第1章 第8話「堕逅(だこう)」


――冷たい感覚が頬を撫でた。


意識はまだ朧気だったが、感覚だけは鮮明だった。


硬い岩に叩きつけられた背中の痛みと、湿った空気の冷たさ。


加えて、重苦しい閉塞感が全身にずっしりとのしかかる。


そして何より、聞こえてくるのは……見知らぬ“声”。


そうだ。確か、地盤が崩れて――


「おい、生きてるかァ?」


耳元で、妙に明るい声がした。

同時に、頬に何かがペチペチと当たる。


「うっ……」


震える声が自分の口から漏れた。

重たいまぶたをゆっくり開ける。


視界に映ったのは、二匹の人型の魔物――否、人に見えた。


「…………え?」


咄嗟に跳ね起き、距離を取った。


腰が抜けそうになるのを、壁に背を預けて堪える。


一人は灰色の髪をぼさぼさに逆立てた少年だ。


薄藍色の目で好奇の眼差しを向けてくる。


もう一人の少し距離を取って座っている少年は、茶髪に薄緑の瞳をしている。


端正な顔立ちをしているが、その顔は疲れ切っており、煤と傷にまみれていた。


……二人とも、あまりにも“この場所に馴染みすぎている”。


まるで、ここにずっと前からいたかのような――


「ひと……ですか……?」


恐怖と混乱に震える喉で、ようやく言葉を発した。


手足を動かそうとしたが、まだ身体が言うことを聞かない。


「一応な…こっちのヤツはどうか知らんけど…」


「オィ、仲間外れにすんなァ」


こんな場所で冗談を言い合っている。

状況に頭が追い付かない。


「あんたは…エルフ、か?」


「っ!……えぇ、私はシア…。王国の奈落調査隊で…深層での調査中、地盤が

崩れて…それで……落ちて、しまって……」


呼吸が乱れて、涙が出そうになった。


この深度。

こんな空間。


調査隊の報告記録では、深層より下の構造は“未確認”とされていたはず。


それなのに、目の前には、立っているだけで押しつぶされそうな圧迫感さえ感じる奈落の下層で、平然としている子どもが二人――明らかにおかしい。


「俺はゼフィル。まぁ落ち着けよ。あんた上から落ちてきたんだろ? 別に俺たちはあんたをどうこうするつもりもないし、情報が欲しいだけだしな」


「俺ァネベルだ。お前、耳とがってんなァ!引っ張ったら伸びるか?」


「ひっ」


ゼフィルと名乗った少年の言葉とは裏腹に、ネベルと名乗る灰色の少年が耳を触ろうと近づいてくる。


「ネベル! めんどくさくなるから怖がらせんな。俺はもう疲れてはやく休みたいんだ!」


ゼフィルが苛立たしそうに言った。


よく見ると、切り裂かれた服の隙間から、血のにじむ傷がいくつか覗いていた。


「……あなた、怪我してるわ! はやく治療しないと!」


「ただの掠り傷だ。」


ゼフィルがぶっきらぼうに呟く。


「だめよ!奈落での怪我は命取りなの!未知の感染症にでもかかったら死ぬわよ!」


そう言いながら、シアは手を伸ばした。


「何を――」


ゼフィルが言いかけるより先に、シアの指先から柔らかな光が漏れた。


淡い翠緑の光がゼフィルの傷口を撫でるように包みこむ。


ゆっくりと、だが確かに、傷が塞がっていく。


「すげェ!お前、人の傷治せんのか!?」


ネベルが声を上げた。


ゼフィルも目を見張って驚いているようだったが、すぐに低く呟く。


「……ありがとう。助かった」


その一言に、シアの緊張が少し和らいだ。


「あなたたちは……なんでここにいるの?」


シアは問いかける。


ゼフィルはしばらく黙っていたが、やがて簡潔に答えた。


「……昔、ここに落ちた。」


「ふははっ!あん時は面白かったなァ!」


「お前…まじで少し黙ってろ…」


冗談めかしたネベルの口調とは裏腹に、シアの脳裏には恐怖が浮かぶ。


(奈落の瘴気は数日で人の正気を奪い、その濃密な魔晶濃度は、普通の人間なら数時間浴びるだけで意識を失うはず――それが、何年も…)


だが、もし彼らがずっとここにいるというのが本当だとすれば――


「ここから上に戻る方法は……あるの?」


シアが恐る恐る尋ねる。


「あったらとっくに地上に戻ってるだろうな」


ゼフィルが即答する。


薄々わかってはいたが、ゼフィルの返答に絶望の二文字が頭をよぎる。


こんな奈落の下層――深層より下、断界層で生きていけるわけがない。


「リベルナのみんな……ごめん――」


「悲観してるとこ悪いが、後にしてくれ。そっちの質問に答えたんだ。こっちの質問にも答えてくれ。」


黙り込むシアにゼフィルが冷ややかにそう言い放つ。


「ここは…この谷は――いったいどこだ?」


ゼフィルの言葉に、シアが言いづらそうに目を落とす。


「…ここは、奈落。禁忌の地と言われる死の谷よ。ここの下層に落ちて生きて帰った者はいないわ」


黄金色の瞳を震わせながら、目の前の少年、ゼフィルにそう言った。



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エルフの女の子だ!女の子だ!!!

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また、最新話はnoteで読めるので、気になったら覗いてみて下さい!!



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