第46話
「こんばんは!」
「いらっしゃーい! あらあら、また一段とおっきくなったね〜」
「お久しぶりですね! 紫水さんも相変わらずお元気そうで。昔のままです」
「元気よ元気。でも若い子は右肩上がりだけど、こっちの肌の調子ダウン気味だけどね〜」
「なに言ってるんですか〜。まだまだお綺麗ですよ。こんなにお母さんが美しいから、まりーも美しいんですね!」
「もうホンット、昔から懐入ってくるの上手いんだから! 今日のご飯張り切っちゃお」
「やった! 楽しみ! お母さんの美味しい鯖味噌の味、覚えてますよ」
「盛り上がり過ぎ。寒いんだけど。重いし」
靴も脱がず玄関トーク始めるもんだから私はずっと外の風に吹かれてたまったものではない。おまけに年度末だから色々教材持ち帰ってて重いのだ。
流石コミュ強。これが
「ごめんごめん、風邪ひいたらいけないね。おいで」
「茜ちゃんったら優しいのね〜」
「どう見てもマッチポンプ。ここ置かせて……てかお姉ちゃんのヘルメット邪魔」
荷物でパンパンのサイドバックを置きたいのに棚の上は姉の私物でスペースがない。
今日は茜が私の家にお泊まり会だ。学校帰りに茜の家に寄り、そのまま我が家へ。家族も大歓迎で迎えてくれている。
何度かうちに遊びにくる機会はあったが、タイミング悪く顔を合わせたことはなく、茜と私の家族が
記憶に残るイベントにしようと、母は自ら進んでエプロンをかけ精一杯おもてなししようとしてくれている。昔からの付き合いの幼馴染の子がやってくるということもあるだろうが、それよりも強い理由としては今夜が茜の引越し前夜であるという事実があるからだろう。
茜は明日の午後この地を離れる。
そして今夜で私達の関係は終わる。
恋人として過ごす最後の晩だ。
「もう少しで支度終わるから茉莉花の部屋で待ってて」
「分っかりました〜」
元気いっぱいの茜を連れて二階の自室に向かう。
「あれー⁉︎」
その途中厄介なやつにでくわしてしまった。
「茉莉花の恋人ちゃんじゃん!」
あのバスケットボール大会の送迎で垣間見た人がいることに姉は驚いているようだった。
まだ言ってんのかよ……。
「え、待って、今日は茜ちゃんが来るって……。ということは、じゃああのとき見た女の子が茜ちゃんで、今目の前にいるのも茜ちゃん。つまり茜ちゃんが茉莉花の恋人……ってこと⁉︎」
「あーもう色々複雑だから黙って」
「そうなんですよ〜。お久しぶりです、お姉さん!」
「はぁ、お前……」
もうぐちゃぐちゃだ。
「えーもう私とどっちがお姉さんか分かんないや。大人びちゃって〜」
「いやいや、中身がまだお子ちゃまですから」
ラブホ連れ込んどいてよく言う。
「え、茉莉花と上手くいってる。大丈夫?」
「はい! もうこんなよくできた女の子他にいませんよ」
「ストーーーーーップ!」
なんかもう星空みたいに目をキラキラ輝かせて盛り上がろうとする二人を大声で黙らせる。
「お姉ちゃん、この件はホントに複雑だからもう少しそっとしておいて欲しい。てか事態の飲み込みが早えよ。疑え。茜、今日はあまり喋り過ぎないように。この後お話があります」
「あらら、そうなの〜」
「
「はい、終わり。終了! 先行ってて」
しっしと茜を追いやってから姉に小声で頼む。
「お母さんとお父さんの前ではこの話しないでね」
「確かに。両親への挨拶はちゃんと場を整えて二人のタイミングがいいもんね」
「違う、そうじゃない!」
「はいはい、じゃあ後でね〜」
「あと玄関の棚
あいつ……本当に話聞かねぇな……。
姉妹でこんなにも性格が変わるのか。
茜の後を追って部屋に入ると、彼女はうつ伏せでベッドに伸びていた。ミニ丈の服から露出する生脚が目を引く。寝床で無防備。さながらまな板の上の鯉。まだ夜は浅いけど食ってやろう、ということは微塵も思わず私はコートをハンガーにかけた。
ちょくちょく私の家に来ているわけだから茜はもう慣れ親しんだ我が家といった様子だ。
「やっぱまりーの匂いが染みついてるベッドはいいねぇ。最高だよ」
「ああ最高だね。最高にキモいぞ」
「すんすんすんすんすん」
私の愛用の枕をいっそ引越し祝いに渡したら、と変な考えがよぎったが十中八九よからぬことに使われそうなのでやめよう。
「いやぁでもまりーの家族は皆優しいね」
「数年ぶりだと変わってると思うけど」
「そうでもないよ。私の記憶のまま。お義母さんもお義姉さんも」
「ちょっと待て。含みがあったぞ、含みが」
「にはは〜気のせい気のせい」
ぱたぱたと脚を振りご満悦のご様子。
「はぁ……ていうか茜」
私は自分のベッドなのに端にちょこんと座って、その背に触れた。
少し気が重い。
「ん? 布団の中でイチャイチャする?」
「しません。で……私達の関係のことさ、言わないようにしよ」
「……」
茜から言葉は返ってこないし、顔は埋めているの見えない。けれどぱたぱたは静かに止まってしまった。
その空気に内心動揺しながら言葉を続ける。
「私達の関係は今日で終わりなんだから……さ。今日付き合ってるって言って、次聞かれたとき別れたって言うのはなんか、やりづらいじゃん」
「……」
「……茜?」
「そだね! まりーが困っちゃうならそうしよ!」
茜は沈黙が嘘のように飛び起きると、日の光を求める夏の草花みたいにぐーんと伸びをする。
「そしたら、私お料理のお手伝いしてこよっかな」
「え、でも待ってていいって」
「ただもてなされるより、一緒に準備参加したほうが楽しいに決まってるじゃん。それともなーに、私の腕じゃ邪魔になるって言いたいわーけ?」
私の額に真っ直ぐ指が突き立てられる。
「そうじゃないけど」
「まりーとかまりーままには劣るかもだけど私だって少しくらいできるもん。よぉし、そうと決まればレッツゴー! 先行ってるよん」
そう残すと、パタパタとスリッパのそそっかしい音を鳴らして下の階に降りていってしまった。
「……はぁ」
張り詰めた糸が切れるように頭を抱える。
やってしまった……か?
たった数十秒前のことを思い出して悔恨の念に苛まれた。
言うべきじゃなかったかもしれない。
自分勝手な理由で、私達の関係を片づけてしまった。
もっと言い方があったはずだ。
折角の最後のお泊まり会早々に茜を傷つけた。
今夜茜は悲しい思いを隠しながら笑顔を振りまかなければいけない。
私のせいで。
考えれば考える程己の非を感じて苦しくなってくる。
だってそうじゃないか。恋人と知られて明日以降はなんて話せばいい? 遊びだったと? 期間限定だったと? 笑われるか
そして己さえ納得してしまうような正論も同時に並び立つから、私の心境は二つの心情が競り合う戦場みたいに落ち着かない。
「だから……恋愛って……」
茜の付き合う理由の一つが私への恩返しと知った後でも、私はこの関係を続けることにしていた。どうせ契約は今日までで、ここまで来たら最後までやり切って
だから今日を終えれば、この苦しみも不安もモヤモヤもなくなる。綺麗さっぱり一人で静かに生きていける。今までの紫水茉莉花に戻れる。
数秒吸って。
数秒溜めて。
数秒吐く。
「……行くか」
景気付けに自分の膝をパンと叩いて立ち上がる。
恋人としての、彼女としての最後の責務を果たすために私は階下に向かった。
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