ソラに会いに行く
Major Tom
第1話 犬は簡単にさらえる
狙い目はドッグランだ。人間が犬より油断している場所は、そう多くない。
なかでも羽沢公園のそれは格別だった。木陰が多く、風もよく通る。犬は芝生に腹を投げ出し、飼い主はその横でスマホを操作したり、立ち話に夢中になっている。つまり、隙だらけだ。
チェックのシャツにチノパン姿の中年男――ジローは、そんな人混みに自然と紛れ込んでいた。キャリーバッグを下げていても怪しまれない。思春期の娘に「パパ臭い」と言われるようになった頃の、どこにでもいる父親にしか見えなかった。世の中の「思い込み」という便利な仕組みのおかげだ。
もっとも、バッグひとつでは少し浮くこともある。そこで“サクラ”の出番になる。相棒のチワワだ。毛並みは悪くないが、歯が欠けていて舌がいつも覗いている。その舌が愛嬌に見えるらしく、子どもが「かわいい」と声を上げることもしばしばだ。ジローに懐いているように見える点も、演技に厚みを加えていた。本人は「懐かれている気がする」程度の自覚しかなかったが。
決め手は、“ワンちゃんまっしぐら”のCMでおなじみのジェル状おやつ。指先でちらつかせるだけで、たいていの犬は尻尾を振りながら寄ってきて、そのまま自分からキャリーに飛び込む。誘拐というより、むしろ“招かれている”に近い。
ただし、大型犬は対象外だ。一度だけ試したことがあるが、バッグには収まらないし、リードを引こうとすれば簡単に踏ん張られて終わった。あいつらは常にテンションが高い割には意外と賢く、存在感も大きすぎる。仮に捕まえられても、周囲にすぐ気づかれるだろう。
今日もジローは、手際よくミニチュアダックスを一匹“回収”した。どうでもいいことだが、ミニチュアダックスの飼い主は小太りで眼鏡をかけたオバさんがやたら多い。統計を取ったわけではないが、体感では九割を超える。
捕獲のあとは、少し離れて観察する。犬がいないことに気づいたオバさんは、慌ててフェンスの外を覗き込み、スマホを握ったまま固まる。その背中は、どこか憔悴して見えた。
心が痛まないわけではない。だが、目を離したのは彼女だ。ほんの十数秒でも、スマホに気を取られていたのなら、それが隙になる。そこを突くのが自分の仕事。罪悪感は、あくまでオプションに過ぎない――そう思い込むことにしていた。だがオプションばかり増えると、人間は妙に疲れるものだ。
手順は決まっている。三日待つ。仕掛けた魚が暴れるのを、じっと待つのだ。
その間、飼い主は必死に動き出す。交番へ、動物病院へ。スーパーやペットサロンの掲示板にチラシを貼り、自転車で「モモちゃーん!」と半泣きで呼びながら住宅街を巡る。SNSに投稿し、友人に拡散を頼み、近所のグループLINEが騒然とする。
捜索にかけた熱量が強ければ強いほど、こちらにはありがたい。“感動の再会”の値札が跳ね上がるからだ。
四日目の朝、ジローは例のオバさん宅のポストに一枚のチラシを投函した。
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あとは電話を待つだけだ。
ジローは口角をわずかに上げ、鼻歌をつぶやきながら路地を曲がった。ポストの蓋が、風にカランと鳴った。
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