魔王暗殺 隠居剣士ウィルヘルムの受難

巖嶌 聖

第1話 ウィルヘルム 弟子に請われて、王都に旅立つ

 悪夢と言うには、ハッキリとし過ぎていて、ウィルヘルムはただ隣の少女が走り出さないように抱きしめておくことしかできなかった。

 天を引き裂き、空間が歪み、その姿を顕わにしたそれは、天使と形容するにはあまりにも邪悪過ぎる。しかし、巨大な白い翼を背中に生やした人型は、神話に登場する天使に似ていた。ただ、楔を打ち付けられ手足を鎖に繋がれ、全身から鮮明な赤色の血を垂れ流し、顔と思われる部分は、無数の眼球で覆われている。

 その眼球の中でもひときわ大きな部分が一瞬だけ膨らむと破裂し、血に塗れた無数の手が、巨大な都市へと伸びていく。それが都市の城を撫でたとき、巨大な崩壊の波を伴って、街の半分は消し飛んだ。

 一瞬の出来事である。

 この世のことではない。そう思わせるほどの大規模な破壊。自分たちが育った街が消え去るという感覚は、まるで夢を見ているような、足元のふらつきを覚えさせる。

 あの街には自分の育てた弟子たちや、戦友たちが大勢居た。この少女の両親、友人も居た。


「こんな……、こんなことが許されるのか」


 ウィルヘルムは丘の上から、消失した都市を眺めながら、掠れた声を出す。腕の中で少女の嗚咽が聞こえた。


「魔王……」


 絶望的なまでの破壊。満たされるには時間がかかるほどの、心に空いた穴。だが、少女はその若さゆえか、その穴に血涙を注ぎ、満たした。この少女を守らねばならない。面白可笑しく、自分のためだけに暮らしてきたツケを支払わなければならない。

 命を賭して、戦うときがやって来た。

 騎士に拾われ、騎士となったウィルヘルム・フォン・ベルンは、壮年となった今、ようやく本懐を成すときだ。


 ◆


 ウィルヘルム・フォン・ベルンは騎士であった。

 正確に言えば、騎士という地位は引き継がせることも放棄することもできないので、今でもウィルヘルムは騎士であるが、片田舎に引き籠り、若くして隠居して十五年。世間は彼を忘れかけている。

 郊外の農園の末っ子として生まれた彼は、物心つく前に家族を失った。街の外では魔物がうろつき、街の外で仕事をする農家は、常に命の危険に晒されている。兵士や狩人が村には滞在しているが、少ない戦力で撃退できる魔物は限られている。ウィルヘルムの生まれた農村もその例に漏れず、凶悪な魔物の襲来があった。騎士団が到着し、魔物を退治したころには、既に村は半壊。多くの住民が家族を失い、そのうちのひとりが幼いウィルヘルムであった。

 子どもがいないことに悩んでいた騎士アルフ・フォン・ベルンが、養子として彼を迎え入れた。これは運が良かっただけの話ではない。まだ、指をしゃぶっている年齢のウィルヘルムが、魔物から隠れるために決して物陰から出ず、母の死体の影でじっとして、ナイフを構えていたのを見たアルフが、その才覚に気が付いたのだ。

 アルフは幼いうちからウィルヘルムを厳しく育てた。そして、ウィルヘルムはその期待に、期待以上に応えて見せた。若くして『戦闘術・地流』を会得したウィルヘルムは、成人した十五歳になる前に魔物討伐隊に参加し、その後も何度も討伐隊の戦士として成果を上げたことで、エリート集団である王都の騎士団の中でも、次代を担う新人として迎えられた。拾われ子として反発する者もいたが、そういった者には実力を示し、黙らせた。


「目先に囚われず、より大きな成果を出すお前の兵法は、素晴らしいものだ。だが、お前は何事も楽をしようとする癖がある。今はうまくいっているが、いずれ壁に当たることもあるだろう。そうしたときは、基本に立ち返れ」


 父に良く言われたことだ。

 ウィルヘルムが成人する前に、父アルフは齢六十を超えていた。日ごろから鍛錬と、日々の戦闘により、父は長くは生きられなかった。アルフは人の見る才能に恵まれていた。そうした教えのおかげで、ただ戦うことだけが、人々を守ることには繋がらないと考えるようになった。

 ウィルヘルムは戦いの才能はあったが、戦い自体は好きではなかった。拾ってもらった期待に応えるためと、民の安全のために戦うことが戦う理由であった。だが、それだけでは足りないのだとも考えていた。

 兵士として数年務め、父が亡くなった頃、任務で怪我したウィルヘルムは、これ幸いと療養を理由に、前線に出なくなる。父というタガが外れたのが大きな理由だ。その代わり、新人の育成に力を注ぎ始めた。まだ若い教官に、最初は反発も多かったが、その教育方法に次第に教え子は増えていった。

 ウィルヘルムのなんでも理論的に教えることがうまかった。天賦の才といっても良いほどだ。教えがうまくいき、指導を受けた兵士や騎士たちが成果を上げ始めると、次第に弟子を名乗る者が増えていった。

 生まれ持った魔法の才に頼らず、肉体のみで剣を扱う技術に、多くの兵士が集った。年上の兵士たちまでもが、訓練場に集うほどである。皆、死にたくはないのだから、プライドや建前など気にする者はいなかった。

 だが、出る杭は打たれるというもので、そうして名声が高まり始めると、若い才覚を妬む者が必ず出てくるものだ。ウィルヘルムへの騎士としての叙勲が囁かれ始めると、彼に対する悪い噂が出回り始めた。

 横流し、横領、女遊び、賭博。そういった類のものだ。

 残念ながらそう言ったことは、ほぼ真実だったため、ウィルヘルムは職を辞することになる。打ち首にされなかったのは、多くの教え子の嘆願があったからだ。

 小さな屋敷に、従者がひとり住むだけの家で、さてどうしたものかと考えていたのだが、ウィルヘルムはそういった点では能天気である。父の教え通り、基本に立ち返ることにする。

 残った金で屋敷を増築させ、小さな道場を作り上げ、そこで兵士以外にも剣術を教える、剣術指南道場を開業する。要は一般人にも剣術を教え、自身の身を守れるようにすることが目的である。

 『新地流シンチリュウ』と名付けた剣術は、地流を噛み砕いて判り易くし、さらに効率的に習得することと、理論的に生きることを目的とした、新たな戦闘術である。

 開業始めは、一般人は訪れることはなく、熱心なウィルヘルムの教え子が通うだけだったが、傭兵や狩人、冒険者が数人様子を見に来ると、その効率性と実績に触れ、ウィルヘルムに教えを乞うようになった。人が増えてくると、家族を守りたい農家の次男坊や、暇だが力を持て余している商家の坊ちゃんまで訪れるようになり、道場はどんどんと大きくなっていった。

 目に見えて魔物の被害が減ってきて、数年もすると街自体が『武装都市』とまで呼ばれるようになる。街行く人々や、農村の一般人が、戦士を名乗れるほどに強くなっていた。

 ウィルヘルム、齢三十にして成し遂げた偉業である。この年、ウィルヘルムには人生の転機が訪れる。

 まずは騎士としての叙勲。数々の妨害と、数多の不祥事がありながらも、ウィルヘルムの功績を無視することはできなかった。兵士としては除名されていたにも関わらず、名誉騎士として叙勲を受けることになる。ベルン家の名誉を挽回したのだ。

 そして、妻であるミーシアの妊娠、出産。だが、産後の肥立ちが悪く、母子ともに命を落としてしまった。

 農家の生まれであったミーシアは、道場の炊事婦として雇われていた。若き日は遊び歩いていたウィルヘルムであったが、ミーシアとの出会いで、女遊びも賭博もスッパリと止めた。というのも、ミーシアは旨い飯を作るのだ。そして、ウィルヘルムが悪い遊びをすると、飯を取り上げられてしまう。すっかり胃袋を掴まれたウィルヘルムが、彼女を妻として迎えるのに時間は掛からなかった。そして、彼女を失った悲しみは、ウィルヘルムを腑抜けにするのに充分であった。


「子どもが生まれたら、田舎に行こう。そこでゆっくり過ごそうじゃないか」


「何を言ってるの、ウィリ。騎士になったばかりなのに。それに道場はどうするの?」


「何、全部、弟子に譲るさ。もう、近頃はわしが教えることも少なくなった。わしはこの日のために、この道場を開いたのじゃからな」


「フフフフ……。本当に面白い人。ウィリがそれでいいなら、私もいいよ」


 彼女が居なくなった寝室に入ると、ウィルヘルムの耳には今でも、ミーシアのクスクス笑いが聞こえてくる。そして、息をせぬあまりにも軽い我が娘と、彼女の死に顔が脳裏をヨギるのだ。

 弟子の中で、最も聞き分けの良いリディナー・ミゲルソンに、道場の全てを預け、ウィルヘルムは田舎に引っ越した。

 リディナーは商家の末っ子に生まれた、しっかり者の男である。まだ若く、剣の実力はさほどでもないが、ウィルヘルムのように論理的に教えを伝授するのがうまかった。商人としての素質も相まって、降って湧いた幸運を見逃すはずもなく、ウィルヘルムの隠居には反対しなかった。


「後のことはお任せください。うるさい貴族どもは、黙らせてみせましょう。必ず、この道場をさらに発展させ、ウィルヘルム先生の偉大さを、国中だけでなく、世界中に響かせてみせます」


 若くして隠居生活を手に入れたウィルヘルムだ。騎士になったときにつけられた若い従士だけを供に、田舎に小さな家を建てて暮らし始めた。

 この若い従士ルシオが問題だった。

 男爵家の次男坊であるルシオは、騎士として身を立てるために、弱冠十二歳の若さで従士になることを買って出たのである。それなのにいきなり従うべきウィルヘルムが隠居してしまう。これではあまりにも面白くない。

 ウィルヘルムは小さな畑でも作って、趣味の木彫りでもしながら余生を過ごそうと思っていたのに、ルシオがしつこく剣の教えを請うてくるので、相手にせずにはいられなかった。

 道場はないので、野外で訓練していると、それを見た武人(ただの村人だ)たちが何事かと寄ってくる。結局、小規模な野外道場で村人たちを鍛えることになった。

 こうして、隠居したにも関わらず、結局同じような生活を送ることになったウィルヘルムは、田舎で静かに(思ったよりも騒がしく)暮らすことになったのだ。

 ただ、この隠居暮らしの裏で、ウィルヘルムは国王からの仕事を仰せつかっていた。それが悲劇の始まりだった。


 ◆


 もともと背は高くなく、髪の毛は銀髪。歳を重ね、目じりの皴が増えてくると、髭で隠された口元で、更に老けて見えた。

 まだ、齢四十五にして、近所からは道場のじいさまと呼ばれているウィルヘルムである。所作もそれっぽく見えるように、腰を曲げ、歩は小幅、木でできた杖をつくさまは、老人そのものだ。


「先生。どうして、そんな歩き方なんですか」


 ルシオが真面目な顔で問うてくるので、


「こうした方が、侮ってくれるだろう。殺気を発して敵対するより、侮られた方がずっと良い」


 と、適当な理由を付ける。ルシオとしては尊敬する師が侮られることが気に食わないのだ。実際のところは、侮っていた老人がめちゃくちゃ強い! ピンチに駆けつける耄碌じじい! みたいな絵面をするためだけにやっているだけである。つい口を滑らせて、そのことをルシオの嫁に話してしまったら、ルシオは呆れてそれ以上の追及はしなくなった。

 田舎に引っ越して十五年。十二歳の少年だったルシオも、今や立派な三児の父である。小さな家だった住処も、今や道場を併設する立派な屋敷であった。ルシオの子どもたちが元気に廊下を駆け回り、ウィルヘルムの周囲をチョロチョロと動き回る。

 正直な話をするならば、ひとり目の子どもが生まれたとき、さっさと家を出ていこうと思っていたのだが、ルシオの第一子をその腕に抱いたとき、元気に泣き出す彼女に生命の息吹を感じ、涙が溢れて出してしまった。それ以来、この暖かな家庭に甘えて過ごしてしまっていた。

 鍛錬は続けていたが、道場で教えを授けることは少なくなっていた。ルシオは既に剣豪の域に達しており、ウィルヘルムは畑か子どもの世話をするだけである。各地から教えを授かろうとする戦士たちが、昔はたまに訪れていたものだが、今はその数もほとんどなく、また凶悪な魔物は狩り尽くされ、現在では極めて穏やかな生活を送ることができるようになっていた。


「しまったな。ちょっと、教え過ぎたか。少しくらい魔物を残しておいてくれた方が、張りのある生活を送れるというのに……」


 そんな不謹慎な冗談を言うと、ルシオに叱られるので、独り言で済ます。

 畑いじりをしながら、退屈な毎日を過ごしていると、いつも寄って茶を飲んでいく行商の男が、道場に手紙を置いていった。


「誰からの手紙じゃ。珍しい」


「ミゲルソンさまからの手紙ですよ」


 ミゲルソンとはリディナーの家名である。騎士に任じられたリディナーは、今や貴族の嫁を貰って、名実とも貴族の一員となっていた。もう道場を続ける必要はないのだが、打算だけでない信念があるからだろう。

 街の道場では、老若男女、一般人も兵士も貴族も、関係なく訓練を受けられる、一種の街の交流所のような役割も担っている。魔物の被害が減ったからといって、魔物がいなくなったわけではない。小さな魔物は人里に降りてこなくなったが、大きな魔物は元々の数が少ないとはいえ、現れると被害が大きくなる。それに備えることは、国家の責務である。その一端を担ってくれる道場の存在は、国としても無視できない存在となっていた。

 さて、手紙の内容である。

 ウィルヘルムが封蝋を乱雑に切ると、巻かれた手紙を広げて眺める。彼が何やら怪訝な顔をしてそれを読んでいるので、ルシオは興味が湧いてきて、何と書いてあるのか訊ねた。ウィルヘルムは答えるのも面倒で、手紙をルシオに押し付けた。


「えー、なになに……。

 親愛なる師、ウィルヘルム・フォン・ベルン殿。

 長い挨拶から入るところですが、貴族らしい礼儀については、あなたは気になさらないと思いますので、さっそく本題に入ります。ルシオとはしばしば手紙のやり取りをしておりましたが、久々に送るあなたへの手紙が、このようなお願いになることをお許しください。

 ウィルヘルム殿、あなたには大道場に戻って来て貰い、私の娘レイリアルの剣を見てやってほしいのです。

 突然、このようなお願いをするのには、もちろん理由があります。レイは十三歳になりますが、今まで剣の道に興味はなく、道場を訪れても見学くらいまででした。ですが、部下のひとりが戯れにレイに木剣を持たせると、その部下を一合もする間もなく、打ち倒してしまったのです。天賦の才という他ありません。今まで育ててきてその才に気が付けずにいたことは恥ずかしくもありますが、我が子にこれほどの才能があることはうれしくもあります。

 ただ一点、気になることは、レイは容赦というものを知らないことです。レイは部下を打ち倒した後、とどめまで刺そうとしました。既に霊薬による治療を必要とする怪我をし、身動きを取れなくなった者に、です。私がめに入らねば、レイは彼を木剣で殴り殺していたでしょう。

 それはレイの怒りによるものかと思ったのですが、なぞそうしたのか問いただすと、そうするのが当然だと思ったと言うのです。怒りでも、必要だったからでもなく、戦いの流れの中で、とどめを刺すことは必然だと。

 私は恐ろしくなり、何も言えませんでした。レイは虫も殺せない優しい子です。しかし、剣を持った瞬間、何か別のものが娘の中に宿ったように感じました。私にはどうにもできない問題だと感じ、こうして剣と人生の師である、あなたに娘を預けたく思ったのです。

 どうか、我が娘レイリアルに、剣の道というものを教えては頂けませんでしょうか。

 あなたの不肖の弟子、リディナー・ミゲルソンより」


 ルシオもその内容に眉を顰め、黙りこくってしまう。隣にいたルシオの妻デリンが、感心した声を上げた。


「まぁまぁ、十三の女の子が、リディナーさまの部下を倒すなんて、世の中何があるかわかりませんねぇ」


「十三ではない。もう、ひと月とちょっとも経てば、十四じゃ」


 話の肝はそこではないだろうと思いながらも、ルシオはウィルヘルムにどうするのかと訊ねる。


「ハッ! これは蒸かしじゃ、蒸かし。才能のある者を餌に、わしを都で扱き使おうとする、リッドの策略じゃ。あいつも甘くなったの。自分の娘をダシに使うとは」


「そ……そうなのですか? そうは思えませんが……」


 蒸かしにしては話を盛り過ぎに感じる。それに剣を持ったことない娘が、経験豊富なリディナーの部下を打ちのめすなど、尋常ではない。

 黙っているとデリンがまた口を挟んできた。


「あれ、じゃあ、都には行きなさらないの? 日がな年中、暇を持て余しているんだから、お弟子さんの頼みくらい、二つ返事で引き受けてあげればいいのに」


「な……。わしだって別に暇しとるわけじゃ……」


「まぁ、子どもたちの世話してくれるのはありがたいですけれども。普段は食っちゃ寝、たまに散歩するくらいじゃないですか。これで暇じゃないとは、思えませんけどね」


 デリンは思ったことはすぐに口にする。ルシオもそれに負けて、押しかけ女房な形で今に至る。


「そうですよ。この道場で教えることも今じゃほとんどないじゃないですか。たまには若い子の面倒でも見て、刺激を受けたらいかがですか」


 ルシオもデリンに便乗して責めるので、ウィルヘルムは黙って蓄えた髭を強めに引っ張るしかなかった。


「わかっておるのだろうな! わしが出ていったら、ここには戻らんぞ。何か困ったことがあっても、助けてやらんからな!」


「わかりました。それも修行ですね」


「くっ……」


 身から出た錆である。普段、侮られるように生活しているから、いざというとき、尊敬が足らない。

 半ば追い出されるような形で、ウィルヘルムは十五年の時を経て、王都への旅路につくのであった。

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