2.廃屋

「一度訊いてみたかったんですけど」

「なんだ? 柊」

「久夜さんて、運転免許を持ってるんですか?」

 掘り出し物があるという場所に向かう車中、柊は久夜に問いかけた。


「ふっ、愚問だな。俺はなんでも持ってる。今だってこの木の葉一枚あれば何にでも変えられる」

「……つまりは持ってないってことですね?」

「そうとは言ってない。つまりはここから広がる可能性の問題だ」

「なんだかもういいです……本当に愚問でした。それ、渡してください」


 柊は久夜が弄んでいた木の葉を取り上げると、開けた窓の隙間から手放した。ダッシュボードの上に迷い込んでいた枯れ葉は、後ろに流れていく夕闇に紛れてすぐに見えなくなる。


「あー、せっかく俺が手品を見せてやろうと思ったのに」

「手品でも魔法でも別に見たくはないです」

「まぁ、そう言わずに」

「本当にいいです。それより久夜さん、この次、左です」

 柊は手元の地図を見ながら久夜に伝えた。

 二人が乗る車は既に幹線道路を外れ、歩道もない細い道路を走っていた。久夜が運転するワンボックスワゴンは指示どおりに左折をし、そこから続く竹林の中の一本道を進んでいくことになる。


「少し揺れるな」

「そうですね」

 早めに灯したヘッドライトが照らす路面状態はあまりよくないようで、年代物の車はあちこち軋み音を発しながら暮れゆく道を進んでいく。時に大きく揺れる車体に身を任せながら、柊は隣の運転席を窺った。

 さすがの久夜も下駄での運転は可能ではないらしく今は履いていないが、次なる選択肢と言えば結局裸足だ。安全上問題があるようにも思うが、彼は何も気にするでもなく鼻歌混じりにハンドルを握っている。


 久夜は時折このように連絡を受けて、不要品を引き取りに行くことがある。そのために車の後部シートは外してあり、必要な細々した物も端にまとめて常に置いてあった。

 柊は久夜に言われて毎度同行していたが、何かの役に立てているとは思っていなかった。行ったところで品物の価値も計れず、何がよくて何がいいものなのか全く分からない。けれど久夜の方は毎回それらしき品を目敏く見つけ出し、のちに適当な値段をつけて手際よく売り捌いている。

 その一連の流れには毎度詐欺師的要素を感じるが、品物を買い取る方もそれなりに怪しく見える時がある。双方がお互い様だと結論づければ、それでいい気もする事柄なのかもしれなかった。


「ここみたいだ」

 店を出て四十分が過ぎた頃、延々続く竹林の終点に辿り着いていた。

 車の窓から見上げてみれば、そこには霧雨堂よりもっと古い時代を思わせる家が建っている。経年を感じる風合いを持つ木造の二階建て。全体に泥汚れが目立つ雨戸は全て固く閉じられている。

 周囲に他の家はなく、それどころかこの道に入ってここに辿り着くまで他の建物は一切なかった。車を降りて歩み寄るが、家に人がいる気配はない。生い茂る雑草や建物の色褪せた様子からかなりの長い間、人の住処として使われていないことが窺えた。


「玄関前の植木鉢の下に鍵があるから、勝手に入って、勝手に持っていっていいってことだったな」

「そう、ですか……」

 言葉どおり枯れた盆栽鉢の下を探ってみると確かに鍵がある。その鍵で玄関戸を開ける久夜の後を追って、柊も家の中に足を踏み入れた。


「あー、こりゃあ酷いな」

「そう、ですね……」

 まだ玄関先に立っただけだが、久夜の言葉に同意するしかなかった。人里離れた場所であることも災いしてか、どうやら所謂肝試し的な場所として扱われているようだった。

 玄関先から見通すと、暗い廊下が続いている。その左右には襖があったはずだが、どれも倒されたり傾いたりしている。電気も通っておらず、雨戸が閉まっていることもあって家の中は夜中のように暗かった。

 いつも価値も知れないがらくた収集ばかりをしているように見えるが、こういった時の久夜は周到だった。早速持参した懐中電灯を灯すと、その荒れた様子がより闇に浮かび上がっていた。


 視界に入る全ての場所に煙草の吸い殻や空き缶、ゴミが散乱している。玄関の鍵は掛けられていたはずだからこの状態を柊は不思議に思うが、裏手に繋がる掃き出し窓が無残に壊されているのを確認した。もっと見回すと置き去りにされていた箪笥や様々な家具の中身が乱暴に荒らされ、辺り一面に散らばっている。

 人の家をこのように勝手に荒らす不法者に柊は少なくない憤りを感じていた。でも自分が何かを思っても仕方がないようにも感じていた。自分はここから物を運び出したり、簡単な掃除をするための要員としてついてきただけだ。家の持ち主に向ける同情は不要のようにも思える。しかし今ここで不法者と対峙したなら、自らでも予測しない行動を取ってしまいそうだった。


「久夜さん……?」

 周囲は水を打ったようにしんと静まり返っていた。その中、不意に足元を冷たい風が吹き抜けていった。

 思わず辺りを見回すが、傍にいたはずの久夜の姿がない。

 呼びかけにも返事は戻らず、彼が近くにいる気配もしない。

 壊された窓の外は、もう深い闇に包まれようとしていた。再度風がどこからか吹き抜け、ひやりとした感触で頬を撫でていく。

 この場所に到着するまで相応の時間がかかったとはいえ、決して絶海の孤島に取り残された訳でもない。しかし不穏な何かを感じ取って、柊はその場から動けずにいた。


 この家に限らず、柊はこのような伝統的日本家屋全般が好きではなかった。霧雨堂の店舗奥から繋がる住居部分も古いが、高度成長期にあったような和洋折衷の妙ちきりんな感じで日本家屋と呼ぶようなものではない。

 襖を開けても開けても、次があるような無間地獄を思わせるその感じが好きではなかった。どちらかと言うと嫌悪にも似たものがあるのかもしれない。

 その光景は自分が育った環境を否応なしに思い出させる。普段あまり深く考えないよう努力はしているが、今のように油断してしまうとつい思い出してしまうことを避けられなかった。


「久夜さん、どこですか?」

 懐中電灯で闇を照らしながら再度声をかけるが、やはり返事はない。不安が増し、急激に周囲の闇の濃度が濃くなった気すらしていた。

 何か用があって一旦家の外に出てしまったのかと柊は玄関に向かおうとしたが、ぎぃ、と背後で軋む音がして足を止める。


「……久夜さんですか?」

 呼びかけるが、また返事はない。もしかしたら誰かがいるのだろうかと思うが、その気配は今もしない。

 それとも久夜はこの家のどこかで、退っ引きならない状況に陥っているのではないだろうか。今の音は彼が発した微かな救援信号なのかもしれない。そんな状況に彼が陥っているとは考えにくいが、何事にも例外というものはある。


 柊は音がした方に一歩足を踏み出した。すると腐敗した畳にずぶずぶと足が甲まで沈み込む。あまり考えたくないが久夜はどこかで床を踏み抜いて、縁の下にでも落下したのではないだろうか。

 もし、もしもだが、彼がいなくなったら自分はどうなるのだろうか。

 再び居場所を失い、失うだけならいいが、また〝あの場所〟を思わせる場所に連れ戻されてしまったら? そう考えただけで足元が眩む。でもそのように考えてから、久夜の無事よりも自らの保身ばかりを先走らせた自分に嫌悪が過ぎった。


 柊はもう一度久夜の名を呼ぼうと闇に光を照らした。しかしその闇に自らの過去が蹲っているようなまぼろしを見て、思わず光を逸らす。だがそれでは駄目だと再度顔を上げた時に肩に手を置かれ、軽い悲鳴を上げた。


「ひ、久夜さん……」

「なんだどうした? そんな青い顔して」

「いなくなったかと」

「はぁ? 急に懐中電灯の電池が切れたんだよ。その代わりを取りに行ってただけだよ」

「……電池が?」

「でもまぁ、ひと言言ってから行けばよかったかもしれないな」


 久夜は暗い部屋で頭を掻きながら苦笑している。

 その真相を聞けば心配したようなことは何も起こっておらず、全く大したことではなかった。

 張り詰めた緊張が解け、柊は安堵するがその時何かに足元を取られ、よろける。

 咄嗟に体勢を取り戻そうとするが、その前に久夜に抱き留められていた。いつもならすぐに身を離すはずだが、今はなんとなくそうしていたい気がして柊はそのままでいた。


「どうした? 怖かったのか」

「たぶん……そうです……」

 自分でもらしくないと柊は思う。

 久夜がいなくなるかもしれないというそれは、ない未来ではない。自分からこのように距離を詰めれば、その分失った時のつらさが増す。

 けれど感情は自分の思いどおりにはならない時もある。このようにらしくない態度を取ったり、いずれ自己嫌悪に陥るようなことを考えてしまう。


「俺はもう少しこうしていたいけど、どうする?」

「もう、大丈夫です……久夜さん、ありがとうございました」

「なんだか礼を言われると途端に色っぽい話じゃなくなるんだけど」

「元々……色っぽい話じゃないです」

「そっか、それじゃそういうことにしておくか」


 久夜の腕が背中から離れ、身体も離れていく。名残が心の中に留まろうとするが、先程の思いを蘇らせればそれを振り払うことはそれほど難しいことではなかった。

 柊は久夜に背を向けると、手にした懐中電灯を彼とは逆のまだ見ていない方に向けた。自らの気を逸らす行為ではあったが、光の先に見えた光景は思いも寄らないものだった。


「久夜さん」

「なんだ柊、今度はどうした?」

「誰か、います」


 懐中電灯は深い闇にある仏間をぼんやり照らし出していた。ほぼ腐り落ちたその畳の上にうつ伏せで横たわる人影がある。

 顔は見えず、体型から男性だと分かるがその身に何も纏っていない。一体どうしてそうなったのか、その人物は全裸状態だった。


「ああ、きっとこれだ」 

「えっ……これ?」

「掘り出し物」

 だが久夜は目前の光景に動じることなく、そう続けてにんまりと笑った。柊は再び倒れた男性に目を向けてみるが、その言葉の意味に到達することはできなかった。


「どういうことですか? 久夜さん」

「さぁ? 俺にもまだよく分からない。でも回りくどいことを言って回収させたくらいだ。〝価値のあるものらしい〟ってことは確かだ。さ、お仕事お仕事。さっさと運び出して、この黴臭い場所からオサラバしよう」

 久夜はそう言って相手を軽々と肩に担ぎ上げると、こちらに戻ってくる。

「柊、これにて回収作業は終了。これなら本当に水銀亭のステーキでもいいくらいだな」

 久夜は鼻歌混じりに仏間を出ていく。柊は全ての事情をよく飲み込めないまま、その背を追うしかなかった。

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