第3話 子どもの疑問

 天を月が支配する夜、地上にもまた月が生まれる。

 天頂の満月に歯向かう様な鋭い月。

 その月は幾度となく向きを変え、地を駆ける。


 一振り・・・二振り・・・――


 月光が瞬く・・・・・度に、影が飛沫を上げて倒れる。


 ……刀だ。


 鋭利な刃が満月の輝きに晒されることで、発光している様に見えたのだ。

 刃は躍動し、みるみる影を積み重ねていく。


 当然の成り行き。

 必然の結末。


 自然とそう思わせる刃は、どこまでも無慈悲で冷酷だ。

 

 ドサッ


 剣戟の前に最後の標的が倒れ、辺り一面が静寂に包まれる。

 

 ……ああ――


 あの閃きを、ずっと眺めていたい。

 これから先、何十回、何百回と見ようとも、飽きる日など来ないのだろう。


 鮮烈な刃の冴えは目に焼き付き――感嘆が零れだす。


 静と動の極致。

 闇夜の如き静謐と狂風の如き激動の連続。

 才と鍛錬と実戦の集大成たるその姿。


 どれ程の年月を費やせば、あの刃に至れるのだろうか。


 想像もつかない。

 あのりそうに辿り着く為に、担い手は何を踏みにじり、何を捧げてきたのだろう。


 天満月が黒にも見える濃紺の長髪と刃を照らし出す。


 対照的な黒と白は、決して混ざらない。

 しかしその男と刃ふたつは、紛れもなく剣士ひとつだ。


 そんな完成された剣士そんざいを見て――


「綺麗だ」


 純粋にそう思った。


 


「なあ……じいさん」


 シャッ――ガチャガチャ


 鉄錆の生々しい臭いが周囲に広がる中、俺は手を動かしつつ、じいさんに話しかける。


 しかし反応はない。


 こえなど元々無かったかのように、周囲は再び静寂に包まれる。

 こちらの耳に届くのは、鉄同士の擦れる虚しい金属音だけだ。


 ……面倒だな。

 

 ちょっとした作業・・・・・・・・が終わったタイミングで、屈んでいた視線を上げる。


 今にも泣き出しそうな空模様。

 沈黙を貫く厚い雲の下に、俺が呼びかけた相手――じいさんはものも言わず佇んでいた。


 いつもの服に濃紺の髪。

 鋼の様な筋肉はしかし、どこかキレがない。

 左腰に差された二振りの得物かたなとけんは頭を垂れ、担い手の瞳は憂いを帯びた深い漆黒に彩られている。


 ……まるで聖人だな。


 実際に見たことがあるわけではないが、なんとなくそう思う。


 愛しむように。

 偲ぶように。

 冥福でも祈る・・・・・・ように、漆黒の瞳を伏せるその姿は、正に殉教者だ。

 そのまま宗教画になったとしても、驚くことはあるまい。


 ……けれど。


 だからこそ・・・・・

 じいさんが神聖で崇高に見えれば見える程……訳が分からなかった・・・・・・・・・


 本当にありとあらゆる意味・・・・・・・・・で。

 じいさんが何を考えているのか、何をしたいのか、理解できない。


「はあ……」


 呆れの対象に、仕方なくもう一度呼びかける。


「おい……じいさん」


「うおっ!」


 ほんの少し語気を強めると、じいさんは大袈裟に驚く。


 ……喧しい。


 神聖なる沈黙は失われ、騒がしい大男がいつも通り顔を出す。


「な、何だよ……エヴェナ。驚かせんなよ」


「別に驚かせるつもりなんてないよ。作業終わったぜ?」 


 自身の足元に視線を向ける。

 それを大男の漆黒も追いかける。


 足元そこに並んでいたのは武具だ。


 剣、刀、槍、弓……。

 大小問わず多種多様な武器の数々が、窮屈そうに縄で纏められていた。


「なあ……毎回こんなに武器を集める必要あるのか?

 路銀にするわけでもないし。


 わざわざ持ち運ぶなんて重いだろ?

 そもそもじいさんには自前の刀と剣があるし」


 じいさんの腰には金鍔の刀と銀鍔シルバーガードの剣が、いつも通り一振りずつピタリと寄り添っている。

 三位一体という言葉がこれ程似合っている存在を、俺は他に見たことがない。


「それなのにこれだけの武具を集めさせるなんて、そいつら・・・・に嫉妬されても仕方ないぜ。

 可哀想だから、俺が貰ってやろうか?」


「やるわけないだろ! お前の腕じゃあ、まだまだ早い!」


 じいさんはそう言って、腰の二振りをこちらの視界から隠す。


 ……身体の大きさに反して、随分とケチだ。


「誰の腕がまだまだだって?」と文句を言いたかったが、ぐっと言葉を飲み込む。

 じいさんに勝つどころか、腰の得物ふたふりすら未だ抜かせたことすらないという事実が、俺を黙らせる。


 こちらのそんな心境も露知らず、じいさんは纏められた武器たちを一瞥する。


「そもそもこの刀剣たちこいつらは、俺だけの武器もんじゃねえだろ?

 お前の・・・もあるだろうが!

 というかむしろお前が使う武器の方が多いだろ! いつもすぐ折っちまうし!」


「……何年前の話してるんだよ。

 最近はじいさんとの手合わせでも、全く折ってないじゃないか。


 そもそも武器が壊れた時の犯人って、大抵じいさんだったろ?

 俺に罪を擦り付けるな」


 先述した通り、じいさんとの手合わせは今も続いている。

 以前と比較すれば、大分対抗できるようになっている。


 ……しかしそれでも――


 じいさんの本気を目にしたことはない。


 勝利の気配など微塵もない。

 おそらくその巨大な背中は、未だ遥か彼方にあるのだろう。


 ……憎たらしいじいさんだ。


 理不尽なまでに強い。

 きっとこれまでも、各所で恨みを買っていたに違いない。


「前、じいさんが本気で刀を振った時の事を忘れたのか?

 ただの素振りで柄を破壊して刀身も折るなんて、どんな怪力なんだよ。


 お伽噺の怪物か何かなのか?」


 あの時の事は忘れない。

 恨みも忘れない。


 俺が丁寧に手入れしていた刀を、じいさんが「振ってみたい」などと唐突に言い出したのだ。


 不承不承、渋々、嫌々ながら――この男にそれを渡してしまったのが運の尽き。

 お気に入りだった刀は、完全に破壊されてしまった。


 柄を握り潰され、刀身が真っ二つになった刀を目にした時は、血の気が引いたものである。


 冷めた視線をじいさんにぶつけると、何を勘違いしたのか頬を赤らめる。

 ムキムキ大男の初心そんな反応に、怖気が走る。


「ほ、褒めても何も出ねえぞ?」


「褒めてない。手合わせどころか素振りで刀をへし折る雑さ加減に呆れている」 


 こちらの真っ当な指摘に、じいさんの額からタラリと汗が滑り落ちる。

 山の天気の様にコロコロと百面相するじいさんの様子は、正直ちょっと面白い。

  

「ま、まあ……俺も人間だからな! そんな失敗の一つや二つあるさ!」


「普通の人間の素振りで刀は折れないよ。

 大体、じいさんの失敗なんて一つや二つじゃ済まないだろ?


 昨日だって、じいさんの油断のせいで狩りが失敗したし。

 なんでやたらと気配を消すのが上手い奴が、狩りの最中にくしゃみなんてするんだ?」

 

「……」


 俺の詰問に耐えられなくなったのか、じいさんは目を逸らし、口を結ぶ。


 ……言い負かされそうになったら黙り込むなんて、子どもか。


 いい年した大男のそんな姿を、誰が見たいというのだろうか。

 ちらちらと時たま瞳がこちらに向けられるのが、猶のこと鼻に付く。


 ……まあ、いいや。


 息を大きく吸い、吐く。

 自身を鎮めて、心を仕切り直す。


 この男と過ごすなら、これぐらいの切り替えの早さがなければ生きていけない。


 じいさんはそんな俺を、不思議そうに見つめる。


「なあ、じいさん」


 ……丁度良い機会だ。


 代わりと言ってはなんだが、ずっと・・・疑問に思っていたこと・・・・・・・・・・を、ここで解消してしまおう。

 

「じいさんは、妙に『騎士』とか『剣士』に拘るよな?」


「お前、俺と一緒にいて何年目だ?

 俺が拘ってるのは『騎士』であって『剣士』じゃあない。


 騎士と剣士は全然違うんだぞ?

 剣士はその名の如く『剣の術理を扱う者』だろう?

 騎士とは根本的に違う」


 呆れた様に告げるじいさんに言い返す。


「それに則るなら、騎士って『騎乗する者』って意味になっちゃうだろ?

 馬とか動物に乗ってるだけで騎士ってことになる。


 剣すら持つ必要ないじゃないか」 


 こちらの反論に「ホント無駄に屁理屈こねるのだけは上手い奴だぜ」と、じいさんは苦虫を嚙み潰したような顔をする。


 ……それはこっちの台詞だ。


 じいさんにだけは、言われたくない。


「……まあ、確かに? 原義としての騎士にはそういう意味もある。

 だが、この国において『騎士』の呼称が意味するのは、決してそれだけじゃない」


 じいさんはそう言うと、腰に手をやる。

 差された二振り。

 歪に描かれた十字の内、銀鍔の加護の元にある柄が握られる。


「主に仕え、主を支え、主の力となる。

 時に自身の誇りを盾とし、勇気を剣とする。


 それがあるべき騎士の姿だ。

 誉ある素晴らしい職業なんだぞ?

 実際この国では、主に尽くす忠節の物語として騎士が主人公の話も多いし、騎士と姫の恋愛譚なんかも多い。

 古くは――」


 じいさんの舌が回り始める。

 

 いつもこうだ。

 この巨漢は騎士の話になった途端、べらべらと暑苦しく語り始めるのだ。


 ……鬱陶しい。


 しかしそれ以上に疑問は募る・・・・・


 どうして・・・・この状況でじいさんは・・・・・・・・・・ そんな風に語・・・・・・れるのだろうか・・・・・・・


「そんな熱く語られても反応に困るぜ?

 そもそもじいさんは、騎士なんかじゃないだろ」


「なっ!」


 理想を語るじいさんを遮るように、現実を突きつける。


「大体、騎士とじいさんなんて月とスッポンだろ?

 皆小綺麗な格好してるし、じいさんみたいに無精髭生やしてない。

 それに何より――」


 俺は周囲を見回す・・・・・・


 広がっているのは――


 鉄によく似た生臭さ。

 赤黒く染まった地面。

 倒れ伏し、二度と動かなくなった鎧の人形たち。

 

 生き物の温もりも命の鼓動もとうに失われた、冷たい騎士共の遺体・・・・・・だ。

  

騎士共こいつらは、じいさんに手も足も出ない奴らじゃないか。

 どうしてそんな存在にじいさんが拘るのか、まるで理解できないぜ?」


 溺れそうな血の海の中で――俺はじいさんにそう尋ねた。

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