第23話 復讐の帰着
道の先、賑やかな人々の笑い声が聞こえてくる。
国一番の都市、王都だ。
「やっとここまで来ましたねえ」
「そうだな。
…なあ、クリス」
「はい」
隣に並んだファウストが、静かに名を呼んだ。
「お前の旅は、兄に復讐したら終わりか?」
「そこに、元に戻ったら、がプラスされる、はずだったんですが」
クリスはそう言って苦笑した。
「今は、どうしましょうねえ」
「気にすんな」
クリスの迷いを見透かしたように、大きな手が頭を撫でる。
「お前が男に戻ったって、そばにいてやる」
「…はい、ありがとうございます」
ヴァイオラ公爵家の門の前、そこでクリスは眉を寄せた。
「変です」
「ああ、そうだな。気配がおかしいほどしない。
この規模の屋敷なら、使用人が何十人といておかしくねえのに」
ヴァイオラ公爵家の本邸は、いっそ城と言っていい規模の屋敷だ。
なのに全く人の気配がしないのはおかしい。
「行ってみますか」
玄関の鍵は開いていた。
広間に足を踏み入れたところで、涼やかな声が聞こえた。
「やあ、やっとここまで来たんだね」
「…シタン兄上」
あの亜麻色の長い髪の男が、足を組んで広間の奥の椅子に腰掛けている。
ファウストも名前を聞いたことはある。
シタン・ヴァイオラ。
クリスの兄。そして、次期公爵。
「残念だけど、父上と母上ならいないよ」
「なにをしたんです?」
「おや、親のことすらなんとも思っていないお前が、気になるのかい?」
「そりゃあ、無事でいてもらわなきゃ困ります。
なんせ、フォスとの婚約の許しを得ないといけませんから」
兄を見据えて答えたクリスに、シタンは柔く微笑んですっと片手をあげる。
奥の扉から使用人たちが出て来てクリスとファウストを取り囲む。
その瞳は虚ろで意思がない。
「魔法で強化してある。簡単には殺せないよ」
「ああ、そうですか。でも、無駄な努力をご苦労様です。
──私の力を、ご存じなくせに」
クリスがうっすらと微笑んだ瞬間、使用人たちが一斉にその場に倒れた。
意外そうでもなく、シタンが目を瞬いた。
「おや、どうやったんだい?
かなり無茶をしないとお前の力も効かないように防護魔法を張っておいたのに」
「それはもう、ありとあらゆる無茶を…っ」
不意にクリスが笑みを崩して咳き込んだ。その口から真っ赤な血があふれる。
「クリス!」
「馬鹿だね。その力は諸刃。
使えば使うほど、お前の寿命を削る代物だというのに」
「…寿命を、削る?」
口元を押さえたクリスの身体を支えながら、ファウストが擦れた声を漏らす。
「そうだよ。知らなかったのかい?
君は、クリスの命を削って守られていたんだよ?」
「っ」
「駄目、フォス…!」
一瞬で激情に支配されたファウストが床を蹴る。
一気にシタンに接近したファウストに、シタンは立ち上がって手を軽く振った。
「だから愚かなんだよ」
その手に纏うのは、光の刃。
「君はそんなにも、クリスのために死にたいんだね」
その刃が一閃される。ファウストの肩から脇腹を斜めに切り裂いた。
だが鮮血は吹き出さない。ファウストの手に握られた小銃の銃口がシタンに向けられる。
「は、甘いのはそっちだ。言っただろ、クリス。
もう、そんなヘマはしねえってよ。
一度だけの防護魔法だ。俺に魔法の才能がないって誰が言った?」
「な、」
シタンが息を呑んだ瞬間に、ファウストが引き金を引く。
「終わりだ」
放たれた銃弾が、シタンの鳩尾に埋まる。鮮血が散った。
「そんなの、知っていたよ。イーグル、伯爵家の末弟の話は、ほとんど聞かなかったけど、調べればわかった」
シタンは血を口から零しながら、呻くように言って壁にもたれ、そのままくずおれる。
そのシタンのこめかみにファウストが銃を押し当てた。
抵抗すると思った。なのにシタンの表情はただ凪いでいた。
「撃ちなさい」
「…なんだと?」
その口から告げられた台詞に、ファウストが眉を寄せる。
「いいんだ。元から、こうなるとわかっていた。
僕がクリスに勝てるはずはなかった。
知っていたんだ」
「…じゃあ、てめえはなにがしたかったんだ」
散々クリスに刺客を送って、一体なにが。
そこまで考えてファウストは気づく。
いつだってシタンが送った刺客はクリスを危機には陥れなかった。その程度の刺客を、どうして送り続けた?
「クリスに、人の心を知って欲しかった。
クリスの心は、いつだって虚ろながらんどうだったから。
あのままで、幸せになれっこないだろう?」
息も絶え絶えになりながら、シタンは淡い声音で囁く。
「命を懸けてでも、幸せになって欲しかった。
愛していたんだよ。
──だって、僕はお兄ちゃんなんだから」
「…兄さん」
その言葉を聞いたクリスの口から、自然と昔の呼び方がこぼれ落ちた。
「こんなやり方しか選べなくて、ごめんね。
クリス」
そうだ。自分に反転の魔法をかけたそのとき。
そのときに自分を殺す気なら殺せたのに、遠くに転移させて、自分に倒せるような刺客しか送らなかったのは、最初から全部。
「フォス」
動きを止めていたファウストに近寄ると、シタンのこめかみに押し当てたままの銃に手を当てて、そっと降ろさせた。
「もう、いいです」
「…クリス」
「もう、いいんです。
今は、兄さんの気持ちもわかるから」
博打ではあっただろう。反転の魔術を使って、王都から遠くに転移させて、それで誰かを大切に思う保証はない。それでも、一縷の望みに賭けたというならば。
(私は、感謝こそすれこの人を憎めない)
「愛してくれたのに、ずっと愛せなくてごめんなさい。
もう、私は大丈夫だから」
今はわかる。ファウストが教えてくれた心があるから、わかるんだ。
懐かしい思い出が囁く。
「しなないで」
小さな声で囁いて座り込むシタンの肩口に顔を埋めたクリスに、シタンは息を詰めて、それから泣きそうに顔をゆがめて笑った。
「…そうか。
………僕に生きろと言うのか。
言ってくれるのか…」
かみしめるような擦れた声は、ひどく優しい響きで。
ファウストはそっと銃を持った手を下ろした。
「そうか…」
その白い頬を涙が一筋伝う。
それは愛情の発露だった。
「ねえ、クリス」
「なんですか、兄さん」
あれはまだ幼い頃の記憶だ。
8歳のクリスを見やって、同じ部屋で本を読んでいたシタンが尋ねた。
「クリスは強くなりたい?」
「さあ、あまり興味ありませんね」
「それなら、僕が守ってあげるよ」
淡泊な返事をした弟を見て、兄はとても優しく微笑む。
「僕が強くなって、国一番の魔術師になって、それで」
窓から眩しい陽射しが差し込んできて、シタンの亜麻色の髪を金色に煌めかせる。
「お前を守ってあげるからね」
幼い頃から、注がれていたのは紛れもない、真っ直ぐな愛情だったのだ。
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