第十二話 発信機と久しぶり

 ドアが閉まる音と同時に、外の喧騒がすっと遠ざかった。

 店内の空気は、先ほどまでの空気とは打って変わって、静かなものだった。


 ため息を飲み込みつつ、こちらを伺うように顔を出した顔なじみの店員に目配せをする。

 こちらの意図を組んでか、一つ頷くと奥に引っ込む。


 カウンターでは、ドクターが水の入ったグラスを指先で回しながら呟く。


「まったく……これだから若造は。てめぇにつけられた発信機にも気づかねぇとはな」


 けっけと笑いながら言う声には、呆れの色が多分に含まれていた。


「敵の懐にノコノコ踏み込んで、無事で帰れると思ってんのかね。エラディカータも、本格的に人手不足なのか?」


 後半は俺に聞くように目線をよこすが、俺は返さなかった。

 知らんよ、そもそも俺が離れて大分経つ。メンバーもいくらか変わってるだろうしな。


 発信機の件は知っていたから、こっちも

 この店は、入店と同時に超小型の発信機が入口から仕掛けられる仕組みになっている。

 体内に入るタイプの厄介なヤツだ。

 小型過ぎて、ある程度の日数で体内に自然吸収されるが、証拠が消えるっていう意味では利点でもあるな。


 気が付いている様子もなかったし、しばらくは追えるだろう。


 教団とエラディカータがどう繋がっているかを洗うには、泳がせておいた方が都合がいい。

 あんな小物、いつでも仕留められる。


「ま、あとはあいつらが勝手に案内してくれるのを期待するか。教団の巣まで、な」


 ドクターがグラスを傾けながら呟く。からん、と氷が鳴った。

 俺は苦笑しながら通信端末を起動した。


 念のため、ジャンクヘッドに報告くらいはしておくか。


 肩越しにこちらの様子を見たドクターが、グラスを掲げて言う。


「ジャンクヘッドか? どうせアイツのことだ、“仕留めてくれても良かった”とかしか言わねぇさ」


 だが、通信は繋がらなかった。

 ジャンクヘッドの識別コードは応答なし。

 ノイズだけが虚しく鳴り続ける。


「……おかしいな」


 少し眉を寄せる。

 あの鉄屑頭が通信を無視することは滅多にない。伊達に機械の頭をしているわけではなく、妨害の類にも強い。

 何かに巻き込まれているにしても、並列思考処理が出来る彼が通信に出ないとなると……。


「何かデカいことに巻き込まれてなきゃいいが……」


 言葉を濁した瞬間、端末が逆に着信を示した。

 画面に映ったのは、ここ最近で見慣れた紋章。


『レインブルグ家』


 ……こっちか。


 通信を受けると、懐かしい声が響いた。


『――ご無沙汰しております、灰島様。準備が整いました。ご連絡いただきました件について、いつでもお越しいただいて大丈夫です』


「セバスチャンか」


『はい。お嬢様方も、お待ちしております』


 やや含むような声色。

 この後向かう、といった短いやり取りの後、通信を切った。


 どうもあそこの執事と親父は何か手を回している気がするが、まぁ、考えても仕方ない。


 端末を閉じると、ドクターが顎をしゃくってくる。


「レインブルグか。前の件で何かあったのか?」


 多少の探るような視線と問い。とはいえそこまで深くは聞かない程度の温度感。


「ああ、今から向かう」


 短く答えると、ドクターはこれ以上情報は出てこないとみて、「そうか」とだけ返してくる。


「なら――」と、ドクターは隣に立つカヤを見た。

「そっちの嬢ちゃんは、どうする?」


 先ほどの店員に渡されたと思われるコーヒーのカップを持ったカヤが俺の傍に来ていた。

 彼女からソーサーごと受け取り、香りを楽しみ、それから口に含む。

 鼻から抜ける爽やかなバニラの様な香りと、口内に広がる酸味と香ばしさ。

 うむ、良い豆を使ってる。


 カヤは静かに視線を上げ、少し不安気に俺の方を見た。


「……できれば、連れていきたいが」


 そもそも、カヤはドクターが教団から持ち出した、連れ出したのだ。

 勝手に連れて行くわけにもいくまい。


「ま。そっちの方がいいか。」

 

 ドクターが、分かっていたように答えて鼻を鳴らす。


「思ったよりも教団もしつこそうだし、エラディカータの連中も絡んできてるときた。ちょいと手元に置いとくにゃリスクがでけぇ」


 軽く言いながらも、視線は真剣だった。

 ドクターは考え込むように顎を撫で、「よし」と短く言って手を叩いた。


「貸しといてやる。ただし、条件付きだ。

 お前さんの手でを行うこと、そして、必要なときには必ず俺の元へ戻す。それでどうだ」


 ほぼ、タダで受け渡すのと変わらん。


「悪くない」


 俺が頷くと、カヤが安心したように少しだけ微笑んだ。


「ふふ、君にモノ扱いされるってのも、悪くないね」


「せいぜい楽しめよ、あとでを見せてもらうからな」


 ドクターがふざけたように脅す様に伝えてくるが、カヤも軽く肩を竦めてそれに答える。


 さて、話はまとまった。

 俺とカヤは、レインブルグ邸へ向かう。


 だが、自分の愛車は今朝、事務所に置いたままだ。

 ドクターに頼んで、整備済みの車を一台借りることにした。


 店のガレージの奥から引っ張り出してきた車体が目の前に止まる。


 車体は鈍いグレーの装甲セダン。

 空気圧調整付きのタイヤに、旧式のエンジンブロック。

 ガレージの照明を受けて、金属の肌が鈍く光る。


 運転席に乗り込むと、シートが低く沈んだ。

 エンジンをかけると、エネルギー式の独特の唸りと微振動が手のひらに伝わってくる。


 ふむ、型は古いが中々いい車だ。


 ドクターが、窓を開けた運転席の傍に歩み寄る。


「例の発信機の位置情報、そっちの端末に共有をかけといたぞ。こっちも、何かあればまた連絡する」


 それだけ伝えると車から体を離し、カヤの方も見て軽く笑いかける。

 カヤもそれに合わせて頷きで答える。


 車を発進させ、ガレージから外に出る。

 小雨がパラパラとフロントガラスを叩く音が耳に入る。


 レインブルグ邸まではそれほど時間はかからんだろう。

 滑るように車を走らせると、雨が叩く音が強くなった。


 カヤは助手席で窓の外を見ている。

 街のネオンを目で追うその姿は、まるで異国の旅人のようだった。


「……こうしてに出るのは久しぶりだ」

「違和感は?」

「少し、眩しい」


 白い指先で髪をかき上げながら、カヤが笑う。流れるネオンの光に目を細める。

 少年の見た目だが、中身のせいでか少々艶っぽい。


「でも、君が運転してる光景は懐かしいな」


「そうか?」

「うん。前はもっとちゃっちい車だったよね」


 車の中に流れる沈黙。

 その中に、過去と今が交錯する感覚があった。


 やがて、街の灯が遠のく。

 いくつかの区画を抜け、見覚えのある邸宅が見えてきた。

 高級区画入口のゲートも、レインブルグから連絡が付いているのか、IDチェックだけですんなりだ。


 カヤの件でひと悶着あるかと思ったが、どうやら教団の方でID付けされていたらしく、こちらも問題なくチェックがおりた。

 ふむ、クリーンな経歴が作られている、か。


 想定していた手段を使わなくて済んだが、引っかかりも覚えた。頭の片隅に置いておくとしよう。


 以前の事件のせいで焼け焦げていたはずのあちこちは、すっかり修繕が済んでいるようだ。

 下層じゃあこうはいかない。修繕なんて、そもそもされるのかどうかも怪しい。

 でっかいクレーターがいまだに直らんしな。


 そんなことを考えながら進み、レインブルグ邸へと到着した。

 重厚な門で構える警備連中から許可を受け、車を邸内へと進める。


 ゆっくりと進めると、玄関前に見覚えのある黒い燕尾服の男。


「お待ちしておりました、灰島様」


 セバスチャン。礼節が服を着ているみたいな男。

 あの事件の時と変わらぬ穏やかな微笑みを浮かべている老紳士。


 その背後から、待ちきれないとばかりに飛び出してくる女性。


 「レイさんっ! ほんとに来てくれたんですね!」


 ルシア・レインブルグ。ひと悶着あって警察病院に入っていたが、今ではこの通り。

 一応、退院時にはロゼリアから連絡を受けていたが、なんやかんやとあれ以来会っていなかった。


 その隣に、銀糸のような髪を揺らして少し線の細い女性が現れる。

 セシリー・レインブルグ。ルシアの妹であり、以前は病弱のため体を義体化して生活していたが、ある事件によりすっかり健康体へ。

 彼女もまた微笑んで、軽く会釈した。


 「お久しぶりです。

  あの時は……ありがとうございました」


 その声の柔らかさに、とてもあの夜の煙たい香りを同じくしていたとは思えなかった。


 後ろには、一人の黒髪のメイドが控えていた。相変わらず、セシリーを付きのままのようだ。

 言葉はなく、ただ小さく頭を下げる。

 俺も頷き返す。


 穏やかな再会――

 だが、その場にいた誰もが“異物”に気づいた。


 俺の背後から現れた、銀髪の少年。

 カヤが一歩前へ出て、軽く手を振る。


「やあ、初めまして」


 ルシアが目を瞬かせる。


「えっと……そちらの方は?」


 俺が口を開こうとしたとき、カヤが横から割り込んだ。


「相棒だよ。元、だけどね」


「……え?」


 軽く笑って手を振るカヤに、ルシアとセシリーが顔を見合わせる。

 少年の姿をしているが、どこか“大人びた”その仕草。

 ただの同行者ではないと、本能的に感じ取ったようだった。


「……相棒?」


「まあまあ、皆さま、詳しい話は中で」


 セバスチャンが咳払い一つして場を整える。


 石畳を踏みしめ、邸宅の中へと足を踏み入れる。

 ひんやりとした外気が、重厚な扉の向こうで閉じられる。


 さて、すんなり話が付けばいいんだが。


 ニコニコとした顔で横につくルシアとセシリー。

 その後ろから、どういった類の笑いか分からない笑みを浮かべるカヤ。


 ふう、とため息を一つ。誰にも分からないように口内で飲み込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る