私を殺す、婚約者
伊沙羽 璃衣
序 私を殺す、婚約者
婚約者が2日ほど離れから出て来ていない――そんな報告を受けて、アイリスは食べ物を詰めたバスケットを片手に、侯爵邸に来ていた。取っ手に手を伸ばしたアイリスの目の前で、扉が内側に向けて倒れていく。
「――今度は何をしているの」
一瞬にして開放的になった部屋、その中央に佇む人影こそが、アイリスの婚約者――レイ=ウィンストン・サザーランドだ。その傍らには奇妙に歪んだ何かがある。何かとしか形容しようがない。黄色や赤、青、緑、全ての色が混じりながら渦を巻いている。黒に染まらないそれは、空間の歪みだと聞く。何度か見た。この部屋で、私室で、或いはお忍びデートの先で。
レイは視線を地面に落としたまま、淡々と告げる。
「転移の術式を、魔導具に刻もうとしていたのだが。空間の歪みの予測を、間違えたらしい」
「なるほど」
レイは瓦礫の山の中で微動だにしなかったが、程なくして、卓上の紙とペンを手元に招き、何かを書き込む。
「待たせてすまない。何か用だろうか」
アイリスは答えず、瓦礫の山を踏み越えて、レイに近付く。バスケットの中からサンドイッチをひとつ取り、レイの口元に差し出す。レイは躊躇わず、サンドイッチを齧る。瞬きの間に、瓦礫が元通りに収まっていった。
「ご飯にしましょう—―お茶を淹れてくださる?」
「あぁ」
散らばっていた紙が、ひとりでに机の上に並べられていく。バスケットを窓際のテーブルに置いて、アイリスはお茶を淹れる婚約者の後ろ姿を眺めた。
「わたくしを殺すのは、いつになるのかしら」
「……まもなくだ」
139回目の『まもなく』がいつになるのか、アイリスもレイも、まだ知らない。
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