第二十三話 顔

 壊れたアンドロイドの頭部を片手にぶら下げて歩く俺を、工場の連中が驚いたような、諦めた様な目で見送っていた。

 なんだなんだ、別に変でもないだろう? ……いや、変か。まあ気にするなよ。


 肩をすくめて軽く手を振ると、彼らは慌てて礼をして作業に戻っていく。

 誰も、俺の持つ“それ”には突っ込まない。突っ込めない。


 小脇に抱えた頭部――

 半壊した顔は虚ろなまま、かすかにノイズ混じりの"吹き出し"を垂れ流していた。

 言葉とも呼べない呟きが途切れ途切れにこぼれる。


《……なにが、ここは、どこ……なんで……》


 誰のものなのか、記録の残響なのかも分からない。

 壊れた演算回路が、死んだ夢の続きを見ているようだった。


 整備員たちが愛車を磨いてくれていたので、チップを転送しておくと、顔を綻ばせて喜ぶ。

 座席に座り、助手席に“それ”をそっと置いた。


 焦げた髪と焼けた金属の匂いがうっすらと車内に広がる。

 ……あまり見栄えがいいとは言えねぇなぁ。


「まぁいいさ、ドライブデートとしゃれこむか」


 皮肉を呟いてエンジンをかける。

 ロードステラの心臓が唸り、重低音が腹に響いた。

 工場を出て、ゲートへ向けて車を滑らせる。


 少し走ったところで、プライベートラインを起動する。

 ローカル回線。俺と数人の限られた相手しか繋がらない、安全なチャンネルだ。

 念のためオフィシャル回線は切っておく。


 ツーコール、スリーコール。

 ――出ねぇな。

 寝てんのか、それとも……と思った瞬間、ようやく端末の向こうからくぐもった声が返ってきた。


『……うぅん? 誰だ……修理屋か?』


 寝ぼけたような低い声。

 酒焼けした喉に、寝不足の気怠さが混じっている。


「ああ。俺だ。おいおい、電話しろって言ったのはそっちだろ」


 片手でハンドルを握りながら、軽く窓を開けて風を入れる。

 排気の匂いと共に、ノイズが薄まった。


『……うるさい。私は寝不足なんだ。お前のせいでな』


 ガサガサと布団の擦れる音。

 どうやらまだベッドの中らしい。


「知らんな」


 即答して切り捨てる。


「それで、何の用だ? 愚痴を言いたいだけじゃあるまい」


『……そうだった。ああ、そうだ。お前に確認したいことがある。今どこにいる?』


 声が少し遠のく。

 たぶんベッドから抜け出して着替えてるな――頭の中に、寝癖のついた赤毛の彼女が浮かぶ。


「ああ、ならちょうどいい。今から上層に上がる。お前さんの家で落ち合おう」


 その瞬間、端末の向こうで――ガッシャーン!


 金属か家具の倒れる派手な音が響いた。

 続いてドタドタと駆け回る足音。


『う、うちにか!?』


 声が裏返っている。

 何だその反応は。


「そうだが?」


『ま、待て! いや、来るなとは言わん! そう、ちょっと――その、部屋が散らかってる! 片付ける時間が欲しいんだ! 昼飯の後でどうだ!?』


 ……何をそんなに慌ててんだ。思春期の男子でもあるまいし。


「俺は構わんが……そんなに片付けるもんあったか?」


『い、いや、そういう問題じゃない! 準備がいるんだ! だから昼過ぎにしてくれ! な!?』


 焦りすぎて息が上がっている。

 思わず笑いそうになるが、こっちも昼前で腹が減ってきたところだ。


「分かった。じゃあ昼過ぎにもう一度連絡を入れる」


『ああ、それでいい! 絶対だぞ!』


 切羽詰まった声のまま、一方的に通話が切れた。

 車内に静寂が戻る。


「……なんなんだ、まったく」


 苦笑しながら、ハンドルを軽く叩く。

 助手席の頭部が、わずかに傾いた。


《……わたしは、どこ……?》


 誰かに問いかけているのか、それとも無意識の言葉なのか。

 俺は吹き出しをちらりと見ると、ほんの少しだけ口元を歪めた。


「――お前さんが何なのか、分かるかもな」


 座席の後ろに積んでいたタオルケットを優しく被せると、少しだけ吹き出しを見つめる。


 アクセルを踏み込む。

 紅の車体が静かに路地を抜け、上層へのゲートへと滑り込んでいった。





 * * *





 昨日の今日で、また上層だ。

 ネオンの粒がまだ寝ぼけて残る薄い靄に滲み、都市の輪郭をぼやかしている。

 車窓を流れていく景色を眺めながら、ふと考える。


 ――そろそろ、この辺にも拠点を一つ作っておくべきかもしれんな。


 これまでは必要なときだけホテルやモーテルを転々とし、用が済めば下層に戻る生活だった。

 不便とは思わなかったが、こう頻繁に出入りするとなると話は別だ。セーフハウスの一つでもあれば、いざという時の逃げ場にもなる。


 ハンドルを軽く切り、適当なダイナーのドライブスルーに入る。

 人工音声の店員が「オハヨウゴザイマス」と無機質に告げ、メニューがホロ投影される。

 選んだのはチキンブリトー。数分後、受け取ったパッケージを片手に、再び車を走らせた。


 途中にある寂れた駐車場――

 古い照明灯が一本、日が昇ったことも忘れて首を傾げたまま点滅を繰り返している。

 この時間帯なら監視カメラの範囲も甘い。車を止め、買ってきたブリトーを取り出した。


 パッケージを開くと、甘辛いタレの匂いが鼻をつく。

 噛みつくと、中身の“チキン”が四角いスティック状の茶色いブロック。見た目も触感も、限りなく人工的。

 味は――うん、まあ、食えないほどじゃない。


「……せめて形だけでももう少し何とかならねぇのかね」


 独り言をこぼしながら、周囲に人影がないことを確認する。

 車内のセンサーで監視電波の有無をスキャン、異常なし。

 念のため、妨害電波を薄く張っておく。


 助手席側のスイッチをカチリと押すと、微弱な電磁フィールドが展開される。車内の空気がかすかに震える。

 “気休め程度”とはいえ、こういうのは習慣だ。強く出せば怪しまれるし、抑えめがちょうどいい。


「さて……」


 タオルケットをめくると、沈黙した“彼女”がそこにいた。

 吹き出しはもう見えない。

 ただ、静かに――まるで眠っているようだった。


 スキルを発動させる。

 視界に浮かぶホロウィンドウ。


《対象:高級接客用アンドロイド ヴィーラ-NCシリーズ / サフィール》

《損傷率:99%》

《修復しますか?:材料は足りています》


「……おかしなところは、なさそうだな」


 データに異常はない。

 修復を開始――ただし、慎重に。

 自動ではなく、意識して手動で進行をコントロールする。

 使う機会はほぼ無いが、任意のタイミングで修理状況を止めたり再開することもできる。


 ジワリと光が走り、焦げた人工皮膚が再生し始める。

 細胞繊維に似た高分子構造が絡み合い、溶けたメカニカルパーツを補修していく。

 金属の軋む音、内部ユニットの微細なクリック音が次々と響く。

 まるで“死んだもの”がゆっくりと呼吸を取り戻していくような光景だ。


 右側の損傷部が完全に再生し、瞳のパーツが嵌め込まれる。

 ガラスのような素材が光を反射し、淡く青い輝きを放つ。

 続いて、頭部コーティング、外殻、そして――髪。


 淡い蒼の髪が、ふわりと風もない車内で揺れた。

 機械の体でありながら、それは妙に生々しかった。


 ……そこで修復を止める。

 動力部はまだ再生していない。

 この状態では、動くことも喋ることもできないはずだ。


 だが――


 何かが引っかかる。


 視線を落とし、再生された顔をじっと見る。

 あのとき、コルドーの受付で見た“完璧すぎる微笑”とは違う。

 柔らかい、けれどどこか儚い印象。


 違う。これは――どこかで見たことがある顔だ。


 車内の振動音が遠のいていく。

 記憶の奥から、別の顔が浮かび上がった。


「……セシリー?」


 思わず、声が漏れた。


 目を閉じたままのアンドロイドは何も答えない。

 けれど、その整った顔立ち――蒼い髪を除けば、間違いない。


 俺が昨日治した少女。

 ルシアの妹、セシリー・レインブルグ。


 沈黙する彼女を見つめながら、ふと指先でそっと頬に触れる。

 ひんやりとした人工肌が、そこにあるものを機械だと雄弁に告げていた。





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