河川敷の声

 夕暮れの河川敷、グラウンドの白線は雨に削られ、ところどころで草が顔を出している。

 そこに集まるのは十人ほどの男たち。年齢も仕事もばらばらで、毎週日曜だけはここで野球をやると決めていた。


 グラウンドの脇には、古びたベンチがある。誰も座らなくなって久しいそのベンチには、うっすらと名前が刻まれている。「たかし」と読めたが、いつの時代のものかはわからない。チームの誰も、その名前に心当たりはなかった。


 試合が始まると、妙なことが続いた。

 センターに回った青年が、フライを追って足をもつれさせた時、聞き慣れない声が響いたのだ。


 ――走れ。


 グラウンドには誰もいない。声をかけられた青年は周囲を見渡したが、仲間はベンチで笑っているだけだった。

 次の回には、ピッチャーが一球を投げ損ね、ボールが大きく外れた瞬間。


 ――気を抜くな。


 低く押しつけるような声が、耳元で響いたという。彼は驚いて足を止め、バッターにも奇妙そうに見られた。


 やがて日が沈み、河川敷を赤く染めるころ。キャッチャーの後ろで球拾いをしていた男が、唐突に倒れ込んだ。胸を押さえ、息が荒い。仲間が駆け寄ると、彼はかすれた声で言った。


 「……後ろに、立ってたんだ。ユニフォーム姿の奴が……帽子に“たかし”って……」


 振り返っても、そこには誰もいなかった。草むらが風に揺れるだけだった。


 その日から、チームは河川敷に集まらなくなった。ベンチに刻まれた名前も、いつのまにか削り取られて消えていたという。


 ただ、一度でも声を聞いた者は、夜中に夢の中で同じフレーズを繰り返し聞くのだ。


 ――まだ、九回は終わっていない。

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