ある夜の悲劇
柿市杮
ある夜の悲劇
ふぁぁぁ……、と男は大きくあくびをした。夜の澄んだ空気が肺に沁み、わずかに目が覚めるのを感じる。
男はいわゆるトラックドライバーだった。今は深夜の長時間搬送に耐えるため、サービスエリアで少し休憩をとっていた。
「ううっ……、実入りがいいとはいえ、この時期の夜はやっぱり寒いな」
男は急に吹き込んできた風に体を震わせた。その息はやや白く、トラックのヘッドライトに照らされて銀の靄を作り出した。
「寒いなら、ヒートテックでも着たらよかっただろ」
男の隣にいるまた別の男が、男にそう言った。彼は男の同僚であり、時たま同じルートを通る。今回は、このサービスエリアの先の分岐までだ。
「昨日はまだ暖かかっただろ。だから今日も、って思ったんだけどな〜」
今日は午後から、急に寒波が到来していた。そして体が冷えたせいで男は少々眠気を感じているのだ。
「ま、これでも飲んで眠気覚ませよ。タダでくれてやるから」
そう言って同僚は、男に栄養ドリンクの瓶を差し出した。
「お、くれんのか。ありがとな」
「……ま、妹と仲良くしてくれてたしな。これくらいのことはするさ」
「っ……」
男は一瞬、時が止まったように体をこわばらせた。この二人以外全く人がいないサービスエリアは、一瞬静まり返った。
「そんな気に病むなよ。……お前が悪いんじゃない」
同僚は少し沈んだ声で、それでいて落ち着いた声で言った。
「……そうだ、今度飲みに行かないか?」
同僚は男に言った。
「俺が果てしなく下戸なことは知ってるだろ」
男は少し笑いながら言った。やや口角が上がり気味になっており、心の余裕が戻ってきたことを感じさせる。
男はぐうぅ、と寒さで固くなった体をのばしてほぐし、コキコキと首を鳴らした。そして同僚の方を向き、
「それじゃあ、俺はこれくらいで出発するけど、お前はどうするんだ?」
と言った。
「んー、俺はちょっと遅れてから行くかな。それじゃ、くれぐれも居眠り運転だけはするなよ。会社の信用に、何よりお前の命に関わるからな」
同僚の釘を刺すような言葉を背中に受けながら、男はトラックに乗り込み、シートベルトをつけた。
車のエンジンをかけて発信する直前、男は同僚からもらった栄養ドリンクの蓋を開封し、ごくりと一口で飲み切った。
よし、これで眠らないな。男はひとりごちに呟いた。
サービスエリアを出て二十分ほど経った。男が東京方面の分岐に進んだからか、車通りが増えてきた。
ふと左にあった合流レーンを見ると、一台の車が本線に合流しようとしていた。男は合流時にぶつからないよう、ウィンカーを出して右車線にずれた。
その時、男は違和感を感じた。腕がやや重いような感覚を、少しづつ自分が重くなるようなだるさを感じていた。
な、なんだ? と男は焦り出した。男は風邪をひいていたわけではないし、偏頭痛のようなものも持っていなかたった。
男は次のサービスエリアまでなんとか耐えようとハンドルを強く握った。だが時間が経つごとに不快感とだるさは蓄積されていき、頭も心なしか集中力が無くなってきたように感じられた。
その時、男はサービスエリアへの案内の看板を見つけた。しめたとばかりにサービスエリアに入ろうとした。力をこめられない腕でなんとかハンドルを回す。だが、もはやブレーキを踏む力は残されていなかった。
男は減速することができず、アクセルを踏みっぱなしの状態でぐったりとシートに沈み込んでしまった。男が乗ったトラックはサービスエリアに入るため減速した前方の車にぶつかり、なおも前進した。そのまま何台かの車を巻き込んで停止したが、とどめと言わんばかりに漏れたガソリンが引火した。サービスエリアは、瞬く間に悲鳴に埋め尽くされた。
◇◆◇
「トラック一台が減速せずにサービスエリアへの道路を走り、三台の普通自動車と玉突き事故。その後サービスエリア内で停止後ガソリンに引火。トラックに巻き込まれた自動車に乗っていた5名と、トラック運転手の死亡を確認しています」
交通課の若手の刑事が、警部補に報告した。
事故の後、通報により消防車がかけつけ、約三時間で火は消し止められた。そして調査が可能になったことを確認して、警察が事故の原因を探り始めたのだ。
「トラックの男——事故を起こした男について何か判ったか?」
警部補は若手の刑事に尋ねた。
「真面目なドライバだったと会社から証言を得られましたが……遺体から微量のアルコールが検出されました。どうやら、飲酒運転で決まりみたいですね」
なるほど、と警部補は言いながら、黒焦げになったトラックの車体にゆっくり近づいた。そしてドアが目の前にあるというところまで近づいたところで、残骸の中にあるものを見つけた。
「ん? あぁ……これのせいか……」
警部補がそれを摘み上げて言った。それは褐色のガラス片と金属がつながったもので、事故の衝撃で割れたのと、熱により融けたせいで原型はとどめていないが、かろうじて円筒形をしていたことが窺える。
「それはなんでしょうか」
若手の刑事が、さも不思議そうに尋ねた。
「栄養ドリンクだよ。蓋もついてるし。、蓋に近い部分だろうな。栄養ドリンクってのは、ちょくちょくアルコールが入っててな。アルコールが多いやつを下戸が飲むと、それのせいで酔っ払うことがあるんだ。昔、今回みたいな玉突き事故がそれで起きたことがある。知らずに飲んじまったのか、それとも知ってて飲んだのか。まあそれはわからんなぁ……」
警部補は両手を合わせた。
男の同僚が、そのドリンクに他のドリンクよりも多めにアルコールが入っていることを知った上でドリンクを渡したことも、男と同僚の妹がかつて恋人関係にあり、家族関係が原因で別れ、妹が自殺したことも、同僚がそれを恨んでいないようにしながらも心の中で常に怒りを煮えたぎらせていたことも、警察は知らない。
ある夜の悲劇 柿市杮 @kakiichi-kokera
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