第七話 デート

「おはようございます、公女さま」

「……おはようございます、サザーランド様。サザーランド様も、魔導具をつけていらっしゃるのですね」

「折角ですので」


約束を交わしてから十日後、アイリスとレイは平民街の一角にお忍びで来ていた。

アイリスは茶色の髪と同じ色の目をした地味な女子に、レイも同じように地味な男子に見えている。声をかけられなければ、分からなかっただろう。


「御名をお呼びしても構いませんか」

「――そうですね、肩書きで呼んでは、お忍びにはなりませんし。では、わたくしも……私も、レイと呼ばせていただきます」

「はい。行きましょう」


アイリスとレイは一歩分の距離を置いて街を歩いた。祭りの時とは違って屋台はないけれど、人が行き交い子供が遊ぶ様は平和を感じさせる。


「アイリス」

「はい」


不意にレイが足を止めた。


「食べ歩き、というものを致しませんか」

「食べ歩き」

「平民は、時として歩きながら物を食べるそうです」

「試してみましょう」


二人は通りに面した店に近づく。野菜と肉を薄い生地で巻いた、ロールという食べ物を売っていた。


「ロールを二つください」

「はいよっ! おふたりさん、デートかい?」

「はい、デートです」

「ははっ、おあついねぇ!――ちょうどだね、まいどありっ!」


この店主、口の動きと声が違う。しかしアイリスは初見で読み解けないので、レイ宛の暗号であろうか。レイは僅かに眉根を寄せた。今か、と呟いた声は、アイリスにしか聞こえなかっただろう。


「レイ、お金を」

「お気になさらず。私財です」

「……ありがとうございます」


熱いうちに食べましょう、と差し出されたロールは仄かに熱を持っている。

毒入りだろうか。死んだところで公爵家は微塵も揺らがないし、嘆く人もいないから、構いはしないが。

齧り付くと、口いっぱいに肉の旨みが広がった美味しい。隣を見ると、レイも美味しそうに頬張っている。


「美味しいですね」

「はい」

「歩きながら、食べられそうですか?」

「やってみましょう」


食べ歩きというのは、なかなか楽しいものだった。うっかり中の具が落ちそうになったり、喉に詰まらせそうになったけれど。

汚れた手を持て余していると、レイがこっそり魔術で綺麗にしてくれた。見られなければ良いのです、と口元に人差し指を立てて笑った。この手で、魔術で、幾多の命を奪ったのか、アイリスは知らない。知る必要もない。いつかその数にアイリスの分が追加されるだけのことだ。


「アイリス」

「はい」

「お目汚しいたしますこと、お詫び申し上げます」


先程の暗号の件だろうか。お気になさらず、とアイリスは答えた。他に答えようもない。ありがとうございます、とレイは頭を下げた。

それからすぐに、レイは奥まった道にアイリスを誘った。不思議に思いつつついていくと、薔薇で覆われたアーチが現れる。アーチには小さく、カフェという額がかけられていた。


「もうお腹はいっぱいでしょうか?」

「いえ」

「季節のフルーツタルトがお薦めだそうです」

「なるほど」


店は庭園の中にあった。色とりどりの薔薇が咲き乱れ、澄んだ池には魚が泳いでいる。奥まった立地でなければ、人でごった返しているだろう。

アイリスとレイは連れ立って店に入った。アンティークの多い店はこじんまりとしていて、人は少ない。待たずに座席に案内された。アイリスは季節のフルーツタルトを、レイはビターチョコレートを注文する。タルトとチョコレートの前に紅茶が供され、アイリスは一息ついた。


「……素敵な場所ですね」

「気に入っていただけて何よりです」

「知る人ぞ知る、と仰っていましたが、王都によく降りていらっしゃる?」

「いえ。二番目の姉に聞きました。仕事柄、よく街に降りておりますので」

「そうでしたか」


であれば、ここはサザーランド家の仕事場としても使われるのかもしれない。

サザーランド家は諜報と暗殺を司る。子女は己の適性に合わせて職を選んでおり、活動範囲も幅広い。確か二番目の姉は騎士団に所属し、王都警備をしているはずだ。


「アイリス」

「はい」

「どうか、振り向かれぬよう」


レイの瞳の中に紋様が浮かぶ。しかしその視線はアイリスではなく、更に後方に注がれていた。魔術か、と思った刹那、アイリスの背後で皿が割れた。陶器の砕ける音と、カトラリーが落ちる音が響く。けれど振り向かれぬよう、と言われたので振り返らなかった。静寂が広がり、次いで女性が絶叫した。席を立つ音、椅子をひっくり返す音。皆の視線はアイリスの背後に集中しており、レイの奥で立ち上がった女性は泡を吹いて卒倒していた。


「いやぁあぁあああああ、マリア!」


どうやらマリアという名の女性が倒れたらしい。いや、殺されたと言うべきだろうか。アイリスはティーカップを手に取った。


「鼓膜が破れそうですね」


レイは僅かばかり目を見開いた。


「……つい先程、仕事を請け負いました。これで、38件目です」

「左様ですか」


やはり先程の屋台の主人からの暗号であったか。もう少し早く通達してくれたらいいものを。


「折角なら、タルトを食べてからにしていただきたかったです」

「……それは、申し訳ありません」


今日はもう、タルトにありつくのは不可能だろう。何せ店員も含めて、皆が騒ぎ立て、あたりは阿鼻叫喚だ。落ち着いて席に座っているのは、アイリスとレイくらいなものである。


「わたくしの時は、もう少し静かな、人の少ない場所でお願いできまして?」


レイはアイリスを見つめ、頭を下げる。奇麗な礼は、背後で慌てふためく人々との対比で鮮やかだった。


「――畏まりました」



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