寄りかかる。
欠伸が出る。
ここ最近大規模なゾンビ狩りをして間引いたおかげで全くゾンビを見ないのもあって、眠気が襲ってきて止まらない。
「アンタ……」
青年が確認を終えて戻ってきた。
「お?おぉ……いや、な?ちゃんと警戒してたぜ、バッチリだ」
実際物音一つしない平和な山だったから問題はないだろう。
そう思っているのは俺だけのようで、二つ目の設置罠への確認の道中、青年のありがたいお説教を喰らうハメになった。
やれ注意力が足りないだとか、真面目に仕事をこなしてくれだとか。
そんな言葉を聞くともなしに聞いて、ようやく二つ目の狩猟罠の付近まで着いた。
「んじゃあ坊主、罠の確認頼むぜ」
「坊主って歳じゃ……、本当に、失礼だなアンタは」
雲一つない快晴に、太陽……。
気温が低いのが傷だがそれ以外はまるでピクニックみたいだ。
気分が良い。
鼻歌でも歌おうか。それがいい。
ついでに、俺の記憶力が完全に酒でふやけていないか確かめるとしよう。
「その失礼な奴と外回りのコンビ組んだのはどっちからだったかなあー……」
どうにも最近記憶があやふやだ。
まあ覚えていたとしても大した記憶は無いのだが……。
青年は罠を慎重に外しながら、こちらを見ることもせず返事を返す。
「ぐぅっ……、そ、それは……。僕からですけど。こんな酔っぱらいのどうしようもない人だと知らなかったんですもん!」
青年のいまいち勢いの足りない反撃が返ってくるが、今の俺は上機嫌だ。
普段なら耳の痛い青年のお言葉は俺には効果は無かった。
「その話は僕の最大の恥ですから、もうしないでください。ほら、次の罠に行きますよ!」
強引に話を打ち切ろうと青年は罠に掛かっていた兎を処理し、バックパックに括り付けて立ち上がる。
俺はいつも通り、へらへら笑ってその後をついていった。
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