第十話 父の想いとセシリー
カップを手のひらで転がしながら、軽く身を乗り出す。
「さて──もう娘さんから聞いているだろうが、俺は依頼を受けた。そこまでは良いか?」
肘を太腿に預け、やや前のめりに問いかける。
ゴードンは一呼吸置き、静かに頷いた。
「ああ、確認している。実のところ、私の方からも君にコンタクトを取ろうとしていたのだが……“ゴタゴタ”があってね。娘が飛び出してしまうのを止める間もなかった」
その言葉にルシアが目を丸くする。
「ええっ!? そ、それって本当なの、お父様!」
まさか、とでも言いたげな声。
ゴードンは苦笑めいた表情を浮かべ、軽く肩を竦めた。
「ああ。知人を通じて“修理屋”の存在は聞いていた。藁にも縋る気持ちで相談したところ、間違いないと太鼓判を押されてね。だから準備を進めてはいたのだが……まさかルシアが連れてくるとは思いもしなかったよ」
……なるほどな。“以前世話をした”誰かから話が伝わったか。
だからこそ、俺の名も素性もある程度把握していたわけだ。
「んで──あんたからすれば、娘さんが勝手に依頼を持ち込んだ形になるわけだが……その辺り、どう見る?」
わざと少し揺さぶってみせる。
あんたがノーと言えばご破算じゃないのか、という意味を込めて。
ゴードンはかちゃり、とカップをソーサーに戻した。
「ルシアは君に正式に依頼した。商売に携わる者として、一度交わされた契約に横槍を入れることはしない」
真っ直ぐな視線。濁りがない。
……ふむ。
「ただな。報酬が報酬だ。自社株の五%だぞ? そんなもん、下手なところに渡ったら会社が揺らぐんじゃないか?」
わざと口角を吊り上げて問う。
「困る、というのは事実だろう。しかしルシアは私の娘であると同時に、我が社の役員でもある。この決断によって不利益が生じたとしても──責任を取るのは“私”だ」
その瞬間、ゴードンの表情が変わった。
年季を積んだ戦士のような、鋭く研ぎ澄まされた光が目に宿る。
ぞくり、と背中に戦慄が走る。……おお、いい顔だ。小賢しい木っ端企業連中じゃ到底出せない目だ。
思わず口元がにやりと歪みそうになるのを、なんとか押し殺す。
ルシアもその言葉に真剣な面持ちに変わった。
だが怯むでもなく、むしろ受け止めているような気配がある。教育の範疇ってやつか。……さすが大企業のお嬢様。
にしても、この親父さんは“まとも”だな。
表も裏もドス黒く、なんてのはココじゃあよくあるが──この男は筋を通す類いの人間だ。もっとも、それだけで巨大企業を築けるはずもない。裏でやることはやってるのは間違いないだろうが。
ゴードンは背もたれに身を預け、改めて口を開いた。
「とはいえ、父として娘を救いたい気持ちは当然ある。私に出来ることがあるなら、可能な限り力を貸そう」
《……それに、“あの修理屋”とのコネクションが出来るのは大きい。金では買えん繋がりだからな》
内心の計算も漏れ聞こえる。……よし、打算もあるなら、ある意味安心だ。娘が大事ってのも本心らしいしな。
俺は掌をひらひらさせて軽く笑う。
「いんや、大丈夫だ。俺も納得済みでお嬢さんと契約してる。これ以上の条件は要らんよ」
背筋を少し伸ばし、椅子に深く腰を沈める。
相手も、どこかほっとした様子を見せる。ううむ、このあたりはたぶん"そう見せてる"だけだな。
内心は淡々としたもんだ。
「よし──それじゃあ、諸々確認も済んだし、お嬢さん、セシリーのところに案内してもらえるか?」
カップをテーブルに戻しながら言うと、ゴードンが短く頷いた。
「ああ、もちろんだ。……セバス」
その声に、脇に控えていた執事がすぐに反応する。
深く一礼し、「かしこまりました」と低い声を返すと、こちらへ、と扉を開いた。
立ち上がった俺の後ろで、ルシアも慌てて続く。だが、ゴードンは腰を上げようとしない。
ちらりと視線を投げると、彼は申し訳なさそうに首を振った。
「……ああ、すまん。私も同席したいのは山々なんだが、先ほど話した“ゴタゴタ”がまだ片付いていなくてね。ルシア、あとは頼む」
「……分かりました」
ルシアは素直に頷いたが、俺としてはちと危機感が足りない気がした。
まあ、セバスチャンを信頼してるのか、あるいは俺を信用してるのか。どっちにせよ、吹き出しは現れなかった。
──ま、俺が困るわけでもない。
そんなやりとりを胸に収め、俺たちはセバスチャンの先導で屋敷の奥へと歩を進めた。
広間へ戻り、大階段を上がる。足音が高い天井に反響し、やけに静かに聞こえる。
二階。更に上階もあるようだが、セシリーの部屋はこの階らしい。
まあそうだろう。病人を遠くに置くこともあるまい。搬送や機材の出入りもある。
廊下を歩くことしばし。セバスチャンが立ち止まったのは、応接間よりは簡素だが、質の良さが一目で分かる扉の前だった。
「──お嬢様。セシリーお嬢様。ルシア様と……お医者様をお連れしました」
俺の肩越しに聞こえる声。……まあ、“修理屋”じゃ通じねぇからな。医者ってことにしておく方が話は早い。
しばしの沈黙の後、中から澄んだ声が返ってきた。
「はい……お入りください」
かちゃり、と扉が開く。現れたのは、黒髪を短く切り揃えた女。メイド服も普通のものではない、もっと機能的な。少なくとも防刃素材ではありそうだ。
切れ長の瞳は鋭く、白手袋をはめた手を前で組み、深く礼をして俺たちを迎え入れる。
肌はやや病的な白さを帯びていたが、不健康にやつれているわけではない。鍛えられた芯の強さが見える女だった。
……なるほど、ただのメイドじゃねぇな。恐らく看護と護衛を兼ねてる。
視線を逸らし、部屋に足を踏み入れる。
そこは、元はモダンな調度で整えられたはずの一室だった。
だが今は、その中心に据えられた生命維持装置がすべてを支配している。
機械の唸りと規則正しい電子音。
幾重にも伸びたケーブルがベッド上の少女へと繋がれている。
ルシアに似た面差しだが、まだすこし幼い。妹らしい柔らかさが残っていた。
だが髪は剃られ、頭には複数のパッチ。脳波を抑えて鎮静しているのだろう。
薄い毛布の下は動かず、露わになっている顔は表情を持たずに眠り続けている。
部屋に居たのは、ベッドに横たわるセシリーと、黒髪のメイドだけ。
メイドは扉を閉めるとセシリーの横へ戻り、そのまま主を守るように立つ。
その姿勢は明らかに俺を意識している。背筋をわずかに前へ傾け、重心を低く構える。常人には分からない程度に。自然に。
……ああ、なるほど。何かあれば即座に飛び込める態勢ってわけか。
安心しろ、俺は依頼を受けに来ただけだ。寝込みを襲う趣味はねえよ。
セバスチャンの後に続いて歩を進める。後ろではルシアが、幾度も見ているだろうに、妹の姿に顔を曇らせながらも唇を噛み、必死に気丈さを装っているのが分かる。
やがてベッド脇に辿り着く。目の前に横たわるセシリーを見下ろした瞬間、毛布の膨らみがあまりに小さいことに気づいた。
「──めくってもいいか?」
俺が低く問うと、セバスチャンが黙って頷き、視線でメイドに合図を送る。
メイドは一瞬、能面のような表情を少し崩し、迷うように睫毛を震わせたが、やがて白手袋の指先で毛布をつまみ、ゆっくりとめくり上げていった。
ルシアはその光景を直視できずに思わず顔を背ける。だがすぐに、深呼吸を一つして目を戻した。
震えは隠せないが、それでも妹をしっかりと見据える。
──毛布の下。
そこにあったのは、削ぎ落とされたように失われた肉体だった。
左半身の大部分が存在せず、右も腕の先と膝から下が消えている。
ケーブルや管が残った体のあちこちに突き刺さり、人工の管路が命をつないでいる。
冷たい機械と、痛々しい少女の身体。
……ああ、こりゃひでぇな。思ってた以上に“削られてる”。
まぁ、なんとでもなるがね。
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