ペトリコールと虫の声
@ordermade
第1話 リトルクライベイビー
高校入学を目前に控えた春休み。何者になるかはともかく、今は何者でもない宙ぶらりんの状態。同じ中学だった友達のチャットルームも静かで、さりとて勉強道具を今から開く気分ではない。そんな状態を持て余した平日の昼、何を思い立ってか地図アプリで「ゲームセンター」と検索して自転車を走らせた。入学予定の高校からも寄り道できるルートにある事は確認した。馴染みの店、馴染みの筐体、あるいは馴染みの店員……というものが自分にも出来るかもしれないと思うと浮ついてしまう。
他に自転車もない店の前に自転車を停め、ガラスの引き戸を開けると案の定ほとんど人がいなかった。ほとんど、というか自分のほかには1人ガンシューティングの筐体に向き合っている人がいるだけだった。浮ついていた気持ちがみるみる地に足のついた現実的な大きさに戻っていくのを感じながら店内の筐体を眺める。よくある格ゲー、太鼓を模した音ゲーや車の運転席を模したレースゲーム、そしてガンシューティング。新しく追加されたらしい音ゲーの曲が軽快なリズムを響かせている。店内は薄暗く、かすかにホコリとタバコの残り香が染み付いている。ひと通り見て回ったあと、今まさにガンシューティングで遊んでいる人をすこし離れた所から観察する。
上は色褪せたパーカー、下は裾のほつれたジャージとサンダル。出掛けるためというよりは部屋着のまま出てきた印象だ。顔をまじまじと見る訳にもいかず、ぼさぼさとしたボブカットだが俯き加減で表情が伺えない程度の情報しか得られない。体格から見るにたぶん女子だろう。自分が比較的最近買ってもらった服を着ているからか、洗濯を重ねて褪せた色合いになんだか痛々しい印象が残った。
見ているうちにプレイが終了したのか、筐体から離れてとぼとぼと出口に向かう。進路上から外れた位置で見ていたため、特に会釈などもする事なく退店を見送る。平日昼間からゲーセンに来て、ガンシューティングをする女子。さてどれほど上手いのか、と興味が湧いたので筐体に保存されているランキングを見ると、
「へ、へたくそ……?」
ぶっちぎりの最下位だった。あまりに衝撃的だった、近付く店員に気付けないほどに。
「当店ではつきまとい行為を禁止しております、お客様」
「おあっすいません!」
赤いベルベットシャツにゲーセンの名前がプリントされた黒いエプロンという奇妙な格好の長身の店員がいつの間にか後ろに立っていた。びっくりして飛び退る自分を店員は愉快そうにヒヒヒと笑うと
「いや冗談、なんかヒマだしフラフラして入ってきたって感じでしょ?」
「フラっ……まあ、はい……」
「ンヒヒいいのいいの、どうせ空いてるし。なんかやってけよ」
ほれ、と促され目の前にあったガンシューティングに100円を投入する。
画面に出ては引っ込むターゲットに的中したり外したりを繰り返し、プレイが終了した。腕に自信はなかったがスコアはそれなりで、これはつまり先のプレイヤーが絶望的なゲームセンスである可能性を色濃くしていた。
「これ、あの……」
「マジにやってこれだったのか……この辺の人だろうし、今度会ったら話の種にはなるんじゃない?」
「なんでこの辺の人だと?」
「歩きで来てたから。自転車なかったっしょ?」
言われてみればそうである。ゲーセンの前に自転車を停めるとき、他に自転車はなかった。1人で来ていた所から、親類の自動車送迎という可能性も薄い。自然、徒歩で来ていた事になる。
奇妙な格好の店員と壊滅的なスコアの女子プレイヤーの記憶をお土産に、その日は帰路についた。
◆◆◆
そして高校の入学式。真新しい制服の香りを纏い、知った顔がいない校舎、期待と不安が混じった心境の新入生による独特の緊張感が体育館に満ちていたと思う。何より自分も緊張していた。友人がいない高校生活というのはきっと苦しい。友達100人、は多すぎるが何人か出来て欲しい、と願ってしまう。
広い体育館でつつがなく式が進み、新入生挨拶の番となった。名前を呼ばれた新入生が通る声で返事をし、ステージに上がっていく。入試の成績が良かったのだろうか、などと考えていると壇上の女子とばち、と目が合った気がした。壇上までは距離があり細かい表情は伺えないが、一瞬目が見開かれたように見えた。そこでゲーセンで見かけた女子と同じ人間である可能性にようやく思い至った。壇上の彼女は整った顔立ちをしており、初めて見かけた時のどこか痛々しい様子と全く結びつかなかったからだ。壊滅的なスコアの女子と、新入生代表の女子を脳内で必死に繋ごうとしている間に入学式は終わり、それぞれの教室に移動する。移動中、同じクラスになる男子から声を掛けられた。
「な、新入生代表の人さあ、ステージ上がる時こっち見てなかった?」
話しかけてきた男子の一目見た印象はゴールデンレトリバーのような大型犬だった。自分より身長があり、しかし威圧感なく話が出来る雰囲気がある。
「どうだろ、わからん」
「えぇー?なんかお前のほう見てなかった?」
「じゃあ聞きますか、さっき見てましたー?って」
「いいじゃん、やるか……あ、俺は藤堂伊吹です。よろしく」
「ご丁寧にどうも……
そんなやり取りをしているうちに教室に到着、同級生の挨拶となった。
「
件の女子は長坂さん、と言うらしい。クラス挨拶が終わると長坂の周りには早速数人が集まっていた。さもありなん、新入生挨拶を務める程の人物だ。人だかりを眺めていると藤堂がこちらにやって来た。
「人気だな」
「な。今日はお話できないかもしれん」
「弱気になるなって、行くぞほら立て立て」
せっつかれるようにして立ち上がると、人だかりから長坂さんが出てくる所だった。
「あ……」
「あー……」
こちらが立ち上がって数歩、丁度長坂さんの進路を塞ぐ形になってしまった。
「教室の外に用ある感じ?」
「ん、いや、陶峰君に用があって」
隣の藤堂が音を立ててこちらを向いた気配がした。
「入学式前に近くのゲーセンで見た気がして」
「あれ、長坂さんでよかったんだ」
「うん、だいぶその、変なカッコで外出てたから」
言うほど変だっただろうか。当人にとっては変かもしれないが、そうだそうだ、と言う訳にもいかない。
「あー、いや、そんなに変でもなかったと思う、よ……?」
ここまで言ってふと店員の言葉を思い出す。
「なんか銃撃つやつやってたけど、よくやるの?」
「あの時のはその、気晴らし、的な」
「そうなんだ……」
入学初日、互いにうまく話題を見つける事ができず微妙な空気が流れ始める。と、助け舟が教室の外からやって来た。
「長坂さーん、先生が呼んでるー」
「あ、はーい!」
他の女子に呼ばれた長坂さんが横を通り過ぎていく。洗剤だろうか、甘い香りがふわ、と流れていった。教室を出る手前で小さく手を振ってから出ていく長坂さんに軽く手を振り返した。心の中のかわいい、のボタンが連打されている感覚がある。いつの間にか自分の席に勝手に座っていた藤堂がこちらの尻をバス、と軽く叩いた。
「知り合いじゃん、ダチじゃんもうあれは」
「知らなかったしダチって程でもないだろ」
「なりたくないのか、ダチ」
「なりっ……たい。なりたい」
ニヤリと笑った藤堂がもう一度、先程より強めに尻を叩いてきた。
「彼氏になるにしてもまずはお友達からだぞ」
「気が早、ハァ!?」
想像もしていない部分を突かれ、今日一番の大声が出た。彼氏。長坂さんの。とてもではないがイメージできない。
……友達くらいならイメージはできるかもしれない。彼氏になるかは一旦置いておくとして。
つづく
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