第28話 魔力の交感

 明かりに照らされた机の上に、羊皮紙と布切れが並んでいた。

 リリィは小柄な体を前に傾け、額に滲む汗を拭うことも忘れてペンを走らせていた。


「……回復の術式を“分解”して……あとは、縫い目に沿って……」


 小さな声で詠唱を添え、術式を書き込んでいく。だが光は一瞬だけ灯ったきり、すぐにしぼみ、線は淡く途切れてしまった。


「また……消えちゃった」


 悔しさに唇を噛みしめ、リリィは肩を落とす。机に置いた小さな拳が震えていた。

 セレスは静かに隣に座り、彼女の手元を覗き込んだ。


「焦らなくてもいいよ。私も最初は何度も失敗したから」


 セレスの声は、火照った心を冷ます水のように穏やかだった。

 だがリリィは首を横に振る。


「でも……私、やれると思ったんです。僧侶の詠唱なら慣れてるのに、どうして……」


 自分を責める声音に、必死さが混じる。

 セレスは少し考えてから、静かに言葉を選んだ。


「リリィは真っ直ぐすぎるんだ。そのまま魔力を流そうとして、術式の“骨格”を壊しちゃってるのかもしれない。分解して扱うには、もっと細やかな制御が必要なんだよ」


 言いながら、そっと”私”は彼女の手に自分の手を重ねる。温かな掌が触れた瞬間、リリィは驚いたように目を瞬かせた。


「……セレスさん?」


「試してみようか。私が少し、リリィの魔力を導いてみる。魔力はね、案外人の身体を通して流すこともできるんだ。無理だと思ったらすぐ言って」


 リリィは一瞬だけ迷ったが、やがて強く頷いた。


「……お願いします」


 セレスはリリィの背後に回り、彼女の手の上に自分の手を添える。

 ゆっくりと呼吸を合わせ、指先から細い糸のように魔力を送り込む。


「目を閉じて、呼吸を合わせてね。……そう、ゆっくり。吸って……吐いて……」


 リリィの肩が震えたが、次第に呼吸が整っていく。セレスはその流れに合わせ、自身の魔力を細い糸のようにリリィの体内に伸ばした。


「リリィの魔力は、本当にとても素直で真っ直ぐだね。だから、少し方向を変えてあげるだけできちんと形になると思うよ」


 その囁きに、リリィは小さく息を漏らす。


「……温かい……」


「うん、魔力は心の延長だからね。安心して、任せてみて」


 セレスの声は落ち着いていて、どこか子守唄のように優しかった。

 その誘導に従い、リリィの魔力は滑らかに流れ始める。


 羊皮紙に描かれた線が淡く光り、今度は途切れずに繋がった。

 術式全体が脈動するように明滅し、ふわりと暖かな気配が工房を満たした。


「……っ、できた……!」


 リリィは目を見開き、輝く魔法陣を見つめた。

 セレスは彼女の肩越しに微笑み、静かに頷く。


「うん。リリィの魔力でちゃんと動いてる。これが“分解と再構築”の第一歩だよ」


  リリィの瞳に涙が浮かび、声が震えた。


「まだ私一人じゃできません……でも、セレスさんが導いてくれたから……」


「私はただ、魔力の道筋を整えただけ。成功したのはリリィ自身の力だから自信を持っていいよ」


 セレスの言葉に、リリィは小さく笑みを浮かべた。

 それは不安をかき消すような、しかしまだ頼りなげな笑顔だった。


「……ありがとうございます。私、絶対に覚えます。セレスさんの代わりに、回復系魔法を解析できるように」


 その真っ直ぐな決意に、セレスは柔らかく頷いた。


「期待してるよ。きっとリリィなら、できるからもう一回やってみようか」


「……今みたいに、やれば……」


 リリィは深く息を吸い、符を見つめながら詠唱を紡いだ。

 魔力を縫い目に沿って流し込む。だが、光はすぐに細り、線は途切れて消えてしまう。


「また……だめ……」


 悔しさに顔を歪め、リリィは肩を落として机に額を伏せた。小さな拳が震え、幼い唇がぎゅっと結ばれる。


「自分だけだと流れを一本にしちゃって、すぐに潰れてちゃってるみたいだね。もう一回……一緒に、やってみようか」


 リリィは小さく頷いた。


「はい……お願いします」


 今度はセレスの呼吸を見やすいように二人は机を挟んで向き合い、手を重ねる。

 セレスが深く息を吸い込み、意識を集中させて囁いた。


「呼吸を合わせよう。吸って……吐いて……。私の魔力に合わせて、少しずつ重ねてみて」


 リリィは目を閉じ、セレスの声に身を委ねた。

 次の瞬間、体の奥からふわりと温かい感覚が広がった。


(……これ、さっきよりも……)


 魔力が絡み合い、境界が溶けるように混ざり合っていく。

 自分の力とセレスの力の区別がつかなくなり、まるで二人でひとつの呼吸をしているかのようだった。


「……あ、なんだか……気持ちいいかも……」


 思わず漏れた声に、”僕”は少し動揺するもセレスは変わらず小さく笑みを浮かべる。


「うん、不思議な感覚だよね。魔力が共鳴すると、互いに響き合って強くなる。……怖がらなくていいよ」


 羊皮紙の魔法陣が脈打つように輝き、今度は線が途切れず、柔らかな光が全体を包み込む。工房の中に暖かな癒しの気配が漂った。


「できた……!」


 リリィが瞳を輝かせる。頬は紅潮し、息は早い。それでも表情には、はっきりと達成感が宿っていた。

 セレスも満足げに頷いた。


「リリィ一人では難しくても、二人ならここまでできるんだ。……でも、これはリリィの魔力があってこそだよ」


 リリィは少し照れながらも、真っ直ぐに答えた。


「でも、セレスさんと一緒だと……すごく心地よくて。魔力が混ざるのって、こんなに気持ちいいものなんですね」


「そうだね。信頼しているからこそ、互いの力が素直に流れるのかもね」


 余韻の光が工房に残る中、二人は手を重ねたまま静かに呼吸を整えていた。

 その空気を破ったのは、隅で腕を組んでいたヴァレリアだった。


「魔力を混ぜ合うなんて、とんでもないことしてるわね」


 彼女は腕を組み、じっとセレスを見据える。


「正直、こんな芸当は聞いたこともない。あんたが魔法を分解して、改造して……異常なまでに制御を細かくしてるから、可能になってるんでしょうね」


 セレスはしばし黙り込み、指先に残る感覚へ意識を向ける。

 リリィの手を通じて流れ込む魔力は、確かに「補正」され、調律されていた。


「……そうかもしれない。実際、リリィの魔力の流れを、私の手で補正していた。もし理屈通りに進めば……他人の身体を媒介にして魔法を放つことも、可能かもしれない」


「はあっ!?」


 ヴァレリアが思わず声をあげる。


「そんなことして器になった身体がどうなるか! 自分以外の身体から魔法を撃つなんて、危なっかしいにも程があるわよ」


 セレスは小さく首を振り、冷静に言葉を継いだ。


「もちろん、実際に人で試すのは危険すぎる。魔力を扱う器が壊れてしまったら元も子もない。でも、理屈の上では可能だと思うんだ」


 リリィは息を呑み、真剣な瞳でセレスを見上げる。


「……私は、セレスさんが導いてくれるなら怖くありません」


 その目には迷いがなく、ひたむきな信頼があった。

 セレスは驚き、そして柔らかく笑った。


「ありがとう。リリィは本当に真っ直ぐだね。……でも、無茶はしないでおこう。これは最後の最後に試すべきことだから」


 ヴァレリアは深く息を吐き、姉のような眼差しで二人を見つめた。


「やっぱり、あんたたち二人は危ういくらいに信じ合ってる。でもね、自覚がなさそうなのが一番怖いのよ。……だから、こっちが余計に心配になるの」


 リリィは恥ずかしそうに俯きながらも、杖を胸に抱えた。


「……それでも、セレスさんと一緒なら、どこまででも頑張れます」


 セレスはその言葉に聞き、焚き火の光を映した瞳を細めた。


「じゃあ……私も、リリィの気持ちに応えられるように頑張るね」


 静かな工房の中で、魔力が混ざり合った余韻はまだ温かく残っていた。

 それは不思議な共感であり、危ういほど心地よい結び付き――そして確かに、二人を強く結ぶ新しい力だった。

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