夜のつづき、昼のまんなか

宮滝吾朗

夜のつづき、昼のまんなか

一、夜の残響


僕がまだ夜に生きていた頃のことを思い出すと、いつもあの湿ったカウンターの手触りが脳裏に浮かぶ。グラスの底に残った氷が、照明に反射して細かく光り、タバコの煙がゆるやかに天井へと昇っていく。

あのバーには、時間が溜まっていた。まるで、空き瓶の底に残ったラムのように。


「ここは、時間が酔っぱらってるみたいですね」

そう言ったのは、ある夜ふらりと現れた常連のひとりだった。名前は思い出せない。ただ、その言葉だけは、妙に耳に残っている。


25年前、僕は大阪のキタの猥雑な街で「El Barrio(エル・バリオ)」という小さなバーを経営していた。NYのスパニッシュ・ハーレムを意味するその店の名は、どこか遠い島の匂いがした。

カリブの暖かな島から、薄暗いアスファルトの街の冷たい路地裏にやってきたラティーノ達の悲しみの匂い。


あの頃の僕は、毎晩のように自分が音楽の中を漂っているような気がしていた。スモーキーなピアノの響き、パーカッションのリズム、ホーンの叫び声。そして、ときどき自分のベースがそれらの中に自然に混ざっていく。


ミュージシャンというにはあまりに不器用で、経営者というにはいささかルーズすぎた僕は、演奏とカクテルと、夜の空気の中でなんとか自分の居場所を確保していた。ときにはギャラをもらって演奏し、時には他のバーにふらりと顔を出しては、知ったような顔でグラスを傾けた。


そう、あの頃の僕には、「夜」がすべてだった。



二、彼女と、グラスと、夜の終わり


その夜、カウンターの端に座った彼女は、赤い唇でラムのグラスの縁をなぞっていた。

彼女は、痩せていた。首筋のラインがシャツの襟元からこぼれ、指先の動きがグラスの中の琥珀色をやさしく揺らしていた。


「飲めるようになったの」

彼女はそう言って笑った。あの夜、店の奥に鳴るレコードは、たしかオマーラの古いボレロだったと思う。僕は少しだけ驚いて、そして、嬉しかった。


彼女は、僕のバーに通っていたひとりだった。名前は──まあ、仮に「香織」としよう。きっと本名じゃない。そんなことはどうでもよかった。彼女はダンサーだった。ラテン系のクラブで踊っていて、その帰りに必ず立ち寄って、グラスを二杯。軽い冗談、意味のない会話、そして深い沈黙。


ときどき僕の部屋に来て、ベッドの端で裸足のまま煙草を吸った。音楽の話なんて、ほとんどしなかった。むしろ話したのは、いつもくだらないドラマの話か、店に来た変な客の話ばかりだった。


そして、夜が終わると、彼女は靴を片手に持って、静かに出ていった。何も言わずに。


「こういう関係って、案外悪くないよね」

彼女がそう言ったのは、冬の夜、僕がホット・バタード・ラムを作って渡したときだった。


でも、案外悪くない関係は、案外すぐに終わる。

ある日、彼女は姿を見せなくなった。携帯も繋がらず、共通の知人も知らないと言った。僕は何も訊かず、探さず、ただ、彼女の席を空けたままにして、カウンターを拭いた。


あのとき僕は初めて、自分が夜というものの中で、どこか空洞を抱えたまま生きていたことに気づいた。香織はその空洞に、一時的に光を差し込んでいた。だけど、光はすぐに去る。夜に溶けて、音もなく。



三、昼のはじまり、あるいは彼女の声


あれから一年が過ぎた。

バーは続いていたけれど、夜は少しずつ僕の中で色を失っていた。グラスの中で氷が溶ける「カロン」という音も、切なく熱いはずのモントゥーノも、客の笑い声も、どこか空虚で反響しない。朝が近づくと、僕は決まって無音の店内を見渡しながら、自分が何をしているのか、時々わからなくなった。


そんなある朝のことだった。

春の雨が降った翌日、店のポストに手紙が届いていた。差出人の名前はなかった。便箋には、たった一行。


「夜の続きは、あなたの昼の中にありますように。」


筆跡は、香織のものによく似ていた。いや、もしかしたらそうであってほしかっただけかもしれない。けれど、その一行が僕の胸の奥で、じわじわと何かを溶かしはじめた。


その日、僕は店を開けなかった。

店のカウンターの上にだけ、いつものグラスとハバナクラブを置いて、その隣に手紙を並べた。そして、店の外へ出た。


初めて、自分の足で昼の街を歩いた。

まるで世界が新しく塗り替えられたようだった。子どもの声、パン屋の香り、猫の足音、空の青さ。僕は、驚くほどそれらに感動していた。


歩き続けた先に、古い本屋があった。僕はふと立ち寄り、背表紙をなぞりながら、その中の一冊を手に取った。小さな詩集だった。ページをめくると、開いた一行に目が止まった。


「昼の中に、夜の余韻を抱きしめる人の詩。」


その言葉は、まるで僕に話しかけてくるようだった。

そのときから、僕の中で何かが切り替わった。夜を生きる男から、昼に向かって歩き出す人間に。



四、彼女と、風の匂いと、二匹の猫たち


彼女と出会ったのは、バーをたたもうかと考えていた頃だった。


日々の暮らしに夜の光が足りなくなっていた僕の前に、昼の陽ざしのような彼女が、まるで風に乗って現れた。12歳年下。歳の差を気にしていたのは最初の数週間だけで、あとはただ、目の前にいる彼女の透明な笑顔と、何気ないひと言に救われ続けていた。


「朝ごはん、ちゃんと食べてる?」 「夜って、長すぎない?」 「猫がいれば、世界はうまくまわるよ」


彼女が連れてきたのは、キジトラの大きな猫だった。名前は「エレグア」。キューバの、十字路と扉の神の名だ。悪戯な神様は、最初こそ警戒していたが、数日もすれば僕の膝の上を当然のように占拠し、喉を鳴らして眠った。


そして、少し遅れてやってきたのがクロネコの「チャンゴ」。こちらは雷と嵐の神。エレグアよりさらに大柄で、どこか間の抜けた表情が妙に人懐こい。ふたりがいると、部屋の空気が変わる。窓辺に射す光まで、彼らの毛並みに包まれて柔らかくなったようだった。


猫たちが走り回るリビングで、彼女はよく本を読んだ。ときどき音楽を流して、小さく体を揺らしながら紅茶を淹れてくれた。僕はその音に包まれて、何も考えずにベースを爪弾いた。バースのリズムを口ずさむ。ミッドナイトじゃないブルースが、そこにはあった。


ある夜、彼女がぽつりと言った。


「あなた、前は夜の人だったんでしょ?」


僕は頷いた。


「でも今は、朝が好き。あなたといると、朝が待ち遠しいって思える」


彼女のその言葉に、僕の中で何かが決定的に変わった。夜のきらめきも、孤独も、気取ったセリフも、華やかな空間も、全部が回想になっていった。


猫たちは今日も元気だ。エレグアは彼女のベッドの足元で寝ていて、チャンゴは僕の書斎でぐうぐうといびきをかいている。


彼女は今、ダイニングで何かを書いている。たぶん、彼女の日記帳。ときどきペンが止まって、何かを思い出すように笑う。その横顔を見ているだけで、僕は「昼の真ん中にいる」と思える。


「明日、キャンプ行こうか」


僕がそう言うと、彼女は顔を上げて、「いいね」とだけ言った。


テントの中で猫たちが丸くなって眠る光景を想像しながら、僕はベースの弦をひとつ張り替えた。夜は、続きとしてでなく、余韻としてそこにある。



五、遠ざかる夜、近づく昼


かつての夜は、泡のように立ちのぼり、何の痕跡も残さず消えていくものだと思っていた。


グラスの縁を滑るリキュールの粘度、酔いで赤く染まった瞳、肌の温度と湿度、忘れたふりをした名前たち。そうしたすべてが、夜の底に沈んでいく。そうやって、僕はひとつずつ、夜のしがらみを切ってきたつもりだった。


けれど、今、明るい午後の縁側で、ふたりの猫が重なるように丸くなって寝息を立てているのを見ていると、その夜たちは消えてなどいなかったのだと思う。確かにそこに在って、僕をここまで運んでくれた。


あれから猫は代替わりし、今一緒に暮らしているのはキジトラの「ゴローちゃん」と茶トラ白の「シロさん」だ。

キューバの神々ではなく、大好きなグルメドラマの主人公たちの名前。


妻との暮らしが始まって数年経ったいま、僕は複雑なポリリズムや理論が必要な音楽ではなく、仲間との気楽な音楽を楽しむバンドで演奏している。もう、自分を“ミュージシャン気取り”でいる必要もないと思えたのだ。


演奏は、たまの仲間との小さなライブで充分だった。ギャラも、スポットライトも、満員の客席もいらない。音が生まれることと、誰かの表情がほころぶこと。そのふたつがあれば、もう何もいらなかった。


ある日曜日、近所の小学校のグラウンドで開かれたイベントで、僕は一本のアコースティックギターを持って、小さなステージに立った。


演奏したのは、昔のアニメソングをジャズアレンジしたもので、軽快なイントロに子供たちが手を叩いて笑った。妻は客席の隅で、猫柄のエコバッグを膝に抱えて僕を見ていた。


その視線に、僕はバーのカウンターで向かい合った無数の“女性たち”の影をふと重ねた。でも、それは一瞬のことだった。彼女は誰とも違って、唯一だった。過去の誰とも比較されることなく、僕の現在をかたち作っていた。


家に帰ると、シロさんがテーブルの上の紙袋を引っ掻いていた。「それ、さっきのイベントのパンフレットよ」と妻が笑う。ゴローちゃんは文庫本を枕にして椅子に寝そべっている。


「昔はさ、こういう穏やかな午後なんて、考えられなかったんだ」


僕が言うと、彼女は「そうだろうね」と少し意地悪く笑った。


「でも、今は考えられる?」 「うん。今は、当たり前のように思えるよ」


そのやりとりのあと、僕らは猫を膝に乗せて、しばらくソファで静かにしていた。時計の針が、夜を迎えに行く時間。けれど、そこにはもう「夜のつづき」はなかった。


今、僕がいるのは「昼のまんなか」だった。あの頃、夢みたことすらなかった、穏やかな時間の真ん中に。



六、そして猫は、すべてを見ていた


猫はよく見ている。思い出すように瞬きをして、黙ってすべてを受け入れている。

彼らはいつの間にか僕ら夫婦の会話の合間に入り込んで、まるで前からいたかのように家の空気を支配していた。


ある夜、僕が風呂上がりにリビングでストレッチをしていると、ゴローちゃんが僕の背中に前足をのせた。そして、何も言わず(当たり前だが)じっと僕の顔を覗き込んだ。まるで、「お前、ほんとに変わったな」と言っているみたいだった。


そう、変わったのだ。ずいぶんと。


25年前の僕なら、こんな夜はクラブのスピーカー前でラムをあおっていただろう。あるいは、友人のライブバーで誰かの演奏にイチャモンをつけながら、女の子の連絡先を携帯に打ち込んでいたかもしれない。


けれど今は、ストレッチをして、ノンアルのジンジャーエールを飲みながら、Youtubeで旅番組を見る。妻はソファで足を伸ばし、シロさんは彼女の足に体を預け、ゴローちゃんはモニターの横で香箱を組んでいる。


「ねぇ」と妻が言う。


「もし、またバーやりたいって言い出したらどうする?」


僕は首をかしげて笑った。


「うーん……たぶん、すぐ眠くなるよ。0時まで起きてられる自信がない」


妻はくすっと笑って、「だろうね」と言った。僕も笑った。そしてそのとき、シロさんがふにゃんと鳴いた。


きっと、猫にもわかるのだろう。この空気が、もうずっと前からそこにあったものだということが。


夜は、もう続かない。でもそれでいい。


猫が2匹。妻がひとり。そして、昔の自分とは違う僕。


昼のまんなかで過ごす時間は、かつての夜よりずっと静かで、ずっと温かい。


時計の針は午後9時をさしているけれど、僕にとっては、まだ昼のつづきだ。眠くなるまでの、穏やかな昼の残照。



七、夜を知る者の、昼


人には二度目の人生がある、などと簡単に言うつもりはない。でも、時折ふと感じるのだ――いまの自分は、かつての自分とは別の時間を生きているのだと。


あの頃の僕は、毎晩のように夜の底をのぞき込んでいた。ネオンが滲むキタの街、ラムと煙草と乾いたピアノの音。浮かれて騒ぎ、絡み、演奏して酔い潰れ、知らない街の夜明けを迎えたこともあった。バーカウンター越しに交わした数えきれないサヨナラ。朝になれば全てがリセットされる魔法を信じていた。


でも今、リセットされることのない日々の継続こそが、僕にとっての静かな救いになっている。


庭の窓を開けると、ゴローちゃんがのっそりと現れて大あくびをした。シロさんはキャットタワーの頂上で寝ぼけ眼をしている。まだ春の柔らかい風が、家の中にゆっくりと流れ込んできた。


妻はキッチンで朝食の準備をしている。コーヒーの香りと、トーストが焼ける匂い。ラジオからは、70年代のシティポップ。僕はバスルームの鏡に映った自分の顔を見ながら、無精ひげを撫でた。20年前の僕がこれを見たら、何て言うだろう。


「おいおい、ずいぶん丸くなったな」

「お前こそ、少しは落ち着けっての」


きっと、そんな感じで笑い合うだろう。


猫と暮らし、妻と暮らす。

夜の続きは、もう必要ない。

今はただ、この昼のまんなかに身を置きながら、時折静かに昔を思い出せばそれでいい。


忘れない。決して忘れないけれど、過去に戻りたいとは思わない。

なぜなら、夜を知っているからこそ、今の昼がこれほどまでに愛おしいのだから。

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