竜たちの讃歌 ~見目麗しき人の姿で生を受けた竜の子は、強気な女の子に囲まれて日夜翻弄されています?!~

たにぐち陽光

第一章 竜は少女との再会を胸に大陸に降り立ち、巻き添えを食らう

第1話 竜と少女

「カトル……ねぇカトル……」


 心をくすぐるような優しげな声に、まどろみながらうっすらとまぶたを開ける。


「ユミス……もうちょい」

「ダメよ。いっつもそう言ってぜんぜん起きてくれないじゃない」


 彼女はそう言ってぷくぅとホッペを膨らませて可愛らしい顔を向けてくる。まだ幼き日の面影を色濃く残してはいるものの、後ろ手に結った透き通るようなエメラルドグリーンの髪が青一色のワンピースと相まってとても大人びて見える。


「太陽の光が眩しいんだ」


 俺はそううそぶいてそっぽを向く。ほほが赤くなっているのを自覚している証拠だ。

 こんな表情をユミスネリアには見られたくない。


「……もう、しょうがないなあ。先におじい様の所に行ってるね」


 いつの頃からだったのだろう。

 小さいときに初めて会って、いつも一緒に二人で遊んでいただけだったはずなのに。

 だが、その存在を意識しだした頃には、もう彼女は自分よりも先を考えるようになっていた。




「ごめんなさい。カトル」


 彼女は謝った。

 はじめは何のことで謝られているのかわからなかった。


「私は行かなきゃダメなんだって」


 ユミスが居なくなるということが理解できても意識では追いつかない。


 なぜ?

 どこに行くんだ?

 すぐでないとダメなのか?

 自分も付いていってはいけないのか?


 最後のは言葉にしてはっきりと伝えた。

 そうすると彼女は瞳を大きく開け、じっとこちらを見つめてきた。

 ユミスの両目から涙がこぼれる。

 鼻をすすり、顔をくしゃくしゃにして嗚咽おえつを漏らすのもいとわない。

 

「うれしい……。けど、これはカトルに頼ってはダメなことなの」


 ユミスはそう言って涙を流しながら笑った。


「でも、どうしてもつらかったら……」

「そのときは、たとえ死んだって会いにいくよ」


 ユミスはまた瞳を一際大きく開けて、そして今度はうれしそうに微笑んだ。


「ありがとう、カトル……!」


 そう言うと幼馴染は、最後にギュッと抱きついてきた。




 ―――



 俺の名前はカトル=チェスター。

 生まれてから16年。

 人族に換算すればそろそろ自立を考える年齢に差し掛かってくる――ユミスはそう言っていた。

 だが、俺たちの一族にすれば何のことはない、乳飲み子も同然の立場にあった。


 俺たちの一族は人族にドラゴンと呼ばれる存在だ。

 長老ともなると、全長は百メートル以上にもおよび、その爪は巨大な岩石をも軽々と砕き、その咆哮は木々をなぎ倒すほどの風を呼び、一度ひとたびその怒りを買えば辺り一面焼きの原が生まれる。


 それは災厄と呼ぶに等しい。


 だが、長老に言わせればその呼び名は甚だ不快だった。

 ユミスが居た頃、彼女には竜族カナンと呼ぶように教えていた。

 約束の地に住まうもの、という意味らしい。

 だが竜族カナンの名を知る者はほとんどいないのだとか。


「人族の寿命を考えれば竜族カナンそのものの存在が希薄化し、大地を変えるほどの力を持つ悪しき呼び名ドラゴンだけが残ったことも理解できる」と長老は残念そうに語っていた。


 まだまだ元気なじいちゃんではあるが、何しろ数千年もの歳月を生きている。


 その間には聡明な竜族カナンでも間違いを犯すことがあったそうだ。

 だが、その過ちの傷跡は大地に色濃く留まり、そこに住む人々の心もいつしか竜族カナンから離れていった。

 そして竜族カナンもまた、一部を除いて人族から遠く離れた孤島で細々と住むようになる――。

 そのような苦い過去の経緯があるためかドラゴンという呼び名は長老たち世代には禁句であった。

 

 一方、孤島に住み始めた後に生まれた世代は特に気にもしていない。

 逆に、旺盛な智識欲からなのか退屈を紛らわすためなのか、人族と交流を行うべく孤島を去っていくものもそれなりにいたそうである。



 だが、そんな話も俺からすればはるか昔のことであった。

 なにしろ、ここ数百年、竜族カナンには子供が生まれなかったのだ。


 一族は皆、種としての限界がやってきたと諦めていたという。

 そんなさなか俺は突然生まれた。

 何の兆候もなく、ある日突然、母の腹の中から出てきた。

 孤島に住まう一族は皆驚き、母が産気づいた事実に喜んで、そして俺を見て落胆した。


 生まれた赤子は角も尾もない、人の子と遜色ない姿だったのだから。


 そんなわけで俺はドラゴンたちの住む孤島に一人だけ徒歩で歩くちっぽけな存在だった。

 稀有な存在たるドラゴンの中でも、特に稀有たる存在――。

 さすがの長老も俺が生まれた当初は頭を抱えてうめき声を上げたらしいが、その能力ステータスを見通す力により紛れもない一族の宝だとわかると、孤島のすべての者に大切に扱うよう通達した。

 もちろん、その心の片隅に一抹の不安を抱えながらではあったが……。



 そして、俺が3歳になろうかという時、皆の懸念が増す出来事が起こった。

 海岸沿いに一隻の難破船が現れたのである。


 元はしっかりとした帆船のようだったが、主となるマストは半分に折れ、帆は何者かに襲われたのか焼け落ちていた。手すりはほぼ海の藻屑と消えており、おそらく甲板に居た者は皆、海に落ちてしまったのだろう。

「よく沈没しなかったものだ」とは父の言葉だ。


 だが、知らせを聞きつけた長老がやって来ると状況が一変する。

 最初は単なる流れ着いた無人船と思っていた中に、わずかに生きている者の反応があったのだ。急いで一族の者が中に入ると、一人の衰弱しきった赤子が見つかった。

 赤子の居た場所は、母と思しき女性の死体が覆いかぶさった船倉の床下の隠し扉の中であった。

 海賊にでも襲われたのだろうか。

 はるか陸地よりこの孤島までの距離を考えても、この赤子が生きて流れ着いたのは神の奇跡としか思えない出来事であった。


 赤子の名前はユミスネリア。

 ようやく自我が芽生えた頃だった俺は自分よりもさらに脆弱な生き物を目の前にして、世界ががらりと変わることになる。


 俺の中でユミスネリアはたった一人の大切な遊び仲間であった。

 最初は泣くことしか出来なかった赤子が、ハイハイを覚え、おぼつかない足取りで大地を歩き、あっという間に俺の背中を追いかけてくるまでになった。


 長老の背中を滑り台にして遊んだり、髭を引っ張って二人して怒られたり、一緒に木に登って甘い林檎の果実にかじり付いたり。

 もちろん、長老に従ってそのありとあらゆる智識を学ぶことも怠らなかった。


 なにより、ユミスネリアには魔法の才があった。


 俺なんかとは比べ物にならないほど、その秘められた力は圧倒的だった。

 長老はそんなユミスの才を大事に大事に育てた。

 彼女にあった才は氷の魔法――基礎魔法を掛け合わせた複合魔法と呼ばれるより高度な魔法の一つだ。

 ただ長老は彼女が7歳になるまで魔法の基礎概念――火・水・風・土の四元素を反復させ、偏りがなくなるまでそれ以外の魔法を禁じた。そしてその間に魔法に関するありとあらゆる叡智を習熟したユミスは、類稀たぐいまれな才能を爆発的に昇華させることになる。


 長老の授業は、もちろん魔法だけに限らない。

 基本的な衣食住における必要な知識から、算術、様々な国の文字、世界の成り立ちから現在のありようまでその内容は幅広かった。さらには身を守る術や、創意工夫における絵画や工作、果ては詩や音楽といった芸術まで様々なことを学ぶようにしつけられた。

 

 思えば、この頃から長老の心は決まっていたに違いない。俺はユミスがいたからこそ、多岐に及ぶ長老の智識を学び吸収していったのだが、この孤島で過ごす竜族カナンにはほぼ必要のないことばかりだった。


 長老はユミスネリアが生きていくために必要な知識を教えていたんだ。




 ―――



 起きてすぐいつものように長老のところに行くと、まるで朝の挨拶の続きのような口調で淡々とそれは発せられた。


「ユミスネリアは明日から大陸で暮らすことになる」


 俺は長老が何を言い出したのか全く理解できなかった。

 いつも一緒だったはずの、兄妹のような、親友のようなユミスと離れ離れになる――そんなことは考えたくもなかった。

 頭の中が真っ白になり、そして長老への怒りがふつふつとたぎって来る。


「はい、わかりました」


 そんな思いとは対照的に、ユミスもまた淡々と答えた。

 そして俺の方を見て少しだけ俯き、すぐに真っ直ぐ見据えてきた。

 その優しげで愛おしそうに見つめてくるユミスの瞳に、俺は気付かされてしまう。

 

 竜族と人族は違う、ということに。


「ごめんなさい。カトル」


 ユミスは謝った。 

 だが、それでも――俺はかぶりを振った。


 竜族と人族は違っても、


 だから俺は強い気持ちでユミスに伝えた。


「自分も付いて行っちゃダメか?」


 この瞬間から、俺の行く末は大きく変化することになる。

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