第1章 第5話「蘇厄」


ネベルの腕を、“龍の核だったもの”が這っていた。


その蠢きは、有機とも無機ともつかぬ奇妙な滑りを見せながら、じわり、じわりと肩へと登っていく。


「ネベル!動くなッ!」


ゼフィルが叫んだ。

雷が瞬時に練られ、稲妻がネベルの肩に直撃した。



ビチィィ――ッ!


「ぐえェ! ビリビリする!」


肉が焼ける匂い。

ネベルが声を上げる。


その声と同時に、紫の“それ”は勢いよくネベルの体から跳ねて離れた。


「出力下げたからお前なら全然大丈夫だろ…」


「まぁなァ、助かったぜ」


だが、それだけでは終わらなかった。


“それ”は地に落ちるなり、先ほどの紫の人骨へと這い寄り――融合したのだ。


ぐちゅり、と濡れた音。

骨が蠢く。


粘液が絡み、肉のように変化し、


やがて――


ヒトの“形”になった。


半透明の体。

心臓部にあたる場所には、脈打つ紫の結晶。


四肢は人間のそれに酷似している。

だが、その肌は光を吸い込むように淡く、目は――無い。


それでも、そこに確かに“視線”があった。

見られている。


そして――


本能が告げていた――アレは、呼び起こしてはいけないものだと。


“それ”は静かに立っていた。


まるで神像のように。

どこか神聖ですらある美しさ。


だが同時に、その存在はこの谷に生きるどんな異形よりもおぞましい。


二人ともその静かな視線に一瞬硬直した。

ネベルも何か異質なものを感じ取っているようだ。


先ほどの龍よりも恐ろしい存在、まるで禁忌そのもの――


「……ゼフィル、俺とヤツがぶつかったら俺にかまわず全力を叩き込め」


ネベルが静かに呟いた。


その額には冷や汗が滲んでおり、見たことのないネベルの様子にゼフィルは無言で頷く。


次の瞬間、ネベルが地を蹴った。

風を裂き、拳が宙を走る。


だが――その拳は届かなかった。


ヒトの形をした“それ”が、微かに身体を捻る。

その一瞬の動きだけで、ネベルの拳が空を切った。


次の瞬間――



ドゴォッ!!


ゼフィルが雷撃を放つ間もなくネベルの身体が弾丸のように吹き飛び、後方の岩壁に激突。


石が砕け、煙が立ち上る。


「ネ、ベル……?」


呆然と、ゼフィルは呟いた。

ゼフィルには見ることすら叶わなかった。


だが、今の一撃には――


――“知性”を感じた――


明らかに本能のまま暴れる魔物ではない。


ネベルの攻撃を躱し、的確に反撃の一撃を繰り出した。

直感的にそう感じた。


そう仮説付けた瞬間、ゼフィルの足が震える。

頭が真白になる。


――勝てない。


久しく忘れていた“死”の気配が、肌にまとわりつく。


“それ”が、歩み寄ってくる。

ゆっくりと。 音もなく。優雅な足取りで。


「くるな……くるな……ッ!」


ゼフィルが魔力を練る。

だが指が震える。発動が遅れる。


ヒト型の“それ”が目の前に立つ。

無表情の顔が、わずかに傾く。


ゼフィルの首に、冷たい掌が添えられた。

命が吸われる感覚。


指先から感覚が失われていく。

視界が滲む。



――兄の顔が見えた。



※ ※ ※ 



――燃えていた。

崩れ落ちる柱。裂ける炎。


天気のいい日に父と剣術の特訓をした庭も、寝る前に母が英雄の昔話を聞かせてくれた柔らかい椅子も――灰になっていた。


床に伏した家族たちは、もう声も発せず、ただ、血に染まっていた。


「走れ!ゼフィル!!」


焦げた手が、自分の手を強く引く。

息も絶え絶えな声に、振り向いた先。


水色の瞳が、燃え盛る屋敷の奥からこちらを見ていた。


ゼフィルにはなぜかその瞳が薄ら笑いを浮かべているようにも見えた――。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



――灰色の瘴気が立ちこめる、暗い谷底だった。


煤で汚れた兄の横顔が見える。


いつもの人を安心させるような笑顔は消え失せ、ゼフィルの手を引く指は震えていた。

しかし、その声は震えてなどいなかった。


「何としてでも、生き延びろ。絶対に、諦めるな」

「ゼフィル、お前は――生きろ」


その遠ざかる背中が、兄の最後の言葉が脳裏に焼き付いて離れない。


生きろ。生きろ。生きろ。生きろ。生きろ――

諦めるな。諦めるな。諦めるな。諦めるな――


生き延びてあの日の真実を知るまでは――死ねない。


ゼフィルの中で燻ぶっていた焔が、パチパチと音を立てて燃え上がるのを感じた。



※ ※ ※ 



ゼフィルの手が人型の“それ”の手首を掴んだ。


手のひらから、白い凍気が溢れ出す。



――ビキィッ!


紫の腕に氷が走った。


肘から下が、瞬く間に凍りついていく。


「……雷だけだと思っただろ」


ゼフィルの目に、鋭い光が戻る。


驚いたようにヒト型の“それ”がゼフィルから距離を取る。


その滑らかな動きはやはり魔物のそれではない。


知性がある。

思考している。


ゼフィルは自然系統の魔法を一通り使えるが、雷以外の魔法は威力が弱く戦闘で使える程ではなかった。


今までは、せいぜい怪我した場所を冷やしたり、焚火の炎を付ける程度しか使えなかったが――


「お前の頭が良くて助かったぜ…!」


――だからこそ、ゼフィルの意表を突いた攻撃に“警戒”したのだ。


ヒト型の“それ”はゆっくりと間合いを取り直す。


その無表情の顔には、感情の起伏すらない。


だが、その一歩一歩に込められた警戒の色は、ゼフィルの仮説に確信を与えていた。


雷が手のひらに集まり始める。

れと同時に、足元に微細な風が巻き起こり、空気が凍てつき始めた。

雷、風、氷――複数の魔法が同時に収束する。


死に直面したことで、ゼフィルの中で何かが明らかに“変化”していた。


空気が張り詰める。 その背後で――


岩壁に空いた穴の前に、一つの影が立っていた。


灰色の髪を血で濡らしながら、白目を剥き気絶した状態のネベルが、立っていた。


眠っていた“何か”が目を覚まし、研ぎ澄まされた殺意と理性なき本能が牙を剝いていた。



________________________________________

次回もバトル回どす!

感想を貰えるとプリンぬは飛び跳ねて喜びます!!


また、最新話はnoteで読めるので、気になったら覗いてみて下さい!!

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