俳優論?
@19910905
第1話
百歳を超えた今でも、舞台の板を踏む感覚は覚えている。足の裏に伝わる微かなざらつき、照明に照らされた自分の影、観客の息遣い――すべてが私の体にしみついて離れない。若い頃は、ただ必死に台詞を覚え、動きを暗記することだけを考えていた。毎日、失敗しては落ち込み、また笑い飛ばして稽古場に戻る。その繰り返しでしか、舞台はわからなかったのだ。
今思えば、舞台とは失敗も偶然も含めて生きる場なのだ。若手がミスをして焦る姿を見ると、かつての自分と重なる。焦り、熱量、未熟さ。だが、それを恐れてはいけない。私はよくこう言った。「ミスを恐れるな。台詞や振りは後から修正できる。肝心なのは、魂をどう乗せるかだ」と。舞台は技術だけではなく、心の鮮度で成立する。
そして基礎の大切さも忘れない。腹筋、呼吸法、発声、立ち方。毎日の反復が、百の本番よりも確実に力をつける。地味で退屈だと若者は眉をひそめるが、舞台に立つ者の底力は、見えない訓練の中に宿るのだ。笑いながら稽古を続ける日々の積み重ねこそが、観客の心を打つ演技の土台になる。
舞台の小さな偶然の瞬間も愛した。台詞の間に生まれる沈黙、揺れるカーテン、照明の微かな光。そうした些細な瞬間が観客の心に触れる。人生もまた同じだ。何気ない日常の中にこそ、驚きや感動が隠れている。だから私は、舞台でも日常でも、目の前の小さな事象を見逃さないことを心がけた。
夜、家に戻ると、長年連れ添った妻であり舞台の同志が静かに手を握る。彼女の眼差しは深く、温かく、どんな拍手よりも重く心に響く。百年を生きてようやくわかった。人生も舞台も、結局は誰と共に歩むかで意味が変わるのだと。共に悩み、共に笑い、共に舞台を愛した日々――その光こそが、私の最も美しい舞台だった。
そして私は静かに息を整える。心の中で、まだ若き日の自分に語りかける。「よくやった」と。観客や世間に評価されなくても構わない。ただ一人の人の心に届く演技を、今日も生きた証として残す。百歳を越えた今も、舞台の感触は鮮やかで、人生もまた、彼女と共に歩む光に満ちている。それこそが、私の最後の舞台であり、最も深く美しい幕引きだったのだ。
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俳優論? @19910905
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