第七話 いざ上層へ
路地裏を抜け、やや広い道路へと車を滑り込ませる。
コルドーのトコに行くまで歩いていた細い道は、屋台やら不法占拠の屋根やらでごった煮みたいな雑多さだったが、一本横へ入っただけで随分と顔が違う。
ここは車通りが多いせいか、道幅もある程度は確保されている。もっとも“整備されている”なんて言葉は使えない。今も俺の目の前を何台かの車が通り過ぎていくが、どれもガタつき、錆びつき、色褪せていた。
お世辞にも綺麗な見た目の車は少ない。時折、比較的マシな塗装の車を見かけるが、あれは大体ギャングの幹部連中か企業の下請け、あるいは多少なりとも金と力を持った奴らのもんだ。
この街の住人は、そのあたりの空気をよく分かってる。だから“良い見た目の車”には喧嘩を売らない。後でどうなるか──身をもって理解してるからな。
で、俺の車はどうか?
……そりゃもう、避けて通る。
通行人どころか、車ですら脇に寄せて道を譲るくらいだ。
いや、誤解してほしくねぇんだが、俺だって威圧する気なんざさらさらない。
ただ、たまたま──そう、“たまたま”改造した初日に、ちょっと擦ってきた車をぺしゃんこにしただけで。
巻き添えを食らったのも道路の一部で、ほんの少しクレーターが残っただけ。……それをいまだにごちゃごちゃ言う住人の方がどうかしてるんじゃねぇか? うん、そうだ、そうだ。
俺はひとりで頷きながら、どこかで見たことのある、バカでかい穴を避けてハンドルを切った。
「なに、あの穴……? 爆弾でも落ちてきたの?」
助手席のルシアが驚き半分、不安半分でぼそりと呟く。
俺は短く鼻を鳴らしながら答えた。
「……まぁ、そんなもんだ」
視界の先には、上層へ向かうための道。ルートはいくつもあるが、今回はさっきも言ったが正規ルートを使う。
一番太い道路を通り、一直線に上層と下層を結ぶ大通りだ。
この道を基準に街並みが形成されているから、自由自治区の中でも比較的“治安がマシ”とされる通り。
道端で出会うのはせいぜいスリか詐欺師程度だ。──なんて平和な道だろうな。
両脇には中規模の店舗がずらりと並び、日用品から食料品、そして表には出せないアングラ商品まで、欲しいものは大体揃う。
俺がときどき甘いもんを買いに行く菓子屋もこの通りにある。そこの店主に「“修理屋御用達”の看板を付けたい」と頼まれて、優先購入と割引を条件に許可したんだが……どうやら襲撃が激減したらしい。
まぁ、いいことだ。俺も安く甘いもんが食える。
エンジンの重低音をBGMに、爽やかでもなんでもない風を顔に浴びながらしばらく車を走らせる。
エアコンもあるにはあるが──やっぱり、こうして窓を開けて風を受けながら走りたいんだよな。俺はそうだ。
もちろん、汚染地区を走るときは話が別だ。窓なんざ開けたら肺まで真っ黒、クリーン装置を噛ませてやっとマシになる程度だしな。
だがこの辺りなら、まあ多少は吸っても死にゃしない。
助手席のルシアは最初こそ「空気が悪いです」と眉をひそめ、窓を閉めたまま乗っていた。
だが俺の車だ、文句は聞かん。自由にさせてもらう。
結局、彼女も慣れてきたのか、今では鼻歌交じりに窓を開けて外を覗いている。
「なにあれ……建物、穴だらけ……」
観光に来たガキみたいな声を上げる。
……まあ、上層のお嬢様が見たら、こっちなんざ動物園みたいなもんか。
襲ってくるのもせいぜい薬中くらいだし、観光バスでも走らせりゃ稼げるかもな。コルドーあたりに提案してみるか。
そんなくだらないことを考えているうちに、視界に“壁”が見えてきた。
物々しい──要塞じみた施設。
形容するなら、高速道路の料金所を軍事施設に改造したような代物だ。
道路以外は分厚いコンクリートの壁に塞がれ、その上では、今は昼なので沈黙を保っているがサーチライトが鎮座し、重武装の兵士が数人、睨みをきかせている。
建物上部には対空用の砲台まで備え付けられていた。
一般人相手には過剰どころじゃない装備だが……まあ、この街じゃ必要になるときが実際にある。だから笑えねぇ。
近づくにつれて、レーンが複数に分かれているのが見えた。
それぞれ道の色が異なり、用途が一目で分かるようになっている。
分け方は単純だ。──上層人間用か、それ以外か。
上層用のゲートは、企業や金払いのいい連中のために数多く開放され、出入りもひっきりなしだ。特に企業関係は忙しい。
一方で、自由自治区の人間が上層に行くことはほとんどない。だからそっちのゲートは閑散としていて、無駄に殺風景。だが逆に、警備だけは厳重だ。
俺は迷いなくハンドルを切り、上層用のゲートへ車を進めた。
横でルシアがぎょっとした顔をしているが、構わず直進する。
──この世界の人間は基本的にIDで管理されている。
カードやチップじゃない、生体そのものがIDだ。生まれた瞬間に遺伝子に組み込まれ、以後のあらゆる認証に使われる。
闇医者のもとで生まれたやつや、医者にすらかからずに産み落とされたやつも多いが、後付けでIDを組み込むことも可能だ。
管理する側も“IDがあったほうが楽”って事情から、後付けはかなり安く対応してくれる。だから大半の住人は後からでも登録している。
もちろん、あえて付けないやつもいる。そういうのは徹底してアングラな暮らしを選んだ連中だ。
俺も、一応は後付けでIDを登録してある。仕事柄、持ってないと不便でな。
だが──下層の人間が上層に上がるには、それだけじゃ足りない。
別途、専用の許可証が必要だ。
種類はいくつもあるが、俺は“とあるルート”で手に入れたパスを持っている。
……まあ、そのへんの事情はなんかの機会があれば話そう。
おかげで、こうして堂々と上層用ゲートを使えるって寸法だ。
閑散としたレーンを選び、俺はゆっくりと車を進める。
ゲートは二重に展開されており、最初のゲートはX線、放射線、赤外線などなど、諸々のセンサー類で危険物、禁制品のチェックを行っている。
ここで引っかかると、そのまま車止めが地面から突き出してくる仕様だ。たまに串刺しになるヤツもいるらしい。
これを通り過ぎると、今度は有人ゲートだ。
先ほどよりは小ぶりのそれの下まで進むと、すぐに両脇から数人の警備兵が現れ、俺の車を取り囲むように展開した。
上層ゲート用のルートに来てはいるが、見慣れない車体に眉をひそめている。
……まぁ仕方ねぇ。たまに物好きな下層のやつが間違えて突っ込んできて、そのまま蜂の巣にされたなんて話も聞く。真偽はともかく、奴らの警戒心が強いのは当然だ。
俺は意に介さず、指定の停止ラインに合わせて車を止めた。
エンジンのアイドリング音が低く響き、心地よく腹に染みる。だが、兵士たちはその重低音に露骨に顔をしかめていた。
……分からんか、この音の良さが。
運転席に俺、助手席にルシア。車外を固める警備兵たちの視線が鋭く注がれる。
窓を開けているから、声を張らなくてもやり取りは届く。
「……申し訳ありません。IDを確認いたします」
無骨な声と同時に、頭上に浮かぶ吹き出しが目に入る。
《……なんだコイツは。下層の人間にしか見えんが……隣の女は違うな。上層の匂いがする……厄介ごとじゃなきゃいいが》
兵士がセンサーを構える。
まったく、毎度毎度対人でのチェックは面倒くさい。ゲートそのものに自動化システムを組み込めば済む話だろうに……まぁ、そうもいかん事情があるんだろうな。人間を立たせておくのは、抑止力ってやつだ。
俺は素直に左腕を窓から出した。
兵士が手首にセンサーを当て、データを照合していく。
ルシアも隣で同じように確認されていた。
現場ではIDの詳細──つまり誰なのか、どんな素性か──までは表示されない。
安全上の理由で、本部と照会した結果の可否だけが下りてくる仕組みになっている。
許可証についてもIDと紐づけされているから、問題なければ"許可"が出るはずだ。
沈黙の時間が続いた。ルシアがわずかに緊張で肩を固くする。
確かにお嬢様だとさらにVIP待遇で、個人のIDチェックなんかされないか。
「……確認完了。問題なし」
やがて兵士が告げる。
その表情にはわずかな困惑が残っていたが、俺は肩をすくめるだけにしておいた。そういうこともある。
見送る兵士たちを横目に、奥へと車を進める。
ゲートを抜けると、行き着いたのは巨大な車両用エレベーターだった。
自由自治区から上層に直通で繋がる特別仕様。
本来なら外周の長い坂道を延々と登らなきゃならんが、限られた者だけはこうして直通で上がれる。
目の前にそびえるのは、上層を支える巨大な基盤構造。
高さ数百メートルはある壁面や内部に、地下インフラや工場がびっしりと収められている。
自治区とは別種の“アングラ”だが、今日は寄り道する暇はない。面白いんだがね。
車をそのままエレベーターに乗せる。広さは大型車両にも対応している造りだ。
扉が閉まり、ゴウン、と腹に響く低い機械音とともに上昇が始まる。
重力が背中を押し付けてきて、一瞬の重みを感じる、
やがて振動が止まり、扉が開く。
──目の前に広がるのは、未来都市。
洗練され過ぎてもいないが、雑多すぎるわけでもない。
幾重ものネオンが交差し、人々の欲望が光の筋となって渦巻く都市。
自由自治区の煤けた空気とはまるで別世界。
ココこそが、ネオ・バベルの中枢だ。
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