化生幻想譚

蜜柑の瓶詰め

第1話 或る竜陣営の会話

 桃源郷、幽世、異空間。

 人ならざるもの達が住まう別世界を、人々は数多の言葉で表現してきた。この世界もまた、人が住まぬ異郷である。


 薄桃色の空模様は暫くもしないうちに水色、赤、橙と移り変わる。道端に咲く花は現世のものと一見よく似ているが、時折欠伸をするように大きく花弁を揺らしている。


 建物は漆喰の塗られた家屋に、レンガを積み上げてできた洋館。現世の流行に遅れてなるものかとばかりに、通りにはガス灯がしゃんと並び立っていた。ただし曇った硝子窓の向こう側で動く影は、人ならざる異形のかたちが大半である。


 和洋折衷入り乱れる建物の一つから、突如少女が転がり出でる。少女は学生の如きいで立ちをしており、袴の端からはフリルが覗いている。一見可憐な少女はブーツの踵を乱暴に踏みしめ、忌々しいとばかりに吐き捨てた。


「ああもう、草履よりも走りにくいわ! 慣れるまであと百年はかかりそう!」


 地面を強く踏みしめ、少女は空へ飛び掛かる。着物姿がゆらりと解け、地面に着地したのは一匹の白虎であった。四つ足の獣は先程までとは比べ物にならない速度で駆け抜け、街の外れへ向かう。


 いつ誰が建てたかも知れぬ赤錆色の鳥居を幾つも潜り抜けた頃には、建物は年季の入った社ばかりとなった。中央には皮葺き屋根の大きな家屋が、でんと鎮座している。鳥頭の異形が丁寧に敷石を掃いている傍を颯爽と横切り、虎はふふんと鼻を鳴らした。


「やっぱりこの姿が一番速いわね」


 虎から人へ戻りブーツを雑に脱ぎ散らかすと、少女は縁側に足を踏み入れる。両開きにされた襖の向こうには、家主ともう一人の客人の姿があった。


「お前もあれを受け取ったようですね、虎」

「鷹、もう来ていたの」


 少女──虎に話しかけたのは、法衣を纏った老女であった。鷹と呼ばれた老女は穏やかな笑みを浮かべ、両目を瞑ったまま家主の座する方向へ顔を動かす。


「丁度、竜とその件について話していた所ですよ」


 頷いた家主は、幼い少女の姿をしていた。花の飾りがついた着物の裾で口元を押さえ、ふふと上品な笑みを零す。深窓の令嬢や、丁寧に手入れを受けている精巧な人形のような、どこか近寄りがたい雰囲気を纏っていた。たおやかな指が、机の上に広げられた文をなぞる。『果たし状』と、古い紙にでかでかと書かれていた。


「鬼がまた痺れを切らしたのでしょうね。困った子だわ」

「あれの暇つぶしに付き合わされる身にもなってほしいものですよ、全く」


 竜はころころと笑い、鷹は口調こそ呆れた風なものの、やはり穏やかな態度を保ったまま。虎だけは全身の毛を逆立てるように肩を怒らせ、笑っている場合じゃないわよと口を開く。


「喧嘩を売られて何もしないなんて、沽券にかかわるわ。まったく、あの大真面目な嫌味野郎が、今日に限って遅いんだから」

「もうすぐ近くまで来ていますよ」


 鷹は目を閉じたまま、確信めいた口ぶりで宣言する。いくばくかもしない内に、せわしない足音が、無数の羽音を引き連れてやってきた。


「こらこら、お前達。虎や狐の目玉は美味しくないと、いつも言っているでしょう」


 主人の声に応えるように、幾羽もの小さな鷹が軽やかに鳴く。法衣をきゅっと爪で掴んで肩に止まった雛鳥に遅れて、若い青年が庭へ転がり出た。服の隙間からは尻尾が六本も生えていて、手入れをきちんとしているのか黄金色に輝き毛並みも良さそうだ。一方制服の上から羽織った上等そうな外套は、小鳥達が戯れに摘まむせいで、あちこちがほつれ気味だ。眼鏡をつけた顔だけは死守しつつ、鳥の主人を睨みつけた。


「鷹、いい加減味方を襲わせないように、眷属へ命令しておけよ!」

「ごめんなさいね、狐。現世では軽くつついただけでも死人が出てしまいかねないから、こうして心置きなくじゃれつける玩……友人に喜んでいるのですよ」


 涼しげな笑みで鷹は答える。何しろ小さな眷属が狐や虎で遊ぶのは、いつもの事なのだ。第二の標的にされつつある虎は、楽しそうに寄ってくる鳥をどうにか手で追い払いつつ、穴が開きそうな外套を鼻で笑った。


「大体、その羽織長すぎて鬱陶しいのよ。引きちぎってあげましょうか」

「そっちこそ、その無駄に長い三つ編みを裁断してやってもいいんだぞ」

「何ですって!? 意味もなく眼鏡なんて邪魔な防具を装着している癖に!」

「ふん、人間の身嗜みを理解していない野蛮なやつはこれだから」

「何ですってえ!?」


 この中で比較的若い二人が、ぎりぎりと睨み合う。取っ組み合いが始まろうとする中、軽く両手を合わせた音が響いた。


「はいはい、じゃれ合いはそこまで。今は鬼の用事が先よ。狐、貴方もお手紙を貰ったのでしょう?」


 見た目は麗らかな少女であろうと、最も年長者である竜には色んな意味で逆らえない。二人は怒りの矛を即座に収めた。喧嘩を売った事を気まずそうにしつつ、狐は懐から一枚の紙を取り出す。やはりそれにも、果たし状と書かれてあった。


『前回の勝負から早十年、竜一派の皆様は如何お過ごしでしょうか。そろそろ退屈になりましたので、暴れようかと思います。止めたければご自由に。精々アタシ達を楽しませてみなさいな、返り討ちにしてやるわざーこざーこ』


「相変わらず口が悪い……」

「後半は猫を被るのに飽きたのでしょうねえ」


 狐の呆れ声に同意するようにして、鷹が続く。どうしたものでしょうねえ、と穏やかな声で皆の意見を伺った。


「放っておけばいいじゃないの。いちいち相手してやる必要なんてないわ」

「馬鹿、以前それで現世に大災害を巻き起こしたという話をもう忘れたのか」

「あの時は大変でしたよ。人間の陰陽師に冥府の神まで出しゃばってきましたもの」


 三人が思い思いに雑談を交わし、少し間が空いたのを見計らって竜が口を開いた。


「誘いにのってあげましょう。力ずくではなく勝負として、ね」

「そうですね、鬼も退屈を紛らわせたら多少は気が済むでしょうし。こちらで決まりを提示してやれば、乗ってくるでしょう」


 竜の言葉に、鷹も同意した。鬼一派が喧嘩を吹っ掛け、竜一派が決まりを指定する。それが、数百年以上続く勝負であった。ただの殺戮ではつまらない、これは仲の悪い彼らなりの余興なのだ。


「どうするんだ? 十年前の巨大すごろくみたいなのは、向こうが痺れを切らすぞ」

「私もあれは退屈だったわ。運に左右されてばかりでつまらなかったもの」

「途中で鬼が賽子を握り潰して、なし崩しに殴り合いになっていましたね」


 十年前の遊戯を思い出し、三人は遠い目となった。前回は先に辛抱できなくなった鬼の負けという事に一応なっている。最終的に肉弾戦へ発展したので多少はすっきりしたらしく、鬼達も一旦大人しくしていたのだった。


「前回は人間の娯楽に興じたのだし、今回は思いっきり身体を動かすのもいいわね。とはいえ、ただ殴り合うのも芸がない。少し捻りを加えましょうか」


 竜の提案に、三人は頷く。こうして竜一派は、ああでもないこうでもないと、話し合い出したのだった。

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