第十二話 依頼完了とアドレス

 セシリーの体は──綺麗に、隅々まで直っている。治っている。

 欠損も傷跡も、なにもかも消えて、最初からそんなことはなかったように。


 一応、確認しておくか。


 俺はかざしていた手を下ろし、視線だけでモニターを呼び出す。

 青白いパネルが淡く浮かぶのは、俺だけにしか見えない景色だ。


《対象:セシリー・レインブルグ》

《損傷率:0%》

《修復の必要はありません》


 ……うん、システム的にも異常なし。


「問題ないな。──念のため、生体スキャンをかけてくれ」


 軽く顎をしゃくると、呆然としていたセバスチャンがハッと我に返り、慌てて深く頷いた。


「は、はいっ!」


 声が少し上ずっている。先ほどまでの冷静沈着な老執事の顔が少しばかり崩れている。興奮を抑えられずにいるんだろう。


 ベッド脇の生命維持装置から、リング状のスキャナーが静かに展開する。

 青い光が円を描きながら広がり、セシリーの足元からゆっくりと身体をなぞるように上がっていく。

 機械音とわずかな電子ノイズが空気を震わせる。


 俺は近くにあった椅子を引き寄せ、どっかと腰を下ろした。

 ただ光景を見守るだけだが、セバスチャンは装置にかじりつくようにしてリアルタイムのデータを凝視している。

 肩がわずかに震えているのが分かった。


 一往復。

 さらに念入りに二往復目。

 恐らくは個人宅で使える最高級品だろう、精密なスキャナーがすべてのデータを吐き出す。


 ……そして。


 セバスチャンは結果を見届けた瞬間、肺の底から絞り出すように大きな息を吐き出した。

 次の瞬間、俺の前に歩み寄り、深々と腰を折る。


「……灰島様。──なんとお礼を申し上げれば……本当に、本当にありがとうございます」


 声が震えている。執事としての節度を守りつつも、その奥からにじみ出るのは、驚愕と安堵と、純粋な感謝だった。


 俺は手を軽くひらひらさせ、肩を竦めてしぐさだけで返す。

 かまわんさ。俺は依頼を果たしただけだ。難しかろうが簡単だろうが、結局やることは一緒だからな。


 おっと、そうだ。大事なことを言っておかないと。


「スキャンで分かってると思うが、身体機能に問題はない。ただ──覚醒までは少しかかる。身体に馴染むまで、時間をやらにゃならん」


「承知しました」


 セバスチャンは静かに頷いた。その表情からは、もう俺を疑う色はだいぶ薄くなっているようだった。


 俺はぐっと背伸びをして、少し気を抜く。


「……よし、それじゃあしばらくここで待たせてもらうか。なんか飲み物あるか? できればコーヒーがいいんだが」


「すぐに皆様へお知らせしたいのですが……」


 セバスチャンが不思議そうに眉を寄せる。

 俺は苦笑して指を立てる。


「こんなに早く治せるなんて知られたら、面倒なんだ。 少し、そうだな……三十分くらいはゆっくりさせてくれ」


 端末の時計をちらりと確認する。

 ちょうどティータイムの時間。聞きたいこともある。

 どうせなら、菓子のひとつも添えてくれるとありがたいんだが……ま、贅沢は言わんさ。



 * * *




 嬉しい誤算。備え付けのサイドテーブルには、いくつかの菓子が並べられていた。

 生菓子じゃなく焼き菓子の類だったが、こいつらは下層じゃお目にかかれない代物だ。


 コーヒーも──ありがたいことに天然豆を挽いた本物。

 カップから立ちのぼる香りを胸いっぱいに吸い込み、口に含むと、ふわりと広がる苦味と酸味。

 ……そうそう、コーヒーってのはこういうもんだ。泥水みてぇな液体を「本格派」だなんてぬかしてた馬鹿共に、今すぐ飲ませてやりたい。いや、もったいないな、俺が飲む。


 ゴクリ、うむ、旨い。

 思わず頬が緩むのが自分でも分かった。


 その間も、セバスチャンはセシリーの傍に張り付き、生体データを逐一確認しては端末に記録している。

 携帯端末ともリンクさせてあるらしく、少女が目を覚ませばすぐに分かる仕組み。



 二杯目のコーヒーをおかわりして、立ちのぼる香りを鼻腔にくぐらせる。

 カップを指先でくるりと回しながら、何気ない調子で口を開いた。


「ところでだ。セシリーがこうなった原因は──妙なチップらしいな。ルシアから聞いた」


 一瞬だけ、セバスチャンの動きが止まった。

 ほんの一拍。気づかない奴は気づかない程度だが。


「なくなったらしいじゃないか」


 軽く問いを投げる。


「そんな簡単に消えるもんでもないだろうに」


 ちびり、とコーヒーを飲み込む。


 老執事は数秒の沈黙を置いてから、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「……セシリーお嬢様がチップの影響で"このように"なられてから、屋敷は大混乱でした。警察関係者、技師、チップを納入した企業の担当者……他にも医療従事者が出入りし、屋敷は人で溢れ返っていたのです」


 語りながら、彼の表情には悔恨の色がにじむ。


「もちろん、第一はセシリーお嬢様の命。しかし同時に、原因となったチップの解析も急務でした。ですが──気づいた時には、もう遅かったのです。まさしく忽然と消え失せていた。……こればかりは、私の一生の不覚」


 再び、カップを口に運びながら俺は黙って聞く。

 ……なるほどな。


 その時、不意に吹き出しが浮かんだ。


《……しかし、あの場には妙な違和感もありました。警察関係者が必要以上に多かった。それに、関係企業が連れてきていたボディガード──あれは相当の練度。ですが、証拠はない。チップが消えてしまった今となっては……》


 なるほど。執事はシロ。怪しい奴は確かにいたが、尻尾は掴めなかった、か。

 恐らくゴードンが言っていた“ゴタゴタ”は、この件に絡んでいる。


 ふうむ……やっぱり、ただの事故じゃなさそうだな。

 他の連中の話は、まぁいいか。根掘り葉掘り聞きすぎるのも警戒されるだけだ。

 "この後"のこともあるし、執事から話を聞けただけでヨシとするか。


 ちらり、時計を確認する。……そろそろ頃合いだな。


「よし、行くか」


 二杯目のコーヒーを一息に煽り、立ち上がりながら背を伸ばす。

 ふう、やっぱり一仕事終えた後の甘味は格別だ。


 セバスチャンは端末を閉じると、深く頷いてこちらに歩み寄ってくる。


「重ねて……ありがとうございます。残念ながら旦那様は席を外されておりますが、ルシアお嬢様はいらっしゃるかと」


 老執事の案内で、最初に通された応接間へ戻る。

 中にはルシアと、先ほどセシリーの部屋で控えていた黒髪のメイドがいた。


 俺の姿を見た瞬間、ルシアが目を大きく見開き、駆け寄ってきた。


「ど、どうしたの!? まさか……だめ、だったの……?」


 ああ、そうか。諦めて戻ってきたと思ったのか。違う違う。

 胸元まで飛び込んできたルシアを軽く押し返し、首を横に振る。


「違う。ちゃんと妹は治したさ。……なぁ?」


 俺が促すと、老執事は深く頷き、穏やかな声で告げた。


「はい、お嬢様。セシリーお嬢様はすっかり回復されました。まだ眠っておられますが、間もなく目覚められるでしょう」


 その言葉を受け、ルシアは俺とセバスチャンを交互に見つめ、数秒遅れてようやく意味を理解したらしい。


「ほ、ほんと……? 本当に治ったの? ああ……ああ、ありがとう……ありがとう!」


 次の瞬間、ルシアは泣きじゃくりながら俺の胸に顔を押し付けてきた。

 やめろ、鼻水で汚れるだろうが。


 しばらく胸を貸してやったが、子供じゃあるまいしとばかりに、適度なところで引きはがす。


「というわけで、依頼は完了。報酬の方は、よろしく頼むぜ」


 株の譲渡は時間がかかる。今日明日でどうこうって話じゃないが、ま、この調子じゃすぐ動くだろう。


 べそをかいた顔をメイドにハンカチで拭かれながら、ルシアは何度もうん、うんと頷いていた。


 セバスチャンが、ふと何かを思い出したように懐へ手を伸ばした。

 そして取り出したのは、薄型のデータチップ。


「こちらを──無事に依頼を果たされた折にお渡しするよう、旦那様から預かっております。後ほどご確認ください」


 恭しく差し出されるそれを受け取り、手首をひらりと返して裏表を見る。

 見た目はどこにでもあるチップだ。中身はメッセージか、あるいは何らかの情報か。

 ……ま、どっちでもいい。確認は帰ってからにしよう。


 ジャケットの内ポケットに無造作にしまい込み、これでこの家でやることはすべて終わりだ。

 正直なところ、今日は働きすぎた。早いとこ帰って、どっかで旨いもんでも食って寝たいところだが、まだちょいと上層には用がある。


 夕飯までぜひ一緒に、と食い下がるルシアを苦笑いでかわし、玄関前に待たせていた愛車に乗り込む。

 エンジンをかけ、車体が低く唸ると、見送りに出てきた面々に開けた窓越しの挨拶を投げた。


 そのとき、ルシアが小走りで駆け寄ってきた。


「……あの、これ、私の個人アドレス。もし何かあったら……その、連絡してくれる?」


 潤んだ瞳に、ほんのり赤い頬。

 ……これでハニトラだったらそれはそれで面白いな、うん。

 だが、吹き出しが現れないことが、答えだ。


「業務端末から──暇だったら連絡するさ」


 軽く言い捨てて、アドレスを受け取る。


 少しばかり残念そうな顔をするが、すぐに表情を明るくしたルシアは、満足げにセバスチャンとメイドの元へ戻っていく。

 執事は深々と頭を下げ、メイドは静かに手を胸に当て、俺を見送った。


 アクセルを軽く踏み、愛車を前へと転がす。

 振動が全身を揺さぶり、心地よいエンジン音が腹に響く。


 バックミラーには、手を振り続けるルシアと、礼を崩さない二人の姿。

 やがて庭の草木に遮られ、その姿が視界から消えるまで──彼女は小さな手を止めなかった。

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