第2章 第15話「沈む慟哭」


顔を上げた子どもの瞳が、光を吸うように――水色に染まっていた。


喉の奥からは苦しそうな呻きが漏れている。


「……っ!あの色――」


「魔晶人間!?」


シアが息を呑む。


ゼフィルの背筋に、冷たいものが走った。

教会の地下で会った男たちと同じ瞳だ。


群衆が蜘蛛の子を散らすように退き、遠巻きに罵声と悲鳴が混ざり合う。


「誰か捕まえてくれ!」


「やっぱり獣は獣だ!」


「ガキでも危ねぇんだ、鎖を付けとけ!」


罵倒の飛沫が空気を汚す。


ゼフィルの踵が、ひとりでに前へ出ようとする。


「待つんだ、ゼフィル君」


肩を掴むのはオリヴァンだ。


「騎士団がいる。任せるんだ。……私たちはここで目立つわけにはいかない」


「だが、捕まえられればっ!」


「分かっている。君なら可能だろう。だが、それで得るものと失うものを、天秤にかけてくれ」


オリヴァンの声は柔らかいのに、揺れない。

ゼフィルは奥歯を噛んだ。


「ネベル君、もしもの時はルミナを守ってくれ」


「…へェィ」


ルミナの手は、シアの指をぎゅっと握りつぶしそうに強く握っていた。


白い鎧が石畳を叩く。

白翼騎士団が子どもを囲み、盾を構えながら警告を飛ばす。


「おい、武器を捨て――」


言葉の最後が潰れる。


獣人の子どもが弾かれた矢の如く飛んだ。


盾に音が走り、鉄の円が歪む。

巨躯の騎士が、そのまま横腹から屋台に叩きつけられた。


「ぐっ、がはっ――!」


「くそ、速い!」


次の瞬間、もう一人の騎士が足払いを食って宙を舞い、石畳に背中を強かに打った。


子どもの爪先が石を掻く音が耳障りに残る。


小さな胸は荒く上下し、水色の瞳孔は焦点を失っていた。


その後も複数人の騎士で囲みながら子どもを取り押さえようとするも、暴れる獣人の子どもに次々と倒されていく。


ゼフィルの我慢が限界に達する。


「アイツらじゃ埒が明かない!もう俺が――」


肩を抑えるオリヴァンの手を振りほどき、魔力を練りかけた瞬間――


「全員下がれ。俺に任せろ」


低く落ち着いた声が通りに響く。

白い外套をはためかせ、一人の男が歩み出る。


「あいつは――」


(たしか…シグルト――)


腰に剣を携えた、大柄の男が前に出る。


獣人の子どもを取り囲んでいた騎士たちが下がり、人垣のざわめきが、一瞬だけ収束する。


「聞こえるか」


シグルトの問いかけに獣人の子どもは答えない。


喉の奥で低い唸り声を鳴らし、シグルトを睨んでいる。


「声は届かないか」


シグルトは剣を抜かぬまま、獣人の子どもに向かって歩み出す。


子どもが牙を剥き、真っ直ぐ飛んだ。

白外套が風を孕む。


しかし、獣人の子どもの爪が無防備なシグルトに突き立てられる――そう思った刹那だった。


スレスレで身を翻したシグルトの手刀が獣人の子どもの首筋に走る。


その短い衝撃により、水色の瞳が裏返り白目を剥く。


小さな体が糸の切れた人形のように石畳に崩れ落ちた。


「アイツ全然剣抜かねェなァ」


ネベルがシグルトを見て退屈そうに呟く。


一件落着。

誰もがそう思った――。


だが、次の瞬間、空を裂くような絶叫が耳を劈いた。


シグルトの一撃で気絶したはずの獣人の子どもの身体が、体毛に覆われ、みるみる肥大化する。


小さかった身体から放たれるその叫びは、断末魔のようでもあり、魂の慟哭のようでもあった。


先程までの子どもの姿はどこにもなく、巨大な獅子のような獣の姿がそこにはあった。


再び、人々の悲鳴が上がる。


「やるしかないか…」


シグルトが目を伏せ、腰の剣に手を伸ばす。


触れるものすべてを八つ裂きにする獅子の鋭い爪が、シグルトに突き立てられる。


刹那、銀が抜けた。

光が走り、鋭い一線が、空気と静寂を断ち割っていた。


一瞬、獅子の瞳に光が戻り、シグルトの姿を捉える。


「……ぁ」



――バシュッ!!


シグルトの一閃が獅子の身体を上下に両断していた。


核もろとも断ち切ったのだろう。

獅子の身体が塵となって消えていく。


「さすが聖騎士さまだ!汚い獣を一瞬で片づけちまったぜ」


「やっぱり獣は人様が躾けてやらないとダメなんだ!」


群衆の口々が、獣人族への憎悪と偏見を吐き出す。


「……やっぱり、そうなるのね」


シアが小さく唇を嚙んだ。

ルミナはシアの胸元に顔を埋め、震える肩を隠す。


オリヴァンが、ゼフィルの肩から手を離した。

深く息を吐き、シアとルミナの前に立つ。


「行こう。私たちにこの場でできることはない」


もどかしい思いを嚙みつぶしながら、ゼフィルは去り際に後ろを振り返る。


視界の端に、剣を下げたまま悲しげに立ちつくすシグルトの姿が映った。



※ ※ ※



騒ぎの中心から少し離れるだけで、周囲は喧騒を取り戻していた。


一人の獣人族の命など初めからなかったかのように。


大通りを少し外れた街路樹の根元にゼフィル達は腰かけていた。


遠くに聞こえる人々の賑わいが、違う世界のことのように感じる。


まるで世界からゼフィル達だけが切り離されたように、重い空気が漂っていた。


「獣人族は嫌われてるの……?」


ルミナがシアの胸に顔をうずめながら、震える声で沈黙を破る。


「今の王都では、それは否定できないね…」


オリヴァンが苦虫を嚙み潰したような表情で肯定する。


「でも、あたし、ゼイラスもロアも好きだよ…二人とも強くて優しいよ」


涙をいっぱいに浮かべた瞳でルミナがオリヴァンを見る。


「そうだね、私もそう思うよ」


「じゃあどうして?どうして皆は獣人族のことをあんなに酷く言うの!?」


「それは、彼らが獣人族のことをちゃんと知らないからだ」


オリヴァンはルミナの問いに目を逸らさずに、丁寧に答える。


「この世界は歪で、間違っていることがたくさんある。でもね、ルミナ。君や私は獣人族が誇り高く、優しいと知っている。リベルナの皆もそうさ。それを知っている者がいるというだけで――それだけで救いになることだってある。それが私達なりのこの世界へのささやかな抵抗なんだ」


そう言って、オリヴァンがルミナの頬を伝う涙を指でぬぐう。


シアは優しくルミナの頭を撫でる。


ゼフィルは、薄水色の残像をまぶたの裏に押し込み、拳を握った。



あの獣人族の子どもは苦しんでいた。


それに、死の直前、一瞬意識を取り戻したように見えた。


ゼフィルには、その瞳が救いを求めているように映ったのだ。


それを見て確信したことは、あれは明らかに自分の意思ではなく、強制的に暴走させられていたということだ。


(攫われた獣人族の子どもが全員は見つかっていないことを考えると、オリヴァンの推測通り、裏で糸を引いている奴がいる――命を弄んでいる奴が)


あの獣人族の子どもには奴隷の焼印があった。


奴隷として扱われた挙句に、モノのように実験に利用され、最期は苦しみながら命を散らしていった。


あの獅子の叫びは、ゼフィルと同じく、理不尽に尊厳を踏みにじられたものの慟哭だったのかもしれない。


兄との別れの記憶がチラリと頭をよぎる。


(絶対に見つけ出して報いを受けさせてやる…!)


祭礼の喧騒を遠くに、ゼフィルの中で、憤りが雷の様にバチバチと音を立てていくのだった。




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あと2話で第2章終わりです!是非最後まで読んでね!!


感想を貰えるとプリンぬは飛び跳ねて喜びます!!


また、最新話はnoteで読めるので、気になったら覗いてみて下さい!!



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