第38話

「……」

 

 私の胸中はぐちゃぐちゃだった。

 最後まで抵抗する私や素直にこの状況を楽しみたい私、なんかもう自暴自棄になっている私、他の私に驚く私。

 

 なんかもう考えないほうが楽だな。

 

 私の心は決まった。

 

「なんか……ドキドキするね」

 

 にはは〜と乾いた笑いが響く。心なしか茜もいつも通りとはいかない様子だ。

 

「そうね……じゃあどうすればいい? 教えて」

「いいの?」

「いいわけないでしょ。拒否権がないの」

「それもそっか。では遠慮なく」

 

 壁の時計は現在時刻が午後九時であることをさす。夜明けまでざっと残り九時間。

 

「まずはあっちのシャワーを浴びてきて。私はその間に外のシャワー浴びながらお風呂用意しとくね。お互い身体からだ綺麗なほうがいいでしょ?」

「了解」

「それでここが重要。浴び終わったら今日買った下着をつけてデッキにくること」

「えぇ……」

 

 もうキツそう。なんか精神的にキツそう。

 

 そうして私は今日の購入物を携えて室内の浴室に向かった。

 

 ワンルームに二つも浴室があるなんて本当に贅沢。

 

 念入りに身体を洗いながらこれからに目を背けるように考える。シャワー周りはガラス張りで手が込んでいる。きっとこれもカップルのいろんなシチュエーションを想定しているのだろう。

 

 背中、脇、脚、デリケートゾーンをいつもの二倍くらい時間かけて洗った私は下着を手に取った。更に例の花びらモチーフのピンク下着の上からは透明感ある薄い衣に袖を通す。茜から追加で持ってこられたシースルーのナイトガウンだ。

 

 うわ、落ちつかねぇ。

 

 腰のくびれをリボンで絞ってから改めて自分の異様さに眉をひそめた。鏡の私は下着を覆うように布をまとっているが、透け透けなレース生地のせいで隠れていない。寧ろ純白の透けた布越しに見えるピンクが扇情的といえる。見えるよりも完璧には見えないほうが魅力あるなんて聞くがつまりこういうことなのだろう。

 

「茜、来たよ」

 

 屋外への扉から顔だけして茜を探した。

 

「お、キタキタ。お先いただいてまーす」

 

 茜は赤い花弁を浮かばせ、甘いアロマを効かせた浴槽に幸せそうに浸っていた。そこは本当に羨ましい。

 

「ではでは入ってまいれ」

「よく似合ってるよ。女中じょちゅうよこしまなことする悪代官みたいに」

「失敬だね」

 

 私は戸を大きく開けた。都会の夜風が私の身体をなぞる。

 

「お……」

「なによ。あんまジロジロ見んな」

 

 口を開けたまま食い入るように見つめる茜の姿はどう見てもエロオヤジである。

 

「いやいや。こんな立派なものを晒しながら見るなとは無理仰る。でもそういうの好きよ。エロい姿見せつけながら蔑む目するの」

「きっしょ」

「いいね〜!」

 

 こいつにはなに言っても無駄な気がしてきた……。

 

 強いビル風が私を舐めることでガウンが張り付き、ボディラインが強調されるのが分かる。私のそこそこある胸を引き立てながらたなびく薄生地に茜はうっとりだ。

 

「回ってみてよ。くるって」

「はいはい。こうですか」

「お、見えた!」

「俗物が」

 

 見えたもなにも全部透けてんだよ。

 

「やっぱそれ買ってよかったね」

 

 茜はバスタブの縁にベタッと前腕をつけながらいやらしい目を向けてきた。

 

「私にはいいことないけどね」

「いやいや。まりーほんとえっちだよ。自覚ないの? 罪深えぇ」

「知らん」

「じゃあ今度はそれ脱いで下着を見せて」

「はぁ……ガチで晒しものなんだね私」

 

 プチプチとボタンを取りながら諦観を呟きに乗せる。

 

「違うよ。視姦だよ」

「きんも」

 

 続いてピンクの下着姿を晒した。茜の完璧なフィッティングのおかげで際立つ肉体に下賤な視線が突き刺さる。

 

「か、わ、い、い〜。めっちゃエロかわじゃん。うわ!」

「うぅ……」

 

 ランジェリーショップで散々見られたというのに、初めてなのかという程恥ずかしさを覚える。シチュエーションが違うとこうも気持ちの受け取りようが違うのか。

 

「ねぇ寒いよ」

「そうだよね、じゃセクシーポーズして」

「は⁉︎ いや意味分かんない!」

「セクシーポーズしてくれたらお風呂入っていいよ」

 

 そんな要求理不尽だ。堪らず声を荒げる。私のプライドが許さない。

 

「拒否権なしね」

 

 あ、プライドなんてとっくに殺されてましたね……。

 

「ほらどんどん冷えちゃうよ」

 

 温かいお湯にぬくぬくと浸かりながら出てくるその言葉は心底憎々しい。

 

「くそが……。てか、セクシーポーズなんて分かんないよ」

「そうだね……。じゃあまずこっちを向きます。それで両手を膝につきながら前屈みに。それで谷間を強調!」

「いーや絶対ムリ! マジで!」

 

 私は顔をしかめ、両手を使って全身全霊否定する。

 

 そんなの恥ずかしくて心が壊れる。精神崩壊で殺人罪になるぞ。

 

「できるできる。頑張れ頑張れ」

「もうやだぁ」

「早く一緒に入ろ。ね、そのために」

 

 紫水茉莉花。こんなはずかしめ、生まれて初めてである。死にたい。

 どんどん下がる体温なのに、顔はもう真っ赤に違いない。

 プライドとか清廉さとか全てを捨て去って動いた。

 

 膝に手をついて、前屈み……。

 

「これで、いいの?」

「うわぁああ! すっげ! エッロ!」

「もうやめて……」

 

 満身創痍の私を糧にして茜はどんどん饒舌じょうぜつになる。

 

「まりーってばでっかいのにそんな強調されたら悩殺よ。ホントに! いやおっぱいで人を殺すことができるということを覚えておいて欲しいな。これは比喩じゃないよ。もう誰にも見せないでね。これ。私だけのまりーね! もうずっと見てられる。眼福が過ぎるよ。かああああ! これはくちゅれる。くちゅリティたっか。ね、写真撮っていい? 撮るね!」

 

 訳分かんないこと喚きながら傍らのスマホで高速連写。一方私は茫然自失で目が死んでいた。

 

「ねぇ次は後ろ向いてそれやって。お尻を突き出すように。それで顔はこっち」

「はぁ⁉︎ やったらお風呂入れるって——」

「一回とは言ってないよ?」

 

 コロスコロスコロスコロス。

 

 今すぐズカズカ近づいてその顔面を湯に沈めて黙らせたい。きっとこの姿の私がやればそれだってご褒美だろう。

 嫌々大胆にお尻を向ける私にまたも歓声を上げながら写真を撮り続ける茜は幸せそうだ。生を実感しまくっている顔だ。いやこの場合性だと思う。今殺せば幸せなまま逝けるに違いない。

 

「ブラボー! 素晴らしいよまりー。なんて素晴らしい肉体なんだ!」

「もう、いい?」

「うん! いいよ、感動させてくれたご褒美にお風呂に入ることを許可します」

 

 やっと入れる! 寒い! その極上の湯に私を入れろ!

 

 しかし流行る思いでバスタブに手をかけた私の出鼻をくじくように茜が静止した。

 

「ノンノンノン。まさかそのまま湯船に浸かる気?」

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