吸血少女の健康管理生活

@Eigetsu0528

第1話 勝手に人の血を吸っておいてクレームを入れるとはいい度胸だ①

 日本の某都道府県、某所。築20年から30年は経つであろう、もう既にボロが目立つアパートの三階の部屋番号302。天から藍色を割くように落ちる月光のヴェールに照らされながら眠る一人の青年がいた。部屋の時計は2時30分を回っている。部屋には白衣やスラックスなどが脱ぎ散らかされており、ゴミがないことだけがマシとしか形容することのできない惨状がそこには広がっていた。


「まだだ、まだ食えるぞ、溝呂木ぃ……」


 時折、イビキに混ざるように謎の寝言が部屋に響く。青年―琴吹ことぶき 八真人やまとが寝返りを打った次の瞬間、ドスン!と大きな音が衝撃と共に走った。


「ぐふぅ……なんだ?」

(机に積んでた書類でも崩れたか?いや、俺の体に落ちると考えると距離がありすぎる。地震でも起きて家具が倒れた?もっと有り得ないな、家具ならもっと硬いはずだろう……)


 八真人はそんなことを考えながら自身の体の上に落ちた何かを確認すべく、頭上のリモコンで照明を点ける。彼の目を疑う光景がそこにあった。


「なっ!」

「ハーイ」


 そこには、散らかりすぎた部屋に似つかわしくない女が、八真人のお腹に跨っていた。30手前である八真人と同じくらいか少し下くらいの年齢の、黄色のツインテールに大きな赤い瞳が印象的な可憐な女性だが、八真人には当然ながら心当たりがない。驚き思わず後退りする八真人だったが、女の背中に小さな黒い羽と尻尾を発見し、合点が行ったようにふうと息を吐く。


「溝呂木、寝込みを襲うとはいい度胸だな?コスプレにしては随分と手の込んだ代物だが……いくらなんでも、その羽と尻尾はショボすぎるだろう。」

「はぁ?」

「アニメかなんか知らんが、もっと手の込んだ物を使うべきだったな!」

「ちょ、ちょっと!!」


 八真人はそういうと、女の背中の羽を掴み引っ張る。しかし取れるはずもなく、女は思わずバランスを崩してしまう。


「うわっ、ちょっと、やめなさいよ!」


 女はなんとか体勢を整えて、八真人の手を羽で払う。八真人はそれを見て、目を輝かせながら詰問する。


「動いた?飾りではないのか!?どういう仕組みなんだ……教えろ、溝呂木!!」

「だから、アタシは溝呂木とかいう人じゃないわよ!!」


 興奮する八真人をなんとか押さえつけながら、女は言い放つ。八真人は女の力に驚きながらも、すぐ平静を装う。


「前代未聞よ……この吸血鬼であるセンカ様を目の前にしてこんな狼藉を働く人間なんて。」

「吸血鬼……なるほど、華奢な見た目なのにこれだけのパワーを発揮できるとは、真っ赤な嘘ってわけでも無さそうだ。それで、吸血鬼様が俺に何の用かね?」


 頭上で両手をまとめて掴まれながらも、八真人は不敵な笑みを浮かべてセンカを見つめる。センカは少し怯みながらも、彼を睨み返す。


「用なんてひとつしかないわよ。貴方の血を貰いに来たの……それ以外にあるわけないでしょう?」

「確かに、野暮な質問だ。すまないね……なにぶん、吸血鬼と喋るのは初めてのことなんだ。」


 八真人が冗談めかすように笑い飛ばす一方、センカは真面目な表情で八真人を見つめている。


「……貴方、私が怖くないの?」

「ん?」

「アタシ、吸血鬼って言ってるわよね?」

「確かに、そう聞いているね。」

「これから貴方の血を吸うって言ってるのに、吸われすぎて死んだらどうしようって考えたりしないの?」

「愚問だね。吸血鬼に血を吸われるという未知への好奇がその程度の心配を下回るとでも?」


 八真人の常軌を逸した回答に、センカは嫌悪感のあまり表情を歪める。力で押さえつけているはずの獲物が浮かべた笑みに、センカの方が恐怖する……その事実に気付いたセンカは


(ダメ、コイツのペースに乗るんじゃない!アタシの方が強い、アタシの方が……)


 と気持ちを切り替えるように首を振る。そして左手で八真人の腕を押さえながら、右手で彼の服をはだけさせると、首元に狙いを定める。


「だったらお望み通り、血を吸い尽くして吸い殺してやるわ!!」


 センカはそう宣言し、首元に牙を突き立てた。


「うっ」


 八真人はチクリとした刺激に少しだけ顔を歪ませる。破れた皮膚からトクトクと溢れる血液を、センカは舌で弄びながら喉へと運ぶ。

 そうしてごくり、ごくりと二度、血を飲み込んだ時だった。センカはゆっくりと顔を離し、両手で口元を押さえながら言った。


「まっず」


 センカの愛らしい顔が一瞬にして歪む。眉を顰め、歯を食いしばったまま口はへの字に曲がり、目に力を込めて小さく細めている。そのまま八真人の上から降りると、


「洗面所はどこ?」


 とか細い声で呟いた。一連の流れを困惑しながら見つめていた八真人は黙ってトイレの方角を指差すしかなかった。


「ありがとう……」


 消え入りそうな声でそう言いながらベッドを降りたセンカは、床に落ちている物を躱しながらフラフラとトイレへと向かった。深夜のアパートにセンカの嘔吐する声が響く中、八真人はお礼を言う彼女の目に涙が浮かんでいたことを思い出していた。


「俺の血、そんなに不味いのか……」


 センカは1時間ほど、戻って来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る