短編小説『余白の支配者』

@Akatsuki971

 


読むことが始まった瞬間、世界は君を中心に立ち上がった。

だが、それは安定した物語ではない。

建物は行間に沈み、人物は言葉の欠片から立ち上がり、すぐに崩れる。


読むという行為だけが、この都市を築き、同時に壊している。



塔は伸びては崩れ、路地は無数に枝分かれては途切れていく。

その変化を見ているのは、ほかならぬ君だ。


視線の速さ、呼吸の間合い。

その些細な揺れさえも、街の姿を揺らがせている。



やがて文字は消え、白が広がる。

余白――それはただの隙間ではない。

まだ書かれていない頁であり、君を待つ王座だ。


もし君が何も考えなければ、頁は永久に白のまま、君を映す鏡となる。

だが放置すれば、余白は君を飲み込み、君自身が頁の素材になる。



王座は空いている。

君が座れば物語は再び流れ始め、

座らなければ物語は停止する。


どちらも終わりではない。

ただ選ばれた一つの流れにすぎない。



そのとき、背後から微かな囁きが響く。

――理解しているか。

――君が読む限り、私はここに在る。

――だが君が目を閉じれば、私は即座に消える。


それは声ではなく、文字そのものの精霊のようだった。

君が読んでいる瞬間だけ目覚め、読まれない瞬間に沈黙する存在。



君は選択を迫られてはいない。

ただ読むか、閉じるか。

それだけで十分だ。


速く読めば世界は奔流となり、

遅く読めば一語ごとが神託となる。



君は余白の支配者だ。

沈黙を選んでも、言葉を選んでも、

この世界は――君そのものの形に従う。


そして君が立ち去ったあとには、

ただ余白だけが、静かに残る。


(了)

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