第三十七話 対峙

 闘いの音が止んで、しばしの静寂が訪れた。

 焦げた金属とオゾンの匂いが鼻を刺す。

 残響のように、義体の残骸がパチパチと音を立てていた。


 その静けさを確かめるように、上階からローター音にも似た振動が響く。

 やがて、エレベーターシャフト沿いに設置された索具を伝って、後詰めの部隊が降りてきた。

 第七戦術統制課——その中でも機動特化の連中だ。黒い防弾装備に、白く塗られた所属章。

 暗がりの中で、その光沢が鈍く光る。


「……到着。周囲、異常なし」


 通信機越しに短い報告。すぐに、数名がフロアに散る。

 若い隊員のひとりが、床に転がる黒い義体を見下ろして口笛を吹いた。


「隊長が“その格好”になるなんて……相当の相手だったんですね」


 軽口のつもりだろう。だが、声には少し緊張が混じっていた。

 ロゼリアの“本気”を見る機会なんて、そうそうないのだから無理もない。


 その隊員は、真っ二つになった義体の断面に慎重に近づき、ハンドライトを当てる。

 中枢コアが焦げ付いているのを確認すると、小さく息を吐いた。


「……クリア。周囲の熱源反応もなし。自分たちはこのフロアを重点的に捜査します。何名かは随行に回します」


 瞳孔の代わりに光る赤いセンサーが、壁際を舐めるように動く。

 人工の光が淡く反射し、冷たい空気の中を照らした。

 他の隊員たちも散り散りになり、端末や紙資料を片手に調査を始める。

 金属の床を踏む靴音が、規則正しいリズムで響いていた。


 ロゼリアは、それを一瞥してから、ぽつりと息を吐く。


「よし、それじゃあ私らは——下に降りるとするか」


 隊員のひとりが差し出したジャケットを受け取り、軽く肩を回して羽織る。

 彼女の今の体格にはちょうど良いサイズだ。

 パージ後の義体は細身で、重装を脱ぎ捨てたぶん、見た目もずいぶん軽くなっている。


「……あ、あの、大丈夫ですか?」


 セシリーが、おずおずと声をかける。その瞳には、明らかな心配が滲んでいた。

 まぁ、無理もない。

 さっきまで装甲を纏った“重戦車”みたいな姿だったのが、今はどう見ても、普通の女性型義体だ。

 頼りない、とまでは言わないが——ギャップが凄まじい。


 ロゼリアは苦笑し、掌をひらひらと振る。


「心配無用。このナリでも、そこらの強化義体なんかにゃ引けを取らないさ」


 パシンと拳を打ち合わせる音が響く。


「まぁ、ジェネレーターの補充ができるまではそのままだな」


 俺は、そう言うロゼリアを見ながら、義体の損傷部にも続けて目をやる。

 外装の再装着はできる。

 “修理”で形だけなら戻せるし、多少のエネルギー補填も可能だ。

 だが、万全までは持っていけない。特殊な媒体を使っているので、補填が利きづらいのが難点なんだと。


 今の状態は言うなれば、軽装——速さと機動性を優先した状態。

 先ほどのような瞬発戦闘はできないが、バランスは取れてる形態だからまぁ、心配いらんだろうさ。


 ロゼリアも分かっているのか、にやりと笑う。


「大丈夫、慣れたもんさ。軽い体でも、安心して任せな」


 その表情は、戦闘の直後とは思えないほど柔らかかった。

 汗と金属の匂いの中で、どこか誇らしげでもある。


「さて——」


 彼女は軽く首を鳴らし、周囲を一瞥する。


「本命は、まだ先にあるはずだ。サクサク行くよ」


「ああ」


 俺は短く返す。セシリーも、緊張を押し殺すように頷いた。


 焼け焦げた義体を背に、俺たちは再び階段へ向かう。

 足元に散らばる破片が、足音に合わせてチャリ、と鳴る。

 ロゼリアの背中は小さくなったが、頼もしさは変わらない。







 * * *






 あれからしばらく、敵の出方は鈍くなっていた。

 上階での激戦が嘘のように、現れる奴らは散発的で、まるで思い出したように飛び出してくる程度。

 吹き出しの示す反応もまばらで、撃ち抜くたびに、残響のような金属音だけが静かに響く。


 単純作業。

 そう言ってしまえばそれまでだが、こういう沈黙が続く方がよほど不気味だ。


 嵐の前の静けさ、ってやつかねぇ。


 気がつけば、グランドフロアを通り過ぎ、さらにその下――地下施設の階層まで降りていた。

 階段の金属板を踏みしめるたび、音がやけに反響する。

 空気が重い。

 地上とは違う、濃度の違う何かが肺の奥にまとわりつくような感じがする。


「……嫌な空気ですね」


 セシリーが小声で呟く。

 その声も、すぐに闇に吸い込まれた。


「大体こういうのって、天辺か一番下にいるもんだよなぁ……」


 軽くつぶやく俺に、ロゼリアが肩をすくめた。


「だいたい、ね。けどその“だいたい”が当たるんだから世の中面白い」


 半ば冗談、半ば本気の口調。

 俺たちは警戒を崩さず、足を進めた。


 やがて、階段の先に広がる光景に思わず息を止める。


 ——広い。


 目の前の空間は、地下とは思えないほど天井が高く、壁際には巨大な鉄骨の支柱がいくつもそびえていた。

 ただの施設じゃない。

 訓練か、実験か。

 どこか運動場のようにも見えるが、どこかで“生き物”を扱っていた痕跡がある。


 壁を照らすと、赤黒いシミがいくつも残っていた。

 古い血だ。乾いて、こびりついている。

 それに、あちこちに銃痕。

 弾丸が貫いた跡を修繕しきれず、亀裂の中に焦げが残っている。


「……随分と趣味の悪い運動場だね」


 ロゼリアが低く呟く。

 その声には、嫌悪でも恐怖でもなく、ただ“経験者から見た現実”があった。


 俺は鼻を鳴らす。鉄の匂いと油の焦げた匂い。

 時間が経っても消えない、血の残滓の臭気。


 空間の奥、一段高くなった壁面の上に、せり出した部屋が見える。

 分厚い防弾ガラス。恐らく観察室か何かだろう。

 この広場で行われていた“何か”を、あの部屋から見下ろしていたのだろう。


「……あそこか」


 ロゼリアが小さく指を向ける。


 その時だった。


 奥の暗がりの中、コツ、コツ、と小さな足音が響いた。

 乾いた金属床に、素足が触れるような音。

 ゆっくりと、影が明るみに出てくる。


 銀糸のような髪が、淡い照明を受けて揺れた。

 滑らかな動き、そして、その顔。


「……っ」


 背後でセシリーが息をのんだ。

 俺もゆるりと視線を向ける。

 そこに立っていたのは、彼女と——まったく同じ顔の女。


 体の構造だけで言えば“向こう”の方が人間味があって然るべきなハズだが、それがない。

 キラキラと輝く銀の糸も、どこか無機物のようにユラユラと揺れる。

 瞳の奥から感じる温度は、どこか冷え冷えとしたものだった。


「……早かったわね、修理屋さん」


 静かに、だが耳に響くような声。


 俺は目の前の“彼女”を見据えたまま、ゆっくりと銃口を上げる。


 銀の髪が光を弾いた。

 闇の中、その影は静かに微笑んだ。

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