こころ日記
脳病院 転職斎
第1話
2022年春、障害者マッチングアプリでマッチングしていたこころさんと初めて会った。
場所は、海の中道海浜公園のログハウス。
クラシック音楽がどこからか流れている。
その方向を辿ってみると、一人で黙々と彫刻を掘っている顔立ちのキリッとした女性がいる。彼女がこころさんなのか?
俺は、こんにちはと話しかけてみた。しかし、女性は全く気づいていない。作業に没頭しているからだろうか?
俺は彼女から見える位置まで近づいて再度声を掛けた。ようやく彼女は気が付いた。そして彼女は発した。
「私がこころです。初めてあなたに言いますが、私は耳が聞こえません。」
この人がこころさんだったのか。
生まれて初めて間近に接する聴覚障害者だった。
「あなたは、私が耳が聞こえなくて、会話の発音が悪いことを気持ち悪いと思いましたか?」
彼女は静かに呟いた。
「そんなことはないです。あなたのモノづくり素晴らしかったです。何を作っているんですか?」
俺はこころさんに尋ねてみた。
すると、こころさんは精巧に彫られた消しゴムを見せて来た。
「これが消しゴムはんこです。私はここで毎日掘っています。」
それには動物や自然をテーマにした平和的な作品が彫られていた。
聞けば、こころさんは20代前半の時に四国で犬の調教士を目指していたが、挫折して退職。以来何年も海の中道海浜公園で一人消しゴムはんこを掘り続けている。
誰からも見られることなく。
「こんな私でも好きになれますか?」
こころさんは、聴覚障害者特有の独特な声で呟いた。
俺は、NOとは言えなかった。
ところで、
こころさんの母親はエホバの証人だった。
この宗教では自由恋愛は認められず、彼女自身外出の自由がない。
こころさんは、私と会える時は犬の散歩に海辺に行く時だけですと教えて来た。
その度に俺は西戸崎まで出掛けた。お互いにどんどん惹かれていく。
ある日、こころさんはこんな話を切り出した。
「私と一緒になるためには親の承認が必要です。来週開催される障害者街コンに来てください。そこで親の下、両思いになりましょう。」
離婚の辛さで愛を求めてる俺は、早速この街コンに参加することにした。
そして迎えた街コン当日。
こころさんは父親と共に出席した。
他にも男性は何人かいたが、打ち合わせ通り俺はこころさんとマッチングして、一応親の承諾を得た。
こころさんは旅人と付き合いたいと言っていたので、そこがプラス点となった。
街コンが終わると、こころさんの父親が昼食を一緒に取りましょうと提案してきた。そして、天神に昔からある中華料理店に入った。
そこでこころさんは、いきなり中国語を話し出した。こころさんがサプライズで披露してきた芸だった。こころさんの中国語は堪能だった。
聞けばこころさん、昔は親の仕事の関係で上海に住んでいたらしい。
こころさんは知れば知るほど面白い人だ。
親父さんとも打ち解けて、正式な交際が認められたかに見えた。が、
交際を認められて数日経つと、こころさんのお父さんからこのようなことを言われた。
あなたは異教徒なので、ものみの塔の我が娘との交際は認められません。もう会わないでください。
え?
俺は地球がひっくり返るかと思うくらい動揺した。
こころさんもこころさんで俺のことを好きで居てくれる。
日本国憲法では、成人した以上恋愛の自由は誰もが認められていて親が規制をかけることは出来ない。
親が何を言おうが関係ありません。僕と一緒になって下さい。
人生二度目の駆け落ちをした。
どうして俺の恋愛はこんなに上手くいかないのだろう?
こころさんは家出をして来て、香椎の我が家に移って来た。
こころさんがうちに住むようになってから、統合失調症で感情鈍麻になっていた俺の顔にも笑顔が出てくるようになった。
今思い返してみると、こころさんと暮らしていた日々は20代では一番最高の日々だった。
こころさんの親が認めない駆け落ちでの二人の生活だったが、貧乏ながら笑顔に溢れる日々を過ごしていた。
この幸せが永久に続いたら良いのに。
俺はこころさんと九州全県を旅行したり、それまでとは打って変わって最高の人生を満喫した。
それと同時に、笑顔が出てくるようになった俺の周りには友達が出来るようになっていた。
彼女にも仲間にも何不自由ない生活。俺の人生は最高だった。
しかし、友達がたくさん出来たことによって、俺とこころさんの関係は変化するようになっていった。
そして全てが終わる時が訪れた。
2023年1月頭、
俺はこころさんと友人一名の三人で沖縄に訪れた。
この旅の最中、こころさんは心を病んでしまうことになった。
今思い返すと馬鹿げた話だが、俺は宿代を節約するために同性の友人と同じ男性部屋に泊まったのだ。そしてこころさんは隣の女性部屋に泊まることになった。
この日の夜から朝に至るまで、こころさんは俺に大量のLINEを送りだした。どうやらこころさんは眠れなかったらしい。
その日の那覇観光では、こころさんは不自然なほどハイテンションになっていた。俺は睡眠が取れてないこころさんを気にしながらも、彼女が楽しんでいるのかなと思い、それ以上は深く考えなかった。
そして次の日、これから先一生忘れもしないあの事件が起きるのだった。
その日は、三人でひめゆりの塔を目指し、レンタサイクルに乗って糸満市に向かっていた。
こころさんを見ると、前日以上にハイテンションになっている。昨日、こころさんは睡眠が取れたのだろうか?
こころさんは自転車をドリフトさせたりして友人を困らせ、見ても不自然なほど陽気になっている。
あまりにこころさんの行動がおかしかったため、俺はこころさんに注意した。
こころさん、今回は三人で沖縄を旅行してるんだから団体行動してくれないと困るよ。
そして俺は自転車を漕ぎ出した。
それから間も無くのことだった。後ろを振り向くとこころさんの姿はなかった。
俺は友人と手分けして来た道を引き返し、こころさーん!と声を掛けながら何キロも自転車を漕いだ。
このままでは埒が開かない。
俺は沖縄県警に110番通報して、捜索願をお願いした。
これを受けて、糸満市のお巡りさん、豊見城市のお巡りさん、那覇市のお巡りさんはパトカーをたくさん走らせて捜索に当たり出した。
そうして何の手がかりもないまま絶望的かと思われたその時、一通のLINEが来た。
送り主はこころさんだった。
こころさんからのLINEは、
私は糸満市の山の中にいるよ
探しに来て欲しくなかったけどお巡りさんに見つかっちゃった
今から空港に戻るね
と言うものだった。
こんなことを書くと読者からはお前は馬鹿だと思われるだろうが、俺は翌日仕事なので次の日の航空券しかもってなかった。
そしてこころさんの航空券は今日付けだった。
もはや沖縄を早く離れたい、しかしこころさんが見つかったのはその日の夕方だったので、俺はこころさんだけ先に帰らせ、友人と共に次の日の便で福岡に帰った。
そして福岡に到着した。
そこにはボロボロになったこころさんがいた。
こころさんは福岡空港で俺を待っていた。
国内線の身障者トイレに篭り、寝ずに俺を待ち続けていたらしい。
この時、こころさんの精神は完全に崩壊していた。
俺が不眠の日々が続いて幻覚が見えるようになったことと同じことが彼女の身にも起きていたのである。
俺はこころさんの親と話し合い、彼女の療養を考えて精神科に入院させることを決めた。
こころさんは、離してー!と叫びながら看護師に連れて行かれて病室の奥へ消えた。
それから俺は時間がある度に病院に向かったが、世の中ではまだコロナ禍が続いていて面会が出来ないでいた。
こころさんは、最初しばらくは、また二人で暮らしたいと看護師を通して伝言を伝えて来た。
しかし終わりは呆気なかった。
最後のこころさんからの伝言は、
わたしは実家に帰ります
わたしのことは忘れください
今までありがとうございました
と言うものだった。
何もかもお終いだった。
俺はそれから半年くらいアパートに残ったが、しばらく何の気力も出なくなっていた。
そして何度も涙を流し、こころさんとは元に戻れないことを何度も再認識し、この過去を断ち切ることで新たな恋愛のステップを歩んだ。
そうして熊本に辿り着き、子宝に恵まれながら幸せを掴んで今に至る。
もうこころ日記はこれ以上書かないが、これだけは最後に言いたい。
こころさん
あなたをあんな目に遭わせてごめんなさい
あなたも僕を忘れて新しい人生を歩んでいることでしょう
今の僕は家庭を持ち
娘が一人いて立派なパパになっています
この幸せを得る過程で僕は
あなたを含めた沢山の人達を犠牲にして来ました
今の僕の幸せはあなたの犠牲の上で成り立っています
僕に幸せに生きる権利があるのかどうかは分かりません
しかし今の僕が幸せであるのと同じように
こころさんあなたも幸せな家庭を築いて下さい
お互いの人生がそれぞれ幸せであることを祈っています
こころさん本当にありがとうございました
さらば青春の福岡
そして明日もよろしく熊本
ありがとうルミと愛ちゃん
こころ日記 脳病院 転職斎 @wataruze
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