第三十話 黒い巨躯と銀の少女
気づけば、銃声が途絶えていた。
耳に残るのは、焦げた木材の軋みと、どこかで滴る水音。
倒れた“お嬢さん方”を数名の隊員に任せ、俺とロゼリアはさらに奥へ進む。
本命はまだ先だ。
血と薬莢の転がる廊下を踏み越え、焦げついた絨毯を踏みしめるたび、靴底がべちゃりと嫌な音を立てた。
「……嫌な静けさだな」
ロゼリアが低く呟く。
俺は深呼吸し、意識を集中させる。
――《吹き出し》の知覚範囲を拡張。
自身に向けられた意識だけでなく、周囲すべての思考の“声”を拾うモードに切り替える。
瞬間、世界がぐわんと広がった。
視界の裏側で、まるで霧が一気に晴れるように無数の吹き出しが浮かび上がる。
怯え、恐怖、混乱……その感情が、頭の奥で一気に流れ込んでくる。
さてさて、あんまり"この状態"は長くは使えんからな、さっさと探すぞ。
数は少ないが、場所ごとに塊がある。
あそこは違う、怯えの声だけ。こっちも違う。
一か所、思考の密度が多い場所がある。
――いた、あそこだ。
口に出すより早く、足が動いていた。
「おい、目星があるのか!」
背後からロゼリアの声。
俺は短く頷き、階段へ駆け上がる。
踏み板が悲鳴を上げ、埃が舞う。
もう近い。
二階の廊下を抜け、突き当たりの扉に辿り着く。
乱暴に開け放たれたドアの縁は焦げ、金属部分は高熱で歪んでいた。
鼻を刺す焦げ臭さ。
中から微かに聞こえる機械の駆動音――。
吹き出しの位置関係が頭の中で組み上がる。
奥の壁際に数人、その前に二人。そして、部屋の中心に……。
迷っている時間はない。
俺は息を一度吸い込み、勢いのまま滑り込むように部屋へ突っ込んだ。
視界が開ける。
そこは、元は応接間だったのだろう。
上品な装飾が焼け焦げ、カーテンは灰となって床に散っている。
天井からはシャンデリアの残骸がぶら下がり、光の欠片がちらちらと反射していた。
その中央――。
こちらに背を向けて立つ女。
銀色の長髪が、わずかに光を受けてゆらりと揺れる。
白磁のように滑らかな肌。後ろ姿からでは分からないが……あれは。
その隣には、漆黒の義体に包まれた巨体の男。
二メートルを優に超える。
ロゼリアですら見上げるほどのサイズだ。
黒光りするチューンパーツの隙間から、熱光がちらついている。
まるで、戦車が人型をしているようだった。
部屋の奥には――セバスチャンがいた。
彼は前のめりになり、メイドの一人を押さえつけている。
抑えながらも、ぎりっと奥歯を噛み締める顔は、不本意そのもの。
現状の不利を認識しつつ、機を伺っている。
その背後には、ゴードンをはじめ、護衛たちが数人、床に倒れている。
血がゆっくりと絨毯に染み広がり、焦げた布の匂いと混ざって生臭い。
……そして。
黒光りの巨漢が小脇に抱えていたのは――ひとりの女。
「――ルシア……」
声が漏れた。
銀髪の女の前で、ルシアが意識を失ったまま抱えられている。
彼女の髪は乱れ、頬には煤。
それでも、彼女の顔は静かで、まるで深い眠りについているかのようだった。
ロゼリアが低く息を吐く。
「派手にやられたな……こりゃ、洒落にならねぇぞ」
「……ああ、だがまだ間に合う」
俺は奴らを見つめながら、銃を抜いた。
銀髪の女がこちらに気づき、ゆっくりと首を回す。
その瞳は初めて見る色だったが、"よく似た"顔だと思った。
「あら……あなたが“修理屋”さん?」
――セシリーの姿をした少女がこちらを見ていた。
* * *
セバスチャンの声が、火薬の匂いの中に響いた。
「灰島様! その方は間違いなく――セシリーお嬢様です! どうか……!」
声に混じる焦りと懇願。
あぁ、やっぱりそうか。殺さずに、だな。分かってるよ。分かっちゃいるが、厄介だぞ。
全身義体の巨体が、ゆっくりとこちらに顔を向ける。光沢を帯びた黒い装甲。人間味のない眼光。
こっちは見覚えはない。だが、やばい。あの動き――相当できる。
わずかに空気が緊張した、その瞬間。
男の左腕がすっと上がった。
あまりに自然な動作。構えるでも、狙うでもない。
それゆえに、反応が一瞬遅れた。
「――っ!」
ガシャン。
内部機構が展開する音。装甲の下から、淡く光を放つ円筒がせり出した。
腕の太さと変わらぬ口径――プラズマガンだ。
短時間チャージ型。青白い光が集束する。
「やべっ――!」
本能でロゼリアを蹴り飛ばす。
自分は逆方向に転がるように飛ぶと、次の瞬間、視界が白く焼けた。
ボウッ!
熱線が通過した軌跡が空気を裂き、壁をえぐる。
残っていた扉が、まるで紙細工のようにくり抜かれ、完璧な円形の穴が開いていた。
そこから、うっすらと外光が差し込む。
あっぶな!
運が良かった。
位置がずれてりゃ、後ろの隊員がやられてた。
黒い巨体は腕をゆっくりと戻す。
リチャージに入ったか。確か、あのタイプは冷却と再充填に数十秒はかかる。
しかし、余裕の表情しやがって。
指先をガチャガチャと動かしながら、まるで試運転でもしているかのような仕草。
完全に“遊んでる”。
「……舐めやがって」
俺が毒づいた直後、背後でふふふ、と低く笑う声。
ロゼリアだ。
「……おい、ロゼリア」
その笑い方、やばい時のやつだろ。
次の瞬間、床が爆ぜた。
「――ッ!」
金色の残光が弾け、ロゼリアの脚部ブースターが咆哮する。
圧縮空気が破裂し、床板が抜けんばかりに割れた。
一瞬のうちに、彼女の姿が消える。
目にも止まらぬ速度で――黒い巨体の懐。
「ルシアお嬢様ッ!!」
セバスチャンの叫びが飛ぶ。
構わずロゼリアが拳を振り下ろす。
男の方も、左腕を合わせて迎え撃とうとする。
「甘い!」
ロゼリアの唇が吊り上がる。
振り下ろした拳を絡め取るように軌道を変え、そのまま相手の関節を極めた。
ギチ、ギチギチ――と金属の擦れる不吉な音。
火花が散り、関節部が赤熱する。
そして――
バキン!
鈍い破砕音とともに、義手が肘から先ごとねじ切れた。
「へへっ、どうだい!」
ロゼリアが誇らしげに言い放ち、折れた義手を放り投げる。
ガツン、と重い音を立てて床を転がった。
……やるじゃないか。
ブチ切れたふりをしてのサブミッション。
見事なフェイントだ。まさかロゼリアから“頭脳プレイ”って言葉が似合う日が来るとは。
だが――。
黒い巨体は、痛みの反応すら見せない。
壊れた左腕を一瞥すらせず、抱えたルシアを庇うように後退する。
滑らかなバックステップ。重いはずの義体が、まるで羽のように軽やかに動いた。
その様子を見て、銀髪の女――セシリーが小さく頭を振る。
「あらあら……ダメじゃないの」
冷たい声。
まるで教師が出来の悪い生徒をたしなめるような口調。
ロゼリアが地面を踏み鳴らし、壮絶な笑みを浮かべる。
「おや、お嬢さん。余裕だな。だが、どうする? あんたに私を止められると思うのか?」
視線を男から外さずに言い放つ。
セシリーは、ふっと笑った。
「どうかしら? ――試してみる?」
軽い足取りで近づいていく。
その仕草は、戦闘ではなく、まるで優雅なダンスの一歩目のようだ。
動作のすべてが自然で、無防備にすら見える。
ロゼリアがわずかに眉をひそめる。
一瞬、迷ったように構えを緩め――避けずに、右手で迎えた。
「なんだ?」
軽く放たれた拳。
女の線の細い腕が、しなやかに伸びる。
一見すれば、子供のじゃれ合いのような、なんの力も感じられない打撃。
だが――。
バンッ! という甲高い破裂音。
「……っ!?」
一瞬でロゼリアの表情が凍りついた。
その右肩から、先が――消えた。
吹き飛んだ金色の腕が、回転しながら背後の壁に突き刺さる。
ロゼリア本体を吹き飛ばさずに、腕だけ飛ばすという馬鹿げた威力の拳。
「……は?」
誰の声か分からない。
あまりに現実離れした光景に、時間が止まったようだった。
銀髪の女は、ふわりと微笑んだ。
何もなかったように。
その笑顔は、ぞっとするほど整っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます