第2話 ちょっと待って?

「私が地下の騒音に釣られたゾンビを発見するのと、彼が車のエンジンを掛けるのはほぼ同時で――」


 そこまでトキが語った所で、俺は申し訳ないと思いつつも彼女の話を遮る。


「なあ、トキ。悪いんだけどさ……このシチュエーションさ」


「うん」


「話の設定からして非力で食糧も十分に無くて栄養失調気味の少女でも殺せるって事はさ」


 そこから先の言葉は出なかった。


 二人ともわかっていたのだ。

 前提やノリと流れで即興で作った小説とは言え、このゾンビは弱い、と。


「このシチュエーションのゾンビは駄目だな」


「やっぱり?」


 後半あたりからトキの表情に陰りがあったのは知っていた。

 本人もこの設定の矛盾や至らなさを自覚していたのだろう。


 そも、身体能力が高いと言ってもトキの話した小説の話にはなるが明らかに動物の様に習性や行動に癖があったのだ。


 となればそれは理解不能な化物ではなく熊や虎などにカテゴライズされる存在と何ら変わらないはずだ。


 すなわち、危険ではあるが明確に生態が解明されていて身体構造や弱点も割れている生物、だ。


「音を鳴らせばその音の種類や高低を問わず必ず反応し、更には如何に凶暴な習性を得たと言っても人間の皮膚に人間の骨……つまるところ人間のスペックを逸脱する事は基本的に無い」


 敢えて口に出して箇条書きをするように一つずつ特徴を上げていく。


「これさ……崖とか、爆弾を大量に設置してあるところにスピーカーとかで大音量流すだけで大量駆除出来るよな?」


「うぅっ……やっぱり?私もそう思ったんだよね」


「いやだが……上半身だけで走るゾンビなんかは良かったと思うぞ?多分人間食っても胃に収まらずにそのまま咀嚼した肉片が断面図から溢れる奴だな」


 想像するのは随分と間抜けな絵図。

 だがゾンビ映画でもそうそうお目にかかれない珍しいシーンだろうと笑ってしまう。


 千切れた断面から食っても食っても溢れるからいつまで経っても飢えが満たされず、食って、足元に溢れて……それを延々と繰り返す知能の無いゾンビ。


 うん、中々いい光景だ。


「結論を出すなら……やっぱり身体能力が高いだけのゾンビは人類へ致命的なダメージを与えるには足りない?」


 トキは湯気の立つボウルからとうもろこしを一本取り出し、慎重に一粒ずつほぐし、底の深い皿に落としていった。


「まぁ、だろうな。あぁ、トキ。水をちょっと取ってもらえるか?」


「あー……まだ出たっけ?」


 台所に向かったトキは水道の蛇口を捻る。


 ちょろり、と喉の乾きはおろか乾いた土塊一つ潤せない量しかその蛇口からは出なかった。


「ま、そうだよね。持ってきた水あるから、そっち飲みなよ」


「勿体無いが、まぁ仕方ないか」


 トキが先程まで座っていた場所の側には、ペットボトルに入った幾つもの水があり、俺はそのうちの一本を貰う。


「それで?次はどうする?いっそ進化や強化したゾンビでも考えてみるか?」


 進化?と聞き返すトキに頷いて話す。


「ほら、よくあるだろう?口から強化された胃酸を吐き出したり、長くなった舌でこっちを拘束してきたりする……突然変異?したみたいなゾンビがよ」


「それって……」


 トキの言わんとする事は分かる。


 ゾンビモノにはよくある話の、ゾンビじゃないよねそれ?って枠だ。

 だが世に出ている多くのゾンビ映画がそうであるように、そういった存在が出るのには理由がある。


 それは勿論、ただのゾンビだけだと足りないからだ。


「そもそもさ、今回のテーマはどうしたらそういう枠がでないかって話だよ?本末が転倒しちゃうじゃん」


 だがなあ、と溜め息と共に手詰まりを感じて零す。


「まあとりあえずさ、そういう話もしてみようぜ?試しにって奴だよ。なんか見えてくるかも知れねぇしよ」


 それに、どこまで強化や設定を盛ってもゾンビと呼べるかの指標になるかも知れない。


 果たして走るゾンビはゾンビであるのか。


 果たしてジャンプしてショッピングモールの屋上に到達出来るゾンビはゾンビと呼ぶべきか?


 人の形さえ保っていたらどれほど強化してもゾンビと呼ぶのか?


 そんな考えでトキを説得してみれば、彼女は渋々ながらも、


「じゃあ話してみなよ。聞いててあげる」


 と言ってくれた。


「けれど……アンタのその考え、どっちかと言うと禅問答や哲学の話みたいだね」


「ん?」


「ほら、ゾンビじゃなくてもさ。どこまで失ったら、どこまで変わったら本質を失うか、みたいな問いに感じない?」


「テセウスやスワンプマンみたいにか?」


 うん、とトキは頷く。


「例えばさ、ゾンビに変わりつつある人間は果たして人間と言える?ゾンビなのか?それともまた人間なの?」


 それがゆっくりと変異していくなら尚の事、ね。とトキは一言ずつ確かめるように、あるいは噛みしめるようにして話した。


「……今はその話はしたくねぇなあ。それよりほら、今はこっちの話だろ?」


 取り敢えず舞台の設定か。


 突然変異、というならばそうせざるを得ない状況があっての事だろう。

 安定の中から変化は起きない。


 ならば、そうだな。


「ある程度人間達がゾンビへの対抗策も出来て安全な、正常な生活空間を作り出した後の話であるべきだな」


「ふむ、ゾンビは餌となる人間が取れなくて困って、だから自身に対して変化を促した、と?」


 その設定でいいだろう。


 これならゾンビ達が進化したとしても違和感は無いはずだ。

 ゾンビが主役ではなくなる……かもしれないが。


 場所は高所、ゾンビ達が入ってこれないように、かつ既存の建物の改良がいいだろう。


「廃棄されたダム施設なんかがいいか。もとより頑丈に作ってあるしなにより水質や清潔かは賛否あるが水がある。そこで生き残り達がなんとか生きてる、とかか」


 今度は俺が語り部か。


 居住まいを僅かに正してトキの真似をして脳内で考えた即興の小説を朗読していく。


「低い賃金、鬱陶しい上司、だがそれこそが人生で世に問題は一つだけ。空っぽの酒瓶に既にシケモクすら通り越したタバコ……そうだと思っていた」


 脳内で作った世界には一人の男がいる。


 うだつの上がらない人生だが、それこそが人生だと自分を騙して慰め、普通である事を愛そうと努めた無精髭が目立つ中年のやさぐれた男……。


「だが現実は?それ以上の問題に、まるで映画の世界に迷い込んだみたいだ。ゾンビだと?冗談はよしてくれ」


――――――――――――――――――――――――

後書き


 やっぱりゾンビだけだと主役は厳しいって(今更)

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