小さな街で ― 収録:「楽しそうですね」

まい

楽しそうですね

その日は、いつもより少しだけ仕事がうまくいった日だった。


「やったぁ〜!」

思わず声を上げてしまう。


自分でも驚くくらい嬉しくて、喜びがこぼれた。


隣で作業していたこうじさんが、手を止めてこちらを見ている。

その目は、ほんの少し驚いているようで――何かを思い出すような光が揺れていた。


少しの間を置いて、こうじさんの驚いた顔は、ふっと柔らかな微笑みに変わった。


「楽しそうですね」


そんな言葉をかけられると思っていなかった。

予想外のひとことに、少し戸惑う。


「そ、そうですか?」


そんなわたしを気にすることなく、こうじさんは短く続けた。


「うん。楽しそう」


真面目な顔で、柔らかく、でもどこか誠実な、、、


その声を聞くと、なんだか胸の奥がちょっとくすぐったくて、嬉しくて。

胸の奥が静かにドキドキするのを感じた。


わたしはその鼓動をそっと抑えて。


「だって、こんなに上手くいくことって、めったにないから」


そう言いながら、気づけば、笑顔を惜しみなくこうじさんに向けていた。


わたしの笑顔につられるように、こうじさんも微笑む。


「……そうだね。仕事って、本来、楽しいものですよね」


穏やかな声でそう言うこうじさんの口調には、長くしまっていた楽しさを、ふと呼び戻されたような懐かしさが混じっていた。


――きっと彼の中にも、「楽しい」と思って始めた頃の記憶があるんだ。

それは長いあいだ、静かに心の奥にしまわれていたもの。


懐かしむようなその優しい声に、胸がどきりと跳ねる。


こうじさんは手元に視線を戻し、再び作業を続ける。

けれどその横顔には、まだ柔らかな笑みがかすかに残っていて。


わたしは胸の奥がじんわりと暖かくなるのを感じた。


ほんの少しだけ気持ちを見せてくれる――それだけで、心がふわりと浮くようだった。


わたしも、再び作業に手を戻す。


作業場に静かに響く機械の音とキーを打つ音。

机の上の工具や部品が、淡くきらりと反射している。


窓から差し込む夕暮れの明かりが、作業場全体をやわらかく包む。

その静けさの中に、ふたりの席のあいだをそっと包むあたたかい空気。


視線を交わさなくても、互いの存在がそっと伝わる。


作業をしながら、こうじさんの隣でさっきの言葉を心の中でもういちど思い返した。


——「楽しそうですね」


わたしが楽しくしていることを、嬉しく思ってくれてる声だった。

隣にいるわたしの「楽しい」に、耳を澄ませてくれてるような言葉だった。


たったそれだけの短い会話。


ふとした瞬間に思い出しては、きっと胸があたたかくなる。

そんな気持ちを、わたしは大切に心の中にしまった。


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