第3話

メアリーの心臓は高鳴った。

その男と目が合った瞬間――


ヘイタン。


最後に会ってから、何年も経っていた。記憶の中の彼は、いつも兄である第一王子の影に隠れた、華奢な少年にすぎなかった。

だが、今目の前に立つのは全く別の存在だった。背が高く、威厳に満ち、漆黒の衣が黒髪と月なき夜のように暗い瞳を際立たせる。

その姿には、言葉にできない何かがあった。――静かな重み。世界に隠されて鍛えられた気配。


「……戻ってきたのね。」


沈黙を破ったのは、怒りに燃える第一王子だった。


「ヘイタン? なぜここにいる? この式にお前を招いた覚えはない!」

声が広間に響き渡る。

「それに、この女は私の未来の妃だ。どう扱おうと、私の自由だ!」


その傲慢な言葉に、周囲の貴族たちから小さなどよめきが走った。

だがヘイタンは動じず、一歩前に進み出た。声は冷たく、鋼のように揺るがない。


「それが王太子の振る舞いか?」

彼は兄を見据え、軽蔑を込めて告げた。

「たとえメアリーが元婚約者であったとしても、本人の同意なしに触れる権利は誰にもない。」


言葉は雷のように落ちた。


「元婚約者だと?」

第一王子は神経質な笑みを浮かべて繰り返す。


ヘイタンは腕を組み、初めて兄との違いを堂々と示した。

「そうだ。気づいていないのか? 結婚はすでに破談だ。」


広間にどよめきが広がる。


メアリーの父は顔を真っ赤にして立ち上がった。

「メアリー! お前は何をしているのだ! これは我が家の未曾有の恥だ!」


しかしメアリーは胸に燃える炎を抑えきれず、顎を上げた。声は揺るがなかった。


「本当の恥は、あのような男と結婚することです。」


その瞬間、広間は息を呑んだ。世界が止まったかのように。


「なんだと……?」

「王子を侮辱したのか?」

「まさか裏切りを知ったのでは?」


囁きが火のように広がり、疑惑の視線が次々と第一王子に注がれる。

絶対的な自信に包まれていた彼の立場が、わずかに揺らぎ始めた。


父は椅子の肘掛けを叩き、怒声を上げた。

「もうよい、メアリー! 二度と我が家の敷居をまたぐな!」


その言葉は冷酷な判決のように響いた。


メアリーの胸は締めつけられた。だが反応するよりも早く、ヘイタンが一歩前へ出る。

闇を宿した瞳が光を受けて輝き、彼は周囲の視線を意にも介さず片膝をついた。


そして堂々と、メアリーの手を取る。


「もし、この麗しき淑女が居場所を失うのなら――私の家が、いつでも迎え入れよう。」


広間は大混乱に陥った。

不名誉だと囁く者、裏切りだと叫ぶ者、王家の内乱の兆しだと恐れる者。


だがメアリーには、すべての喧騒が遠のいていった。

彼女が感じていたのは、ただ彼の温かな手のぬくもり。


――そして、彼の帰還を目の前にして。


メアリーは微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る