第9話 逃走

 アーネストが一通り話し終わったと同時に、玄関のベルが鳴った。

 マリアは少し固まって、ソファから腰を上げた。

 玄関前を映すモニターには、厳しい顔をした男が数人立っていた。

 みな、軍服のようなものを揃いで着ていた。

「まずいわね。都市警備隊だわ」

「都市警備隊?」

「ええ、政府直属の、都市の治安を守る部隊があるの。私たちの研究仲間も、何人彼らにつかまっていったことか……。」

 マリアが悔しそうな顔をする。

「そんな奴らが、なぜこの家に?」

 アーネストがたずねる。

「私を捕まえ、リオを壊すためね。アーネストくん、お願いを聞いてくれないかしら」

 マリアはアーネストを連れて廊下に出た。

「ここの廊下の一番先にある研究室で、リオが休んでいるわ。たたき起こして、一緒にシェルターに隠れていてほしいの」

 そういうとマリアは、先ほどまで手にしていたアルバムをアーネストに手渡した。

「リオの顔までは、政府には割れていない。証拠になるような写真さえなければ、リオのことはわからないはず。」


 アーネストはマリアに言われた通り、研究室のリオを起こしに行った。

 リオは頭や腕、足に管がつながれていたが、マリアはそれを無理やり抜き取ってでも起こせと言った。

「……アーネスト?」

 まだ意識がはっきりしないのか、目をこすりながらリオは上体を起こす。

「説明はあとからする。とにかく、シェルターに入るんだ」

 マリアは、研究室の中に隠れるための場所を作っていた。

「たしか、部屋の入り口から、1,2,3、4番目のタイルだ」

 アーネストは、教えられたことを復唱しながら、壁に沿って配置されている床の大きなタイルを数える。

 4番目のタイルは、強く踏み込むと少しだけ沈んだ。

 そのタイルの周辺には、キャビネットやデスクなどもない。

 たとえ誰かがこの部屋に入ってきたとて、調査・押収の対象物がそこにはないのだから、この仕掛けにはそうそう気づかないだろう。

 しかし、このタイルはアーネストの全体重で勢いよく踏んでも、ほんの数ミリ沈むだけだった。

「リオ、俺の合図で一緒にここを強く踏んでほしい!行くぞ!」

 せえの!と掛け声をかけて、2人はそのタイルを力いっぱい踏み込んだ。

 タイルは大きく沈み、跳ね返って、今度は少しだけ浮いたような状態になる。

 その真四角のタイルの辺をさわると、指をかけられるくらいの溝が彫られていた。

 アーネストはそのわずかな溝をつかみ、持ち上げようとした。

 しかし、思った以上にタイルは重く、数センチ、横にずれただけだった。

「かして」

 リオが代わると、タイルはすんなりと横に動き、地下に続く梯子が現れた。

 アーネストが先に梯子をおり、タイルをまた元の位置に戻しながらリオが続いた。

 

 梯子の下には、ちょうど2人が寝そべることができるくらいの狭い空間があった。

 備え付けられた棚には、食料や衣料、医薬品まで並んでいた。

 「しばらく生活できそうなくらい、物がそろっているな」

 アーネストが言うと、リオはそんなことより、と切り出した。

「なんでここに来たんだっけ?何かあったの?」

 アーネストは、すこし目線をそらして言った。

「警備隊が、リオとマリアさんを探しにきたんだ」

「なぜ?」

 リオは、本当にわからないといった顔をした。

「リオは、違法な技術で作られたんだろ?警備隊は、リオを壊しに来たんだって、マリアさんが言ってた」

「え?」

 やはりリオは、わからないという顔をする。

 アーネストは、抱えていたアルバムを手渡した。

「これ、リオの写真。」

 リオはアルバムをめくり始めた。

 リオが手術台のようなものの上に横たわる写真が出てきたところで、アーネストはほら、と指さした。

「マリアさんとイサクが、リオを作ったんだ」

 そしてもう1ページめくる。

「俺の親友をもとにして」

 地に伏した少年の写真を目にしたリオは、ゆっくり顔をあげてアーネストを見た。

 アーネストは、すがるような眼でリオを見つめていた。

「ライオネル、なんだろ。俺のこと覚えてないのか?」

「僕、ライオネルじゃない。リオだよ」

 アーネストはリオの両肩をつかむ。

「いいや、お前はライオネルだ。兄弟みたいにして育ってきただろ。思い出せよ。」

「いやだ、やめて。離してよ!」

 そのとき、2人の間の床のタイルがずれ、見たことのある顔がそこからひょっこり出てきた。

「おやおや君たち、痴話喧嘩かな。うらやましいねえ」

「イサク、お前何でここに?」

 アーネストが聞くと、イサクはヒヒヒと笑う。

「タバコが切れたものでねえ。ちょっといただきに来たのさ」

 そう言ってイサクは、医薬品の棚をあさり始めた。

「リオくんは腕を直してもらったんだね。おめでとう。それで、君たちこそなぜここに?」

 アーネストとリオは顔を見合わせた。

「なんとか警備隊が、リオとマリアさんを捕まえに来たんだよ。」

 そうか……と考え込むと、イサクは2人に行った。

「一度、僕の家に戻ろう。ここの穴、直通なんだ」


 シェルターからイサクの棲み処に通じる穴は、イサクが手作業で掘り進めたのだという。

 しかしそのルートは、決して楽ではなかった。

 イサクお手製の縄梯子は固定されておらず、3人それぞれがゆっくりと下っていくたびに大きく揺れた。

 ようやく下についたころには、縄梯子に慣れていないアーネストとリオは疲れ切っていた。

「だらしがないね、若いのに。」

 イサクが明かりをつける。

 そこは、イサクの棲み処の真ん前だった。

「それで、都市警備隊がどうしたって?」

「都市警備隊が、違法な研究をしているっていう名目でマリアさんを捕まえて、その成果物であるリオを壊そうとしてるって……」

「マリアが言ったのかい?」

 イサクはやれやれ、と頭を左右に振った。

「そんな簡単に、証拠は上がらないはずだよ。彼らはおそらく、怪しい人物がマリアの家に入っていったという通報を受けてきたんだ。」

「じゃあおばあちゃんは、僕たちが家に帰ってきたから……」

「まあそうなるね。」

 イサクは何でもないように言った。

「じゃあなんで、最初から今通ってきた穴を案内してくれなかったのさ。ここを通ってさえいれば、俺たちは【シティ】の人間に見つからずにすんだはずだろ?」

 アーネストが文句を言うと、イサクは困ったような声を出した。

「だって、腕がないリオくんじゃあ、この穴を上り下りできなかっただろうから。」

 アーネストは言い返すことができず、ただ無言でイサクをにらんだ。

 しかし構わず、イサクは続ける。

 「そもそも、リオくんが腕をなくしてなきゃ、僕はこの直通ルートを案内したよ。リオくんがもっと人の子らしい振る舞いができていればね。」

 痛覚の実装が必要だったかもね、とイサクが言う。

 「待ってください、イサクさんも、僕は人間じゃないっていうんですか?」

 リオが泣きそうな顔をする。

 おや、とイサクは意外そうな顔をする。

「君は、サイバネティック・オーガニズム、いわゆるサイボーグなのさ。マリアから聞いてない?」

「え……」

 リオは目を見開いて、悲しい顔をする。

「ああ、君は自分を人間だと思っていたんだね。かわいそうに。君は人間ではない。生物ですらない。作った僕が言うのだから、間違いないけど、君のなかで生物としてカテゴライズできるのは、ここだけだよ」

 そう言ってイサクは自分の頭を指さし、ニヤリと笑った。

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