人の彼氏が欲しくなってしまうのは病気ですか? ついに幼馴染にも彼女が出来たらしい。

夜道に桜

第1話

 昼休みのカフェテリア。


 窓際のテーブルに向かい合って座る私と彼の間には、ほんの一枚のテーブルしかなかった。


 でも、その距離はすぐに崩せる。


「ねえ、今度の土曜、映画行かない?」


 軽く切り出すと、彼はスプーンを持ったまま固まった。

 困ったように笑って、首を振る。


「いや、その日は……彼女と予定があるんだ」


 “彼女”の二文字が口から出た瞬間、胸の奥でスイッチが入る。

 ああ、やっぱり。だからこそ、欲しくなる。

 私は笑顔を崩さず、わざと大げさに肩をすくめた。


「予定の前にちょっとくらい、いいじゃん。二時間も三時間もいらないから」


 軽い口調。でも、視線は獲物を逃がさない。

 彼は苦笑しながら再び首を横に振った。


「いや、ほんとにダメだって。そういうの、悪いから」


 強がった声。でも、目は私から完全には逸れていない。

 その隙を見つけて、私は椅子を押し引きして立ち上がる。


「じゃあ、こっちでお願いしようかな」


 冗談めかして言い、彼の隣にすっと腰を下ろした。

 椅子が軋む音に、彼の肩がびくりと震える。


「……ちょ、近すぎるって」

「えー? 別にいいでしょ。ほら、誰も見てないし」


 わざと肩が触れるほどまで寄る。

 ブラウスの襟元が揺れて、胸元がちらりと覗く。

 彼の視線が一瞬そこに吸い寄せられ、慌てて逸らした。

 でも、その赤い耳が正直すぎて笑えてしまう。


「やめろって……俺、彼女いるんだから」


 小声で抵抗する。


「知ってるよ」


 私は唇を近づけ、囁くように笑った。


 彼の肩が固まる。

 冗談にしては押しが強すぎる。遊びにしては距離が近すぎる。

 それを分かっていてやっている。


 私は脚を組み替え、膝が彼の足にかすかに触れるように位置をずらした。

 偶然を装った必然。


「ねえ、ほんの少し。私と過ごすの、そんなに悪いこと?」


 彼は喉を鳴らし、息を荒げた。

 拒む言葉を口にしながら、体はもう私のペースに引きずられている。


「だ、ダメだって……」


 声がかすれる。鼻の下が伸び、視線は私の唇に釘づけ。


 私は指先で彼の腕を撫でるように叩いた。

 その瞬間、彼の肩がびくんと跳ねる。

 捕まえた、と思った。


 さらに髪を耳にかけ、顔を寄せる。

 吐息が彼の頬にかかる距離。


「秘密にできるでしょ?」


 彼の唇がわずかに開き、何か言おうとして声にならない。

 理性が溶けていく、その決定的な瞬間。


 ——そこで。


「真白」


 背後から、低い声。

 心臓が大きく跳ね、空気が一瞬で切り裂かれた。


 振り返ると、灰色のパーカーに折りたたみ傘を握った直哉が立っていた。

 冷たい目。

 私と彼の距離を真っ二つに裂く視線。


「……またやってるのか」


 その声に、さっきまで蕩けていた空気が一瞬で凍りつく。


 隣の彼は、椅子を軋ませて慌てて立ち上がった。

「ご、ごめん……俺、行くわ」


 そう言い残し、背中を向けて逃げていく。

 残された私は、笑みを取り繕おうとしたが、唇が思うように動かなかった。

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