最終話 卒業式、そして新しい世界

 春の朝、校舎の中はいつもと違う空気に包まれていた。

 教室の窓から差し込む光は、柔らかく、どこか温かい。

 外を見ると、校庭の桜が七分咲きで、淡いピンクの花びらが風に揺れている。

 その美しさに、私は思わず息をのむ。


 今日は卒業式。高校生活最後の日。

 教室は、友達との別れを惜しむ笑い声と、少しの緊張感に満ちていた。

 窓際に座る彼──瀬戸悠真も、いつもと変わらぬ無表情で机に向かっている。

 だけど、いつもより少しだけ目が優しく見えるのは、気のせいだろうか。



 私の心は、胸の奥で高鳴っていた。

 あの雨の日、文化祭、放課後の図書室、相合傘……

 彼と過ごした時間のすべてが、鮮明に思い出される。

 今日、この卒業式で、私の胸の奥にある気持ちは、きっと形になる。

 でも、まだ言えない。


 教室の空気は、友達の笑い声やカメラのシャッター音でざわつく。

 机の上には、寄せ書きや写真、思い出の品が置かれ、色とりどりの紙やペンの匂いが混ざっている。

 その中で、私は彼の存在を感じるだけで胸が締め付けられる。



 卒業式の開始のチャイムが鳴り響く。

 全校生徒が体育館に整列する中、私の心は落ち着かない。

 壇上に上がる校長先生や来賓の挨拶、合唱の歌声。

 すべての音が、遠くのようで近いようで、胸に響く。


 名前が呼ばれ、一人ずつ卒業証書を受け取る。

 呼ばれる瞬間、私は手のひらをぎゅっと握る。

 心臓が跳ねる。

 その先に、彼の姿があると思うと、言葉が喉まで詰まる。



 卒業証書を受け取り、拍手の中で歩き出す。

 隣の席から視線を送ると、彼も卒業証書を手にして立っていた。

 私たちの目が合う。

 言葉を交わさずとも、互いの心が震えるのを感じる。


 式が終わり、教室に戻る。

 友達と最後の記念写真を撮ったり、寄せ書きを回したりする中で、私はつい悠真の方を見てしまう。

 彼は机に手をつき、少し前かがみになってこちらを見ている。

 その視線に、胸が高鳴る。



 式が終わり、校庭に出る。

 桜の花びらが舞い散る中、風に乗って春の香りが漂う。

 悠真と私は、自然と二人きりの空間にいるような錯覚に陥る。


「……藤咲」


 呼ばれ、息を呑む。

 無表情の彼が、少しだけ目を細めているように見える。


「な、なに……?」


「……今日、ずっと言いたかったんだ」


 短い言葉。でも、その響きには真剣さが宿っていた。

 私は胸の奥がぎゅっと締め付けられ、思わず視線を逸らす。


「……でも、今まで言えなかった」

 彼の声は低く、震えているようにも聞こえた。


 私は小さく頷く。

 心の中で何度も繰り返した言葉――「好き」。

 それを、ようやく、伝える瞬間が来たのだ。



 桜の花びらが風に舞う中、二人は向かい合う。

 距離はわずか。息が重なる。

 胸の奥が熱くなる。


「……藤咲、好きだ」


 その声に、心臓が飛び出しそうになる。

 目の前の彼が、私の言葉を待っている。

 私は深呼吸し、震える声で答える。


「私も……好き」


 互いの視線が重なり、初めて胸の奥の想いを確かに伝えた瞬間、世界が柔らかく色づいた。

 桜の花びらが舞う中、二人の距離は一気に縮まった気がした。



 卒業式後の春休み。


 私は彼と街で待ち合わせ、カフェでアルバイトを始めた。

 放課後に二人で会う日々は、日常の中で少しずつ特別になっていく。


「……藤咲、今日も来たのか」


「うん、もちろん」


 短い会話でも、胸の奥は温かくなる。

 肩が触れそうな距離で笑い合うだけで、心は満たされる。


 休日には、図書館や公園、街の小さなカフェを一緒に回る。

 手をつなぐのはまだ照れくさいけれど、互いに意識し合うだけで幸せだ。



 桜吹雪の中、歩きながら私は思う。


 高校生活の思い出、放課後の図書室、文化祭、雨の日の相合傘――

 そのすべてが、今日のこの瞬間につながっていたのだと。


 たった二文字で変わる世界。

 でも、その二文字を伝えるまでに必要だった時間は、決して無駄じゃなかった。


 私は胸の奥で、小さくつぶやく。


 ──好き。


 そして彼も、同じ気持ちを抱いていることを、私は知っている。

 これからの未来も、二人で少しずつ歩いていける。

 桜の花びらが舞う街で、私たちは新しい一歩を踏み出したのだった。

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