《第2話》朱鷺Side①:② ベッドシーン有
「あなた何歳なの?」
「こういうことするのに関係ある?」
そう言い男の人は香織先生に長い口づけをした。香織先生は『講師』の顔ではなく『女』の顔をしていた。甘い媚を含む声と密やかな笑い声を漏らす二人を盗み見ている自分が、情けなくて惨めに思えた。
乱れた獣のような絡まる呼吸。嬌声。嫌でも耳に入る二人分の体液が絡まる淫らな音。
男の人の、先生の名前を呼び羞恥を煽る言葉を浴びせながら悦しそうに腰をつかみ揺らす所作。
男の人の眉間に皺を寄せ達した後の快楽に満ちた顔と繋がりから洩れる体液。
香織先生の絶頂の細い悲鳴は男の人の口づけで掻き消された。
香織先生は口唇の端から混ざり合った唾液が溢れ出してだらしがない、悦楽に弛緩した顔をしていた。
乱れた息を切らせながら、ピアノの椅子に座る男の人の前に膝をついた香織先生は男の人の脚の間に顔を埋めた。
男の人は、冷笑していた。香織先生が憎いみたいに髪の毛を掴んで、香織先生の喉奥に自身を無理やり押し込んだ。
香織先生は苦しそうに鼻水と涙にまみれ頭を上下させる行為を、苦痛しかないはずなのに繰り返しながら、何故かうっとりし、男の人の体液混じりの涎を垂らしていた。
「だらしが無い良い顔だね。美味しい?香織さん」
「おい、ひい……。口の中に……このまま出して」
男の人の歪な笑い。先生を快楽を得るための玩具のように、乱雑に扱って楽しんでいるように見えた。まず、好きな人を見る目線じゃない。
これ以上は見てはいけない。立ち去ろうとそっとドアノブから手を離す。しかし、カチャリと響いてしまった音。それは目の前の二人の情事を途切れさせる、雑音には充分だった。
空気がとまる。眼鏡の男の人と目があった。表情がない、お面みたいな顔で僕を見ていた。僕は怖くなって他のレッスン室の陰に蹲り息を潜めて隠れた。
かつかつと廊下を響く足音が近づく。隠れるレッスン室の前で止まる足音、ドアが甲高く嫌な音を立てて開く。
「見つけた」
斜め上から降る、声。ぞっとした。背の高いその人はちょこんと僕の目の前にしゃがみ、俯き小さくなる僕の手を包むように握ってこう言った。
「言ってはいけないよ。忘れなさい。こんなに震えて、怖かったね。今日あったことはなかったこと。今見たことは全部。忘れなさい」
優しい口調とは裏腹に僕の手を握るその人の手の力は段々と強くなる。痛みを感じた時、レッスン室の床が明るくなった。雲の切れ間からが落ちかけの夕陽が差した。見ない方がいい、そう思いつつも僕は俯く顔をあげその人を見た。色が白く、切れ長の、二重の目をした綺麗な人だった。前髪が少し長くて、張り付いたような眼鏡の奥の笑顔が冷たそうだと思った。
「約束できる?」
能面のような笑顔のその人は承諾を急かした。僕はただ頷いた。漠然とその人が怖かった。嫌悪感しか残らないその笑顔、口調、手を掴む指の温度。今気づく。この人の指は水のように冷たい。
「ねえ、名前を教えて」
「ふ、深谷、朱鷺 です」
僕がそう絞るように声を出すと、その人は何故か、掴むように握る指の力を弱めた。
「学部は?」
口調が、変わった。
「声楽科一年です」
「そう──声楽科かぁ。じゃあ、これをあげるよ」
その人はポケットから一粒のトローチをとりだした。薄く開いた僕の口に、その人はトローチを放り込んだ。頭の奥がざわついた。心臓が急に軋むように痛くなる。
「じゃあね、朱鷺くん」
僕は胸が苦しくて手で押さえる。夕陽が眼鏡の男の人を照らす。仰ぎ見てもう一度、その人を見る勇気はなかった。暫くし、緊張の糸が解けたのか、僕はその場に倒れこんだ。
─────
周りの薄暗さに時計を見る。六時四十五分を指していた。起きて十分ほどで苦しさは取れた。少し動悸がするが大丈夫そうだった。
「あぁ……『また』気を、失ってたのか」
僕はため息をついた。こういう時は美味しいものを作ろう。幸い予感していた雨は降らなかったし、近くのスーパーマーケットへ行って買い物をしようと思った。もう呼吸も苦しくない。
疑問が残る。
どうして僕は、ここに居るのだろう。こんな、薄暗い練習室。楽譜は、あった。何があったんだろう。それに口の中が──嫌な味がする
「大切なこと『忘れて』ないといいけど……」
──────────next Episode
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