第2話 闇堕ちシスター
セリウスが天界を追放されたとき、その理由となった少女はまだ人間界にいた。
名をマリエル。
小さな修道院で孤児を育て、貧しき者に癒しの祈りを与える若きシスターだった。
彼女は人々に微笑みを向け、ただひたすらに「救う」ことだけを願って生きていた。
だからこそ、天界の騎士セリウスが彼女を庇い、その結果、堕とされたと知ったとき――マリエルの心は壊れた。
「私のせいで……セリウス様は……」
祈りは届かず、涙は枯れても、彼は戻ってこない。
聖堂で膝を折り、彼女は神像に縋った。
けれど返るのは沈黙のみ。
――その瞬間、彼女は悟ってしまった。
天界は冷酷で、神は救ってはくれない。
むしろ、自分こそが「穢れ」とされた。
「だったら……私も堕ちましょう。セリウス様と同じ闇に」
◆
その夜、修道院に黒い影が満ちた。
マリエルの周囲に漂う祈りの力は、癒しの光を失い、歪んでいく。
彼女が子供たちに触れると、恐怖に泣き叫ぶ声が響いた。
「いや……シスター……目が、怖い……!」
鏡に映った自分の瞳を見て、マリエルは息を呑んだ。
それは深紅に染まり、まるで血のように光っていた。
彼女の微笑みは、もはや人を安心させるものではない。
見る者すべてに「絶望」を刻みつける呪いへと変わっていた。
マリエルの祈りの声は、聴く者の心を抉る。
過去の罪を思い出させ、最も恐ろしい幻覚を見せつける。
「癒しの歌」は「怨嗟の子守唄」となり、人々を狂気に沈めた。
「これが……私に残された力……。ならば、この力で――天を呪おう」
◆
一方その頃、堕天騎士セリウスは闇の中で戦い続けていた。
天界から送り込まれる討伐者を斬り伏せ、人間界の均衡を壊しかけていた。
だが、その胸の奥では常にマリエルを想っていた。
「……会いたい。だが、俺の姿はもはや……」
漆黒の鎧に覆われ、赤い瞳を光らせる自分を、彼女が受け入れるはずがない。
そう信じていた。
――だからこそ、運命の再会は彼を打ちのめした。
◆
燃え落ちた修道院。
黒い炎の中に、マリエルは立っていた。
白い修道服は闇に侵され、裾は血のように赤黒く染まっている。
微笑みを浮かべるその顔は、かつての優しいシスターの面影を残しつつ、禍々しく歪んでいた。
「マリエル……!」
「セリウス様……ようやく会えましたね」
彼女の声は甘美で、同時に耳を裂くような恐怖を孕んでいた。
セリウスの周囲にいた兵士たちは、次々に膝を折る。
恐怖に怯え、己の最悪の幻覚を見せられて錯乱するのだ。
「な……何だ、あの女は……」
「目を合わせるな! 心を奪われるぞ!」
セリウスは彼女に歩み寄り、兜を外した。
その顔には怒りではなく、悲しみが浮かんでいた。
「マリエル……お前も堕ちたのか」
「ええ。だって……あなたを堕としたのは私。なら、私も同じ闇に堕ちるしかないでしょう?」
彼女は微笑みながら、冷たく告げた。
その笑顔は、かつて孤児を慰めた慈愛の微笑みの残滓でありながら、今は人の心を砕く刃。
「癒しの祈りは、恐怖と絶望を与える力に変わりました。
――でもそれでいい。だって、私の願いはもう“救い”ではなく、“呪い”だから」
◆
セリウスは拳を握りしめた。
天界を憎むあまり、愛した者まで闇に呑まれてしまった。
だが、彼女の瞳に宿る決意を見て、否定することもできなかった。
「俺と同じ道を歩むというのか……」
「はい。あなたと共に。二人で天界を、神を呪いましょう」
その瞬間、闇が広がった。
セリウスの黒き剣と、マリエルの絶望の祈りが共鳴し、大地を覆う黒い嵐が生まれる。
それは光を飲み込み、悪魔をも退け、人間たちを恐怖と畏敬に縛り付けた。
――もはや誰も彼らに抗えない。
◆
後に語られることになる。
堕天騎士セリウスと、絶望のシスター・マリエル。
二人は並び立ち、天界を敵に回した最凶の存在として、永劫に伝説となったと。
その姿は、愛を守れなかった二人の歪んだ結末。
けれど同時に、誰にも裂くことのできない絆の証でもあった。
光を失った者同士が闇の中で結ばれ――やがて世界を震撼させる。
天界から追放されて闇堕ちした堕天騎士は最凶です @mojinokuroyagi
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