TELL YOU…

四季人

TELL YOU…

 まず最初に気になったのは、ザワついた教室でも良く通る、アイツの澄んだ声だった。

 それから、大きな目と、華奢に見える身体と、細長い指。

 アイツ——。

 辰崎たつさき 晃巳てるみは、女みたいな男だった。



「ユウ、聞いてんのか?」

 呼ばれて、ハッとする。

 前に向き直ると、スマホ片手に顔を顰めるケータがいた。

「あ、あぁ、ワリ……」

 謝りながら、ふと思う、

 ……俺、いつからコイツと喋ってた?

「だからさ、来週の土曜空いてるか、って聞いてんの」

「なんで?」

 素で答えてから、しまった、と思った。

 案の定、ケータはイラっとした顔になる。

「……話聞いてねぇじゃん」

「ゴメンて! ……で、なんだっけ?」

「西校の女の子と遊びに行くっつー話だよ!」

「あー、そういう……」

 そこまで聞いて、少し落胆する。

「悪い……俺、そういうのパスで」

「何でだよ、サッカー部辞めて暇になったんだろ?」

 デリカシーも何も無く言い放たれたケータの言葉に、

「……そーゆー言い方すんなよ。好きで辞めたんじゃ……」

 胸が苦しくなった。

「分かってるって。……でもホラ、学生時代の楽しみっつうか、モチベっつうかさ。ぶっちゃけ必要じゃん、そーゆーの」

「間に合ってるよ」

 不意に口をついた言葉に、自分でもビックリして、俺とケータは思わず顔を見合わせた。

 沈黙が痛い。

「え……なに? ユウ、お前まさか、彼女いんの?」

 恐る恐る聞いてくるケータの丸い目から少しだけ視線を逸らしながら、

「……いねぇよ」

 俺は答える。

「ホントに?」

「ホントだよ。……彼女なんて、いるワケねぇじゃん」

 バクバクする心臓を軽く押さえながらそう言うと、ケータは一瞬で安堵の表情に変わった。

「じゃあさ! 行こうぜ、土曜日ー‼︎ イケメン連れてくって約束しちゃったんだよー」

「はぁ⁉︎ おま……勝手なコトすんなよ! 俺知らねーからな」

 演技じみた動きで縋ってこようとするケータを、俺はグイっと押しやりながら言った。

 半分は誤魔化しだ。

 ……俺は、嘘は言ってない。

 俺に居ないんだから……。


 帰りのホームルームが終わり、

「帰ろうぜ、ユウ」

 よく通る声が、バッグを担ぐ俺を呼び止めた。

 振り向くと、そこには俺の方を見てニヤニヤと笑う晃巳が立っていた。

 明るい金髪に、小さな顔。

「テル……」

 俺の身体から少しだけ、意識していなかった緊張が抜けていく。

 張り詰めていた糸が緩んでいくような感覚だ。

「買い物行くんだ。付き合えよ」

 晃巳の言い方は勧誘じゃなく、決定だった。

 いつもの事だから、カチンとくることもない。

 チラと周りを見やって、ケータの姿がない事に胸を撫で下ろす。

「……おう」

 俺は、無表情を作りながら答える。

 晃巳はニッと笑って隣に来ようとしたので、並ばれないように、俺は急いで廊下に出た。

「寄るなよ」

「良いだろ、別に」

「良くねぇから言ってんの」

 小声で話しながら、歩く。

 アイツが一歩距離を詰めてこようとする度に、俺は一歩分離れようとする。少しずつ歩くペースを上げなきゃいけなくなるので、結果、俺たちは二人とも、妙な早歩きで下駄箱まで行く羽目になってしまった。

「学校ではやめろっつったじゃん」

「みんな距離こんなモンだよ。ユウが意識し過ぎなんだって」

 不敵に笑う晃巳を見て、俺は返す言葉に困った。

 こいつはいつも言う事は間違っていない。だけど、俺が否定したくても出来ないようにしてる節がある。

 動揺した俺が靴を履き替えるのにモタついたせいで、晃巳はいつの間にか俺の目の前に立っていた。

 晃巳のサラサラの髪のてっぺんが、俺の目の高さにくる。

 そして、満足げな笑みを浮かべ、

「じゃあ、行こうぜ」

 クルリと回って、さっさと歩き出した。黙ってついてくるって、確信してるんだろう。

 俺は、

「……はいはい」

 溜め息混じりで、その後ろについて行った。


 気が重いのは、振り回されているからじゃない。

 晃巳の買い物に付き合うのは、コレで三回目だが、どうしても慣れない理由がある。

 アイツが入って行くのは、どれも女物の店だった。

 ちゃんと説明しようとなると、長い話になってしまうが……とにかく、回りくどい言い方を避けて端的シンプルに言うと、晃巳には女装の趣味があるのだった。

 そして俺たちは……つまり、その秘密を……なんて言うか、少しばかり複雑な形で、共有する仲、だ。

 今日は学校から四つ離れた駅の前のファッションビルに来ていた。

 ピタッとしたギャル服を着させられた、カーブがキツいボディラインのトルソーを前に、思わず足がすくんでしまっている俺をスルーして、晃巳はケロッとした顔で堂々と店に入って行く。

 大した勇気だと思うが、アイツにとっては、一周回って、もう普通の事なのかも知れない。

 楽しそうに女性店員と雑談しながら、晃巳が商品を取っ替え引っ替え見比べ出すと、掛かる時間は十分や二十分じゃきかない。

 その間、中にも入れず、その場を離れることも出来ない俺は、ずっと待ちぼうけだ。

 やがて、何枚かのカットソーと、ニットワンピと、クラッシュデニムのホットパンツを棚の上に並べると、晃巳は腕を組み、マジな顔をして見比べ始めた。

(おいおい……勘弁しろよ……)

 その様子を横目でチラチラと窺ってると、そんな俺を避けるように距離をとりながら、女の子の2人組が店に入って行った。

(うわ……今の、不審者を見る目だよ)

 いや、まぁ……男子高校生が、制服のまま、一人で女服の店の前でモジモジしてりゃ、そんな扱いになるのも当然なんだが。

 恥ずかしさで顔が熱くなる。

 ……マジで、なんでこんな気分にならなきゃいけないんだ。

 まったく、溜め息しか出てこない。


 やがて、パンパンに膨らんだデカいショッパーを肩から提げて、晃巳が出てきた。

「よっ、お待たせ」

「遅えよ、テル……」

「いやー、ワリぃ」

 そう答える割には、満面の笑みだ。全然謝ってる顔じゃない。

 本当に疑問だ。

 俺は、いつもこうして店の前で突っ立ってるだけだし、アイツも服を二枚提げて『ねぇ、どっちがいい?』なんて聞いて来るなんてことはしない。

 なのに、なんでいつも買い物に付き合わせるのか、俺にはまったく分からなかった。

「じゃあさ、外でたこ焼き食ってく?」

 こちらの不満を察知してか、晃巳がそう提案して、

「……うーん」

 俺は唸る。今月は、少し厳しい。

「オゴるよ?」

 チラと、晃巳が俺の顔を覗き込んだ。

「…………じゃあ、食う」

「正直だなー」

「埋め合わせだろ? 食わなきゃ勿体ねぇ」

 俺はさっさと下りのエスカレーターに乗って、出口を目指した。

「あ、待てよ!」

 後ろから晃巳が追いかけてくる。

 いいや、これ以上待ってられない。

 こっちは建物の中に充満するガチャガチャに混じったクラブミュージックと甘い匂いで、頭がクラクラしてんだ。

「なあ、ユウは買い物楽しくねぇの?」

 後頭部に晃巳の声が降ってきた。

「楽しいワケあるかよ。ここ上から下まで全部女物の店じゃねぇか」

「ギャル服見放題じゃん」

「俺にそういうシュミは無えよ」

 キッパリ答えると、晃巳は「そっか」と言ったきり、黙った。

 会話が途切れた事に気づいて、ハッとする。

 ……しまった。今の、言い過ぎたか?

 恐る恐る背後を見上げると、晃巳はショッパーを抱えながら、ぼんやりと売り場の方を見ていた。

 趣味シュミなんて言い方をしなければ良かったと、今更後悔する。

「……なぁ、テル」

「なに?」

 目線は、合わない。

「これさ、俺ついてくる意味あんの?」

 その質問に、晃巳は少しだけ間をおいて、

「……あるよ、当たり前じゃん」

 ぶっきらぼうに、そう答えた。

「……ふぅん」

 俺は前を向いて、小さく嘆息する。

 強引なクセに、たまに面倒くさいところあるよな、コイツ……。


「たこ焼き八個入り、二つね」

 注文する声が、少し離れた植え込みの柵に腰掛けてる俺にも聞こえてくる。

 その晃巳の背中を見てると、不思議な気分になった。

 俺は、今ここで、何をしてるのか、全く分からなくなってしまったような……ヘンな感覚だ。

 付き合う前の女の子とデートしてる時みたいな、緊張と、気遣いと……もしかしたら、なんていう期待。

 それを、晃巳に向けているっていう現実が、俺の頭を混乱させている。

「ほら、ユウ。マヨ多め」

「あ、ああ、サンキュ」

 戻ってきた晃巳が差し出した舟と割り箸を受け取って、歯で箸を割る。

 たっぷりとソースとマヨネーズが掛かったたこ焼きの上で、青のりを纏ったカツオ節がユラユラ踊っている様を見ても、俺の頭の中はモヤが掛かったままだった。

 隣では、いつもの顔に戻ってる晃巳が、マヨ少なめのたこ焼きを、ふーふー冷ましてる。

 会話が切れたままなのもツラいので、俺は何とか頭を巡らせて話題を探す。

「テル、あっち、クレープもあったけど」

「オレ甘いの苦手。ユウ好きなの?」

「別に……まあ、普通」

「そっか」

 ……あぁ、この話題はダメだ。広がらない。

「そ、そういえば、いつも買い物の時さ、テルは店員さんと何喋ってんの?」

「ん? んー……」

 たこ焼きを一つ頬張った晃巳は、

「姉ちゃんにプレゼントしたいんだけど、何が良いかな、とか……? 姉ちゃんと背格好が同じだし、顔も似てるから、似合うヤツを探してる、って」

 答えてから、晃巳はおかしそうに笑う。

「……なるほどね」

 俺は感心しながらたこ焼きを口に放り込んだ。

 晃巳に姉ちゃんはいない。

「どうりで……」

 ぼそっと口をついた言葉を、晃巳は逃さなかった。

「何が?」

「何でもねぇ」

「どうりで似合ってるって?」

「言ってねぇし」

「言おうとしてた」

「………………」

 俺はたこ焼きに夢中になってるフリをしていたが、手を止めた晃巳がじーっと見てくる。

 最後のたこ焼きを口の中でモゴモゴさせながら、俺は視線を反対側に流す。

「…………いホうとしてハ」

「素直じゃないなー」

 嬉しそうに笑う晃巳の澄んだ声に、

「……うっせ」

 飲み込んで、顔を逸らした。

「まぁ、いいや。ユウのそういうところ、嫌いじゃないし」

 晃巳は自分の分を食べ終えると、俺の手からゴミになった舟と割り箸をひょいと取り上げて、ゴミ箱へ捨てに行った。

「でさ——」

 振り向きざまに、晃巳は少し妖しい笑顔を浮かべる。

「——今日もウチ、来るだろ?」

 

 * * * * *


 晃巳が入れていったアイスコーヒーに手も付けず、俺はソファの上で胡座をかきながら、落ち着かない気分と独りで戦っていた。

 晃巳の家の広いリビングは少々殺風景で、家族写真や中学生の頃の絵が飾られている俺ん家とは真逆の印象だ。

 必要な物しか置かれていない、生活感のない空間が、余計に緊張を加速させる。

 アイスコーヒーのグラスの汗を眺めていると、突然、

「ユウキ」

 澄んだ声に名前を呼ばれ、心臓が跳ね上がった。

 いつもよりも、ほんの少しだけトーンの高い、でも不自然なしなりは全く無い声色。

 その声がした方へ目を向ける。

 セミロングのブロンドヘアを揺らしながら小首を傾げ、オフショルのニットワンピの裾を太腿の辺りで、きゅっと押さえている少女……


 ——の姿をした晃巳が、そこにいた。


 しばしの沈黙の後、

「……少し、あざと過ぎじゃねぇ?」

 俺が半眼で言うと、

「何だよ、可愛いだろ?」

 晃巳はいつもの身のこなしと声で反論した。

「その丈だと、パンツ見えるじゃん」

「見えねぇよ。ホッパン履いてるし」

 晃巳がペラ、と裾を捲るので、

「ちょっ」

 俺は思わず顔を逸らした。

「だ、だってそれホッパンっつうか、クラッシュし過ぎて、もうボロ雑巾じゃんか!」

「何言ってんだよ。さっき買ったばっかだって」

「知ってるよ!」

「なんだよ。ユウキ喜ぶと思ったのに」

 ムスッとしながら、晃巳は言う。

「いや、それは——」

 それは。

 ……それは、そう——なんだけど。

「もう少し前が突っ張るかと思ったけど、意外とイケるのな」

 困り果ててる俺の事を放ったらかしたまま、晃巳はその場でクルリと回ったりする。

 今度は完全に女の子の動きだ。

 見慣れてる俺でも、たまにコイツが男なのか女なのか、わからなくなる。

「で、どうよ、コレ」

 両手を腰にやり、胸を張ったポーズで晃巳は言う。

 俺は、

「あぁ……まぁ、その……いいんじゃね……?」

 言葉を濁しながら、少し、素っ気ない言い方で答えた。

 マトモな気分で答えられるワケがない。

「リアクションうっす」

「いいだろ、別に!」

「よくねーよ。ユウキの為にやってんのに」

 ふん、と言い放った晃巳の言葉に、俺はドキリとした。

「え、俺……?」

「そーだよ。当たり前じゃん」

 ふふん、と鼻を鳴らして、晃巳がつかつかと寄ってくる。

 距離が縮まる度に、心臓が壊れそうになっていく。

 足を崩し、逃げるようにソファに深く腰掛け直すと、晃巳は右膝を俺の足の横に置いて、ぐい、と身体を寄せてきた。

 晃巳と背もたれの間で板挟みになりながら、ごくりと喉が鳴る。

 薄っすらと、甘い花の香りがした。

 目と鼻の先に、晃巳の整った顔がある。

 酷く喉が渇いて、アイスコーヒーを一口も飲まなかった事を後悔した。

「なぁ」

「ん、なに?」

「……近くね?」

 俺が言うと、晃巳はクスリと笑った。

 そして、静かに顔を寄せて、薄くグロスのかかった唇を、俺の唇に重ねた。

 馴染みの無い音が、頭の中に直接響いてくる。

「……普通だよ」

 そう囁く声は、いつものよりも、ずっと甘い。

 優しい眼差しが、俺の考えてる事を見透かそうと、覗き込んでくる。

 

「だってさ、ユウキは可愛くなったオレ、好きだろ?」

 

 こつんと額をぶつけて来たので、

「………………」

 俺は軽く額を押し返す事で、同意を伝えた。

「最近ますます力が入るようになってきてさ」

「……好きな相手の趣味に合わせるってヤツ?」

「けなげだと思わん?」

「どうだか」

「疑ってんの?」

「そんなんじゃねぇよ。ただ……」

 そこで、言葉を切ってしまい、オレは戸惑った。

 ただ、なんだ?

 俺は今、晃巳になんて言おうとしたんだ……?

「………………」

 晃巳は俺の言葉を待ってる。

「たまに、分からなく、なるんだよ」

 途切れ途切れに答えながら、俺はアイツの目を見た。

 コイツの目が、コイツの声が、俺をこんなザワザワした気持ちにさせているのは間違いない。

 晃巳に見つめられると、嬉しい反面、不安にもなる。

 女の子を見るような目をコイツに向けてしまっている事とか、逆に、俺が女になってしまったような非力さを感じてしまったりとか——。

 うまく説明できないが、この複雑な感情に、手放しで乗っかってしまってはいけないんじゃないか、っていう感覚だけが、確かにあるんだ。

「オレもわからない」

 晃巳は目を逸らさずにそう言った。

「ユウキはさ、オレがこんな格好をしてるから、付き合ってくれてんの?」

「それ……どういう意味だよ……?」

「そのまんまの意味。〝いつもの〟オレだと——」

 上半身を寄せながら、晃巳は俺の脚の間に右手を突いた。

 細い腕が、敏感な部分に、ほんの少しだけ、触れる。

「——こんな風に、ならないだろ?」

 感情が見えない目。

「そんな事」

「なに、あんの?」

「………………」

 答えに詰まる。

 ここは、何を言っても、晃巳に正しく伝わってくれないような気がした。

「こんな格好をすれば、ユウキはオレを、で見てくれるし——」

 表情は変わらないが、その声は暗かった。

「だからさ! ……それが分かってるから、合わせるしかねーじゃん?」

 無理に明るく振る舞おうとする晃巳に、胸が苦しくなる。

 俺は思わず、その痛ましい表情を浮かべる頬に、

「テルミ」

 そっと手を伸ばした。

 晃巳の柔らかい頬を撫でながら、そうじゃない、って気持ちが伝わって欲しいと、心から願う。

「いいんだ。こんな格好してても、ユウキはオレのこと否定しなかったし」

「あぁ……そうだな」

 俺は、ただ頷いた。

 そして、三ヶ月前、都内の道端で女の子の格好をしてるコイツとすれ違った時の事を思い出していた。

「テルミが女の格好してたから気になったのは認めるよ。お前の今の格好も、好きだし」

 こんな事を面と向かって言うのは恥ずかしい。

 でも、フローリングに視線を落としたくなるのを、俺は必死に我慢した。

「——でも、お前はお前だろ? 俺は、そんなお前だから好きになったし、今でも好きなんだ」

「ユウキ……」

 気が抜けたようになってる晃巳の腰と背中を両手で支え、

「好きなんだよ、テルミが」

 そっと顔を寄せて、その小さな唇にキスをした。

 時間がゆっくり流れて、身体の感覚が消えて、触れ合っている唇だけが、確かな熱を感じてる。

 そうして、惜しむように離れた後、

「……キスで黙らせるの、ズルいだろ」

 晃巳は少しだけ恥ずかしそうに笑った。

「嫌なら、返せよ」

 俺もクスリと笑って、言い返す。

「んー……」

 晃巳は俺の両肩を包む様に抱きながら、

「——そのうちね」

 イタズラっぽい表情で、そう答えた。


 * * * * *


『なぁ、お前、辰崎じゃね?』

 俺の言葉に、その子は驚いた顔で振り向いた。

『やっぱり! つか、なんでそんな格好?』

『………………』

『あ、ワリ……聞いちゃいけなかった、よな?』

『いや……いいよ、別に』

 どう見ても女の子そのもの見た目をしたそいつは、顔を背けて、俺から逃げる様にして歩き出した。

『あっ、なぁ‼︎』

 その背中に慌てて声を掛ける。

 すると、そいつはピタリと足を止めた。

『…………なに?』

『いや、あの……。なんつーか…………』

 俺は頭を掻く。

『お前、可愛いな』

 ………………。

 

 * * * * *


 目が覚めると、晃巳のベッドの上だった。

 気怠い気分を奮い立たせ、身体を起こすと、何処からかコーヒーの香りが漂ってきた。

「……嫁みたいなヤツだな」

 自分でも何様かわからないような言葉をごちながら、ベッドから這い出す。

 足元には俺のブレザーと、さっきまで晃巳が着ていたニットワンピが、だらしなく広がっていた。

 とりあえずブレザーだけ拾い上げて羽織り、部屋を出て階段を降りて行く。

 リビングに入るとキッチンに立っていた晃巳と目が合った。何と無く気まずい雰囲気を引き摺ったまま、ソファに腰掛ける。

 そこへ、コーヒーを注いだマグカップを両手に持って、晃巳がやって来た。

 ジェラピケのスウェット上下に着替えたアイツは、にも見えるし……にも見えない。

 でも、そんな事は関係ない。

 そう、だって、俺には大事な晃巳だ。

 そんな俺の視線に気づいて、

「なに?」

 晃巳は惚けた顔で訊ねた。

「なんでもねえ。……サンキュ」

 マグカップを受け取って、ちびちびとコーヒーを啜る。

 スッキリした苦味と芳醇な香りが全身を巡って、寝惚けていた身体と頭が、少しずつ動き出して行くのを感じた。

「初めて『好き』って言われた……」

「ぶっ」

 しみじみとした口調で言われ、思わず咽せる。

「ちょ、大丈夫かよ、ユウ」

「ゴホッ……お前の、せいじゃん」

 恨めしそうにアイツの顔を睨み付けようとしたが、作った表情が五秒も持たない。

「あ、そういえば、今更なんだけどさ。一コ聞いて良い?」

「なんだよ」

「最初にあの格好で歩いてるのを見た時、ユウは何でオレって分かったの?」

「はあ? そんなの——」

 そんなの——、

 スルリと言ってしまいそうになって、俺はさっきまで見ていた夢の内容をフッと思い出した。

 ……顔が妙に熱くなる。

「……そんなの?」

 晃巳のオウム返し。

「いや……」

「何で赤くなってんの」

「………………」

 波打つコーヒーに視線を落とす。

「なんとなく、だよ」

「……つまんない」

「はぁ⁉︎ なんだよ、つまんないって!」

 ムキになって声を荒げ、誤魔化そうとしたが、晃巳にはきっと通じないだろう。

「ワンチャン、『普段からオマエの事ずっと見てたから』……とか言われると思ったのになぁ」

「————っ⁉︎」

 思わぬ応酬に、ビクッと背筋が伸びる。


 良く通る、澄んだ声。

 それから、大きな目と、華奢に見える身体と、細長い指……。

 俺は……ずっと前から、コイツに夢中だった。


「え、何その反応。マジで? 図星⁇」

 晃巳の顔が、見る見る内に明るくなって、俺は悶える。

 あぁ、くそっ……コイツに隠し事とかムリだわ……。

「……そうだよ。悪いかよ」

「ははっ! いいや?」

 そう言うと、晃巳は俺の顎を掬って、キスをした。

「——嬉しいに決まってるじゃん」

 蕩けそうな、柔らかい笑顔。

 化粧も全部落とした、いつもの晃巳の顔。

「好きだよ、ユウキ」

 それは、さっきのお返しとばかりの態度で。

「……ばぁか。返すのが早ぇよ。それに——」

 仕方がないから、

「——そんなの、とっくに知ってた」

 俺はもう一度、その唇を塞いでやった。


 ………………。


 きっと、これから先、どれだけの年月が経っても、俺はコイツと過ごした時間をハッキリと覚えているだろう。

 格好良くて、……可愛くて、頭が良くて、少し意地悪で——

 この世で一番大切で、大好きな〝彼氏〟の事を……。


  了

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TELL YOU… 四季人 @shikito_ojisan

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