番外編 どうしても、愛せなかった 上

聖堂の鐘が鳴っている。

アルビノという忌まわしき色彩を持つ娘は、夫となった男の隣に立ち、幸せそうに笑っていた。

ジュリアンはそれを親類席から眺めていた。新王の妹でもある公女の結婚とあって、ドレスも飾りも一流のもの、招待客は多く、平民までが一目見ようと扉の外に詰めかけている。国王夫妻の臨席もあるが、緊張感よりも祝福の雰囲気が強く感じられた。

——あんな顔をしていたかしら。

ジュリアンにとって、新婦は実の娘だ。少なくとも、公的行事や誕生日には顔を合わせていた。だというのに、どこぞの知らない令嬢のように感じた。それも仕方のないことかもしれない。2年前まで、ジュリアンは娘の顔もろくに見ようとしていなかった。ただただ憎くて疎ましくて、息をしていることさえ許せなかった。側にいたら縊り殺したくて堪らなかった。それは11年前に寄宿学校に入り、今や国王となった息子に対しても同じだった。息子に対する憎悪の方が初め強かったはずなのに、年を経るにつれ、娘が王国初の女性公爵になる可能性が高くなるにつれ、娘への憎悪がどんどん強くなった。娘はもはや血を分けた子供ではなく、ジュリアンが叶えられなかった夢を手に入れようとする忌むべき存在でしかなかった。殺されかけて初めて、娘が人であると気づいたと言っても過言ではない。それでもなお、憎しみは残っているけれど。

拍手の音で、ジュリアンは我に返った。誓いのキスを終えたところで、新郎新婦ははにかむような笑みを浮かべている。

自分の時はどうだったろう、とジュリアンは思った。絶望と悲しみに浸っていて、あまり覚えていない。


「......大丈夫かい、ジュリア」


小さな声に、ジュリアンは隣に座るギルバートに視線を向けた。ギルバートを結婚して、もう26年になるのか。長いものだ。


「そなたとの結婚式を思い出していた」

「私の元に天使がやってきた日だね」


ギルバートは蕩けるような視線をジュリアンに向けた。女としての義務である出産を果たせたのは、ギルバートが惜しみなく愛情を注いでくれたおかげだ。あの頃絶望して自棄になっていたジュリアンをよく支えてくれたものだと思う。

あの頃——王太子という立場を奪われたジュリアンは、絶望する以外に何もできなかったから。



***



ジュリアン=アデライード・ディア・ノーリッシュは時の国王の第一子として生を受けた。国王夫妻は長く子に恵まれておらず、男子を熱望していた。男性名としても使えるジュリアンという名を与えられたのはそのせいである。

待望の第一子が王女であった両親は落胆したが、どうしても我が子に位を譲りたかったらしい。8年の歳月をかけて、これまで認められていなかった女性への継承権を認めさせた。この法案の成立によって、男性優位ではあるものの、女性への相続が可能となった。しかし法律改正前からジュリアンは帝王教育を受けており、自らが王になると信じて疑わなかった。王として、為政者としてどのような政策を立てれば国が良くなるかを真剣に考えていた。年頃の子女らしい遊びや流行に興味を示さず、国王たるに相応しくあろうと日々努力していた。女だからと舐められないように、剣術や馬術の訓練もした。


「殿下ー、まだやるんですか? ぼくもう疲れましたよー」

「お前は軟弱だな、ティリャード」

「違います、殿下が精力的すぎるんですー」

「当たり前だ。私は王太子なのだからな」

「僕はまだやれますよ」

「おお、グランヴィル、流石だ」


女性用の寄宿学校もあったが、ジュリアンは入学しなかった。ろくに教育を受けていない貴族子女と話すよりも、同じ年頃の子息たちと政策について論じる方が遥かに楽しかった。最も親しくしていたのは、グランヴィル公爵の孫であるギルバートだった。初めは滅多に笑わなかったギルバートだが、なかなかに鋭い視点を持っていて、話すだけでも楽しかった。次第に笑うことも増えてきたので、それもまた好ましかった。


「おおジュリアン、教師から聞いたぞ。類まれな賢い子供だと絶賛しておった。流石は我が娘だ、父上も鼻が高いぞ」

「王太子として当たり前のことです。これからも研鑽を重ねます」

「素晴らしい心意気だわ、ジュリアン。期待しているわよ」

「ありがとうございます、母上!」


父にも母にも愛され、幸せの絶頂だった。

ジュリアンの世界がひっくり返ったのは、13になった年の秋だった。

既に40歳近くになっていた母が、男児を出産したのである。

父母は踊り上がった。死亡率が高いと言われている3歳を迎えるまで、弟は真綿に包まれたように大切に扱われた。そしてもう大丈夫だろうと判断を下し、呆気なくジュリアンから王太子の称号を奪ったのだ。

ジュリアンは絶望した。

その絶望に追い打ちをかけるように、筆頭公爵との結婚が決まった。側近候補でもあった2歳も下の国内貴族との結婚は、屈辱以外の何物でもなかった。何しろジュリアンは弟が生まれるまで、他国の王子を婿に迎えようとしていたのだ。この婚約をジュリアンは拒否したが、父母はジュリアンの言葉を意に介さず話を進めた。

そこでジュリアンは初めて気づいた。

父母が愛していたのはジュリアンではなく、王位を継いでくれる我が子なのだと。

ジュリアンはそれから結婚式を迎えるまで、ありとあらゆる抵抗をした。何も食べずに数日を過ごしたり、脱走を試みたこともあった。それでも決定は覆らず、2年の時を経て結婚式の時を迎えたのだ。ジュリアンは半ば引きずられるようにして聖堂に向かい、結婚式を挙げた。けれど、閨は全力で拒否した。己が女であるために王太子の位を追われたというのに、この上己が女性であるということを感じたくなかった。

夫となった青年は、しかしこれらのジュリアンの仕打ちに何も言わなかった。婚約期間中は定期的に手紙や贈り物があり、結婚後は乞われて毎晩食事を共にした。季節の変わり目や月のもので体調を崩した時には、わざわざ時間を取って看病してくれた。


「......なぜ、私にここまでする」

「あなたのことを愛しているからです」


穏やかな微笑みと共に告げられた言葉に、ジュリアンは目を見開いた。


「初めてお会いした時から、あなたのことをお慕いしていました。ですから、あなたがお望みではないと知っていましたが、あなたとの婚約を打診された時、天にも舞い上がる気持ちだったのです。あなたが僕を愛していないことは知っています。ただ、側にいることだけは許していただきたいのです」


柔らかな声音で紡がれた言葉に、ジュリアンは知らず涙をこぼした。


「だが、私はもう王太子ではない」

「あなたが努力されていたことを、僕は知っています。決して無駄ではありません」

「あれほど、父上も母上も私に期待されていたのに」

「不敬を承知で申し上げますと、陛下も妃殿下も、あなたの聡明さに気づいておいでではなかったのです。惜しいことをされたものです」

「......そうだろうか」

「そうに決まっています」

「......そう、か」


それから少しずつ、ジュリアンはギルバートに心を開き始めた。己が人肌の温かさを、優しい言葉を求めていたのだと気づくのに、そう長い時間は必要でなかった。ギルバートがジュリアンを愛するように、ジュリアンもギルバートを愛し始めた。


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