小さな街で ― 収録:「手作りクッキー」
まい
手作りクッキー
今日は休日出勤。
終わらなかった作業を片付けるため、かえでは誰よりも早く工房に来て、すでに作業台に立っていた。
そんなかえでの前に、リクが扉を開けて顔を出す。
「おはよー…」
工房には、焼き立てのお菓子の香ばしい匂いがふんわり漂っていた。
ここはロボットを作る場所のはずなのに、まるで洋菓子店に足を踏み入れたかのようで――リクは思わず立ち止まる。
「え、めっちゃいい匂い……」
「あ、リクさん、いらっしゃいませ!」
かえではお皿にクッキーを並べながら、慌ただしそうに顔を上げた。
「リクさん、これ……焼き立てです……」
目の前にスッとクッキーが差し出される。
「え、俺にくれるの?」
胸がドキドキと高鳴る。
かえではちょっと照れくさそうに小声で尋ねた。
「飲み物は何がいいですか?紅茶にしますか?」
「あ、ああ。ありがと……」
(……こうじの工房が完全に私物化されとる)
チラッとそう思ったが、不思議とそれを咎める気にはならない。
むしろ、この温かな匂いと空気に包まれていると、違和感すらだんだん愛嬌のように思えてきた。
かえでがお湯を沸かし始める。そのせわしない様子が愛らしく、リクは思わず微笑む。
目の前の光景に少し戸惑いながらも、胸の奥がぽわんと温かくなる。
(……なんだよ、可愛すぎるだろ)
心の中でひとりつぶやきながら、リクはひとつクッキーを手に取り、かじる。
――バキッ
「……硬っ!」
「……武器か?」
「うん、やっぱり硬いか……」
かえでは研究に失敗したような表情でリクを見つめる。
「なんで急にクッキー作ってんだ?」
「や、あの、こうじさんにあげようと思って……でも、私お菓子作りあまりしたことなくて……」
かえでが照れながら小声で言う。
「実験台か俺は」
「にひひ」
かえではいたずらっぽく笑い、残りの“武器”のような硬いクッキーを追加で差し出してくる。
リクは呆れながらも、口に入れた硬いクッキーを最後まで食べきった。
「硬いけど……味は悪くない」
「ほんと?よかった!」
かえではぱっと笑顔になる。
(……なんだよ、その顔……。可愛すぎるだろ)
リクは心の中でため息をつく。
「貴重なお砂糖が……」
かえでは残念そうに失敗したクッキーを見ている。
昼から、かえではもう一度クッキー作りに取りかかった。
オーブンで焼いている間、ふたりで昨日終わらせられなかった仕事を手際よく片付ける。
工房にはクッキーの甘く香ばしい匂いが漂い、作業の合間にもふんわり幸せな気分が広がる。
(なんか、幸せだな……俺にだけ作ってくれるなら、なお幸せなんだけど)
焼き上がったクッキーを確認すると、かえでは得意げに言った。
「これは、成功した気がします!」
自信満々な顔でリクを見る。
焼き上がったクッキーをお皿に並べ、カップにミルクティーを注いで運んできた。
にこにこと向かい側の席に座って、こちらを覗き込むかえで。
リクは恐る恐るクッキーを手に取り、ひと口。
サクサクと崩れ、ほろっとした食感と香ばしい香りが口の中に広がる。
「美味しい」
かえでは立ち上がって「やったーーー、大成功♪」と大げさにくるくる回って喜ぶ。
「成功したやつは、こうじさんに食べてもらおう」
かえでは別皿に置いていた、焼き色のきれいなクッキーを丁寧に包みに入れる。
「な、こうじにだけ…そんなに成功した部分だけを…!!!」
リクが成功したクッキーに手を伸ばす。
「ちょ、リクさん数が減っちゃうじゃないですか!」
「こうじさんには、いつもお世話になってるから…失敗した部分は食べさせられません!」
ふたりで仲良く、クッキーを巡って取っ組み合いになる。
「リクさんは、こっちの凶器みたいなクッキーを食べていて下さい」
リクの口に超硬いクッキーを入れようとするかえで。
「な、お前…。俺を処理班にするな」
盛り上がっているところに、こうじが帰ってきた。
「楽しそうですね……」
「ひゃっ」
思わずかえでが声を上げる。
「こうじ、これは、違うんだ…こんなに早く帰ってくるとは思わなくて…!」
リクはなぜか言い訳をし始める。
「リクさん!謎の含みを持たせたこと言わないでください!誤解されるじゃないですか!」
ふたりのやり取りを聞きつつ、こうじは笑いながら荷物を降ろし、椅子に腰掛ける。
リクとかえではまだクッキーを奪い合っている。
「お前な、ひとりで食べたらもったいないだろ!」
「だってこれはこうじさんにあげるやつなんです!」
ばたばたと盛り上がるふたりを見て、こうじは小さく息を吐く。
(……賑やかだな)
そう思ったあと、ほんの少しだけ沈黙してしまう。
机の上には、まだ温かいクッキーの包み。
そのそばに、成功作も、失敗作も、全部が愛おしそうに並べられている。
並んだクッキーをこうじが見ていると、かえでは小さく笑いながら差し出す。
「美味しく出来たやつ…こうじさん用です」
――その瞬間、胸の奥の小さなざわつきは、すっと溶けた。
(……自分のために作ってくれた)
「ありがとうございます」
言葉は短いけれど、口にしたときの声音は、ほんの少し柔らかい。
かえでが出してくれたミルクティーを一口飲んだあと、こうじは机の上のクッキーをひとつ手に取る。
「いただきます」
(……失敗も成功も、ふたりで楽しむなんてずるいな……俺も味わいたい……)
「そ、それ、凶器のほうのクッキーです!」
慌ててかえでが声を上げる。
リクは「こうじ、お前もそれを食べろ」と真顔で言っている。
(……………硬)
こうじは硬いクッキーを食べながら、二人のやり取りを黙って聞く。
机の上のクッキーとふたりの笑顔を交互に見つめる。
自然と、笑みがこぼれた。
ふたりの楽しそうな様子に少し嫉妬しつつも……
(……でも、こうしてふたりと一緒にいられるのは、悪くない)
小さな街で ― 収録:「手作りクッキー」 まい @mai-331
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