第14話 変身・前編

 その前日は、野宿で獣が来ないようにたき火を絶やさないようにしながら寝た、が起きたらクリスが怠そうに地面に寝転がっていた。

「…すみません。おなかが痛くて」

「変なもん喰ったのか?」

「いえ、その、月経で」

「は?」

「…重たい体質のようでして」

 そういえば同じもん食べたんだから、こいつだけ腹を下すってのはないか、と思い直す。それにこいつと一緒に旅を始めてもう一ヶ月以上経つ。

「なんで他人事みたいなんだ」

「はあ…」

「仕方ねえな。ほら」

 どうにか起き上がったクリスの前に背を向けてしゃがむと、クリスが目を丸くした。

「え」

「負ぶされ」

「ど、どうしたんです、フォス。やけに優しいような」

「いいから負ぶされ。置いて行くぞ」

「それは困ります」

「なら早くしろ」

「は、はい」

 クリスはさすがに驚いたのか、その感情が声にもにじんでいて少しだけ面白かった。



「変な感じですね」

「そうか?」

「はい」

 陽当たりの良い街道を歩きながら、クリスはファウストの背中に乗って頷く。

「誰かの背に、こんな風に乗ったことがないので」

「お互い様だな。

 俺もこんな風に、誰かを背負ったことがねえ」

「なら、どうして」

「借りを返してると思っとけ」

 クリスの軽い身体を負ぶったまま、ファウストは軽い口調で言う。

「借り」

「この前、お前が助けに来てくれただろ」

「ああ…。でもそれ、とってつけた言い訳のように聞こえましたが」

 内心ぎくりとはした。事実だったので。

「細けえな」

「すみません。性分で」

「いいだろ。たまにはお前に優しくしたって」

 そうだ。それが本題だ。

 ただ、優しくしたかった。こいつに、クリスに。

「…そうですね。ねえ、フォス。

 もしもの話をしていいですか」

「もしも?」

「もしも、私が追われていなかったら、きっとフォスには、出会っていないんでしょうね」

「そうだな…。

 お前が貴族家の令嬢じゃなくて、俺も家から飛び出してなかったら、どこかで出会ったのかもしれねえが」

「…そうですね」

 そんな話をしながら道を歩いた。

 背中にかかる重みがなんだかひどく恋しく思えて、胸が締め付けられたのだ。




 街に到着し、宿屋に行くと宿屋のスタッフに断ってクリスを部屋に置いてきた。

「お連れ様は体調が優れないようですが」

「あー、腹が痛えとか」

「なら温めるといいですよ」

 夕食を取りに来たファウストは、一階の食堂のスタッフに言われて少し考える。

「温めるか…」

 そう呟いて、ふと視界に入ったものに目を瞬いた。

 食堂を出て、部屋に戻る。

「おい、飯だ」

「ああ、すみません」

 寝台に横たわっていたクリスのそばのテーブルにコトン、とマグカップと皿を置く。

 マグカップには濃い色の湯気の昇る飲み物。皿に入っているのは温かな野菜たくさんのスープだ。

「これ、なんです?」

 どうにか起き上がったクリスがマグカップを手に尋ねてきた。

「ココア」

「フォスが用意したんですか?」

「悪ぃかよ」

「いえ、悪くはないのですが」

「月経の時はココアが良いって聞いたんだよ」

「それで、フォスがわざわざ…」

 ぶっきらぼうに答えたファウストに、それが照れ隠しだとわかったのかクリスが吹き出す。

「なに笑ってんだ」

「いえ、その、すみません。

 …嬉しいです」

「そうか」

 予想外に柔らかい声が返ってきて、心臓が少し跳ねた。

 クリスはココアを一口飲んでほっと息を吐く。

「美味しいです。ありがとうございます」

「おう」

「フォスも飲みます?」

「は? なんで」

「美味しいから。

 こんなに美味しいもの、初めて口にしたかも」

 そう言われれば悪い気はしないのだ。クリスの笑みも、いつもの張り付けたお仕着せの笑みではなく、どこか優しく見える。

「貴族様がなに言ってんだか」

「それはフォスだって一緒でしょう」

「まあな」

「ほら」と差し出されたカップを受け取ったのは、早く脈打つ鼓動を隠したかったからかもしれない。

 カップの中身を一口飲んで、クリスに渡す。

「まあ、美味いんじゃねえの?」

「ですよね」

 そう笑い合って、視線が重なった。そのまま見つめ合うと、そのままファウストは顔を寄せる。

 唇がそっと重なった。

「ねえ、」

「なんだ」

「どうしてフォスって、私にキスするんです?」

「てめえが、俺に抱かれようとするのと一緒だろ」

「いえ、それとは違うような」

 その言葉に内心ドキリとした。

「いいから、黙ってろ」

 そうぞんざいに言ったのも、やはり照れ隠しだったのかもしれない。




 その日の夜遅くだ。

 庭に出ていたクリスは、ふと感じた気配に視線を向ける。

 近くの建物の屋根に立っているのは、明らかに普通の人間ではない。

 ああ、面倒だ。さっさと殺してしまおうと思うが、腹の辺りが重たい。調子が悪い。

 瞬間、飛来した銃弾が相手の眉間を撃ち抜いた。

 倒れる音が響いて、静寂が戻って来る。

「勝手にどこかに行くんじゃねえ」

「はあ、すみません」

 ゆっくりと宿屋のほうからこちらに歩いてくるファウストに、お礼を言ってから、ふと疑問に思ったように、

「…どうして、助けてくれるんですか?」

 と尋ねた。

「お前こそ、やけに知りたがるな」

「月経のせいでしょうかね。

 月経の時は精神状態に影響があるらしく」

「へえ」

 ファウストは周囲に誰かがいないことを確認して、小銃を懐にしまう。

「俺は、お前のことは厄介極まりない女だと思ってる」

「でしょうね」

「悪魔みたいな女だと思ってる」

「はい」

「でも、俺に取り憑いた悪魔がお前だったらいいとも思ってる」

「え」

 最後の言葉に、クリスは目を見開いてファウストを見上げた。

「なぜかは知らねえ。でもお前の言葉はいつも胸に残るんだ」

 伸ばした手で、そっとクリスの胸に拳を押し当てる。


「なにが心が凍ってる、だ。

 いい加減腹の底見せやがれ。クソ女」


 そう告げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る