風の臟腑に火、昇る—翔破の四月
2027年4月13日 大分県議会
議場の天窓から、春の光が斜めに差し込んでいた。
机上の資料には、濃紺の印刷文字――「県方針『衝撃と畏怖』」の四字が、硬質な影を落としていた。
議長が木槌を軽く鳴らす。
「それでは、産業技術研究院拡充の方針審議を始めます」
県知事が立ち上がる。声は静かだが、その奥に明確な熱を帯びていた。
「我々が掲げる新方針『衝撃と畏怖』は、単なる軍備増強ではありません。それは、“恐怖の抑止”ではなく、“畏敬の守勢”を形にするものです。圧倒的な火力体系――しかし、それを“振るう”ためではなく、“誰も手を出せぬ”均衡のために置く。戦うための研究ではなく、戦わないための技術。我々は、力を恐れず、しかし、力に酔わぬ覚悟を持たねばなりません」
議場が静まり返る。
幾かの議員は、紙束を握る手を強くした。
「……“衝撃と畏怖”っちゅう言葉そのものが、なんとも物騒に聞こえるんやが」
中堅の議員が腕を組む。
「大分は火ノ国とは違うち思うちょる。わしらぁ、理屈の国やろうが。理と信義で動く県や」
「理はええ。けんど理ばっかで守れるか? あそこが“火ノ国”ち呼びよるんなら、うちは“静ノ国”でええんか?」
「“静”ちゅうんは、沈黙の意味にも取れるで。守るための声っちゅうもんが要るんやないか」
「せやけどよ、力に頼りすぎたら、熊本と同じ
「まぁ……知事の言う“畏敬の守勢”ちゅう考えは、分からんでもないけどな」
議場の空気は重たく、しかしどこか前向きな熱を帯びていた。それは恐怖からくる沈黙ではなく、選択を迫られる者たちの思考の熱だ。
知事は一歩前に出て、低く言葉を続けた。
「――この方針の根底にあるのは、“打たれた後に立つ県ではなく、打たせぬ県を作る”という一点です。わたしは、軍事を語るときに、決して好戦を口にしたことはありません。しかし、隣が剣を掲げたとき、我々が花を掲げても意味はない。だからこそ、“技術の均衡”を創りたいのです」
「……つまり、うちが信義を貫くためにも、まずは信義を護る鎧が要るっちゅうわけか」
「鎧……ええ例えやな。鎧は見せるもんやなくて、心を隠すもんや」
「ほうやけど、鎧の内の心まで腐っちまったら元も子もなかぞ」
笑いとも嘆息ともつかぬ声が、議場をかすめた。その空気を切るように、慧が静かに立ち上がる。
「私は、賛成します」
その声は穏やかだが、芯は硬い。
「“衝撃と畏怖”という言葉が、力の誇示ではなく、理の防壁であるなら、わたしたちは、武力ではなく、“工業の理性”で立つべきです。産業技術研究院が今、県内各企業や大学と協働を始めています。この方針を推進すれば、結果として大分全体の技術力が底上げされる。平和を維持するための“技術の鎧”を築くことが、いま必要だと思います」
慧の言葉に、いくつかの頷きが生まれる。
そこに、和巳が続いた。
「慧の言う通りです。でも、私は少し違う側から申し上げたい。火力とか畏怖とか、そういう言葉の奥に、“人”がいることを忘れたくない。今、訓練を始めた普通科の皆さんの中には、家族を残して現場に入った人も多い。方針がどれほど立派でも、それを支える人の生活や想いを守れなければ、意味がありません。力を手にするなら、同時に“優しさを持つ力”でなければいけない。私は、その形を、県の研究でも、軍備でも、同じように求めたいと思います」
彼女の言葉の後、沈黙があった。それは異論の沈黙ではなく、考えるための沈黙。
静寂の中、春の風が遠くのガラス窓を鳴らした。
「……和巳は、やっぱりよう見ちょる。技術も人も、両輪や」
「せやな。力ばっか増やしても、肝心の魂が追いつかんかったら倒れるばい」
議長が頷き、木槌を取る。
「では――県方針『衝撃と畏怖』、および新規研究課題『航続距離の改善』、ならびに普通科四個師団訓練計画について、採決を行います」
木槌が三度鳴る。
議場の空気がひとつ、深く息を吐くように静まった。
窓の外、梢の影が春光に滲む。
この日、大分県は“恐れ”の中でなく、“覚悟”の中で動き出した。
火の国が炎で己を包むなら、大分は、理と静寂の中に燃える「見えぬ火」を宿したのだった。
神泉教治世記―九州統一と四国制覇の道― 西野園綾音 @nishinosonoayane
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